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Cafe FUJINUMA(栃木):2019年5月 #クラスパートナーロースター

次にご紹介する#クラスパートナーロースターは、栃木県小山市の自家焙煎コーヒースタンド、Cafe FUJINUMA。これまで全国様々なロースターの皆様に出会い、コーヒーの道に足を踏み入れる前は、全く異なる業界で活躍していたという方々のお話を伺う機会にも恵まれた。Cafe FUJINUMAのオーナー、藤沼さんの人生も、コーヒーとの出会いによってその道筋が大きく変わったという。

 

コーヒーとの出会い

 

大学進学を機に地元の小山を離れ上京した藤沼さん。大学では映画学科で学び、元々は映画監督を志していた。映画製作の現場での仕事は充実していたが、とにかく忙しく、休みは月に1、2回程度だった。そのわずかな時間に、カフェを訪れて一息つくのが、唯一の憩いだったと藤沼さんは振り返る。

 

「映画の世界に入って1年半ほどが経った頃、地元で両親が小料理屋を始めるので、手伝ってもらえないかと母親から連絡がありました。小料理屋だけでは難しいから、といってカフェへ方向転換して、コーヒーを扱うようになったのがきっかけです」、そう藤沼さんは説明する。開店準備期間中、色々なお店を訪れてはハンドドリップ講座に参加するなど勉強を重ね、技術不足をカバーしながら差別化をはかるため、グレードの良い豆を入手した。それまで何度も通っていた店も、実際に自分が店を始めるとなると全く違う視点で見るようになった、と藤沼さんは人生の転換期を振り返る。

 

コーヒーについて知れば知るほど、その魅力にどんどんと引き込まれていった藤沼さん。立ち上げを手伝いすぐに東京に戻る予定だったが、1年が過ぎる頃にはコーヒーが面白くて仕方がなくなった。更に家庭の事情で、藤沼さんが一人で店を切り盛りせざるを得ない時期があったことも手伝い、藤沼さんは期せずしてCafe FUJINUMAの店主となる。「映画の世界に戻るかどうかは最後まで本当に迷いました。仕事をふってくれる方もいらっしゃいましたし、現場で待ってくださっている方も。でもごめんなさい、コーヒーをやりたいです、と言ってこの世界に飛び込みました」と、藤沼さんは話す。

 

現在では店に復帰した母の作る家庭料理を「マザーズランチ」と名付けて提供し、さらには定期的にピアノなどの生演奏を企画したり、有志で映画撮影を行ったりと、自らも楽しみながら、小山のカフェ文化を盛り上げている。

 

小山での歩み

 

オープンしてから1年ほどは、市内の焙煎所からスペシャルティコーヒーを仕入れて提供していたCafe FUJINUMA。小山市内には老舗の自家焙煎所が10店舗ほどあるが、扱っているのはやはり主に深煎りだった。そこへ頼み込んでブレンドを作ってもらったり、産地を指定したり、浅煎りを依頼したりと、求める味を手に入れるべく四苦八苦しながら、しばしば東京に出かけてはトレンドの研究を重ねた。

 

1日に数人しか客が入らない時期が続いても、コーヒーのグレードは下げず、かたくなに浅煎りを出し続けたと藤沼さんは話す。「最初は酸っぱい、という感想ばかりでした。でも、自分にはキャリアはなかったけれど、信念はありました。自信をもって淹れたものだから、と出し続けていたら、だんだんとお客様にも受け入れられるようになり、今では当たり前に浅煎りが好き、という方も増えました。」地域にも次第に受けれられるようになり、求める味わいが明確になるにつれ、ぴったりと来るものが仕入れられない事をもどかしく感じるようになった藤沼さんは、ついに自家焙煎を始める決意をする。

 

Cafe FUJINUMAの焙煎

 

焙煎の手ほどきを受けたのは、群馬のある焙煎所。元々は仕入れのために紹介してもらった焙煎所だが、求める味とそのこだわりを説明したところ、そこまでの熱意があるのならぜひ自分で焙煎した方がいい、と勧めてもらったのだという。そこでノウハウを学び、更にSCAJの合宿に参加するなどして焙煎技術を順調に身に着けた。

 

焙煎機を導入したのはオープンから2年目の事だ。選んだのはフジローヤル。手の届く価格帯と、メンテナンスなどの面で安心できる国内ブランドに決めた。東京の足立にあるフジローヤルに通い詰め、半年ほどかけて焙煎機への感覚を磨いていった。「フレーバーがうまく出なかったり、豆のポテンシャルが引き出せていなかったりする時、一回の焙煎で2キロほどが一気に無駄になってしまう、はじめはその感覚の怖さがありました。常に80点以上が付けられるような安定した焙煎ができるようになるには、プロファイルを安定させなければいけない。その確立までが難しかったです」、そう藤沼さんは当時の苦労を振り返る。

 

今では無駄もなくなり、自分なりに生み出したいくつかの型を豆の種類や標高に合わせてあてはめてみるというメソッドも確立した。これまでは一人で行っていた焙煎作業も、新たな人材に出会ったことで、自分の頭の中だけで完結していたものをデータに落とし込む作業が必要になっている。「いわゆる職人というやり方で情報を閉じた状態にしていては、取り残されていく時代だと思います。卸先も増やしたいし、最近になって指導にも行ける余裕が出てきたので、自分の持っている技術はどんどんシェアできるような形にしたいです」と藤沼さんは話す。

 

農園との関り

 

昨年末、初めて農園を訪れる機会があった。エルサルバドルとコスタリカなど、対極にあると言っていいほど環境の異なる国々を訪れ、それぞれの経済状況や設備の充実度などが様々であったことが強く印象に残った。

ここ数年、”From seed to cup”、「種から一杯のコーヒーまで」といったスローガンがもてはやされてはいるものの、いまだに消費者から農園主の顔が見えるレベルには達していないと藤沼さんは指摘する。「産地やコーヒ―豆の情報をデータ化して、お客さんに見せて、という作業しかできていない。そこにずっと違和感がありました。もっと芯を持って話をしたい、整えられた綺麗ごとだけではなくて、自分の目で見て感じたいという想いがあり、農園に行きました。」産地の気候、コーヒーが発酵する匂いなど、コーヒーが作られる過程を肌で感じ、本には載っていない体験ができたと話す藤沼さんは、いつかエチオピアを訪れたいのだと、目を輝かせる。

 

今後の展開

 

2017年には2号店もオープンし、いよいよ勢いを増しているCafe FUJINUMA。

「積極的に小さい定食屋やレストランにも卸に行って、栃木全体で、どこに行っても美味しいコーヒーが飲めるようにする、というのも面白いかなと思っています」と藤沼さんは今後の展望を語る。コーヒー専門店に限らず、ふらっと美味しいものを食べに行った先で、当たり前のように美味しいコーヒーが飲める、そんな日常を栃木のこれからにしたい、そう考えているのだ。

 

「とにかくコーヒー、コーヒーと言っていた時よりは固執しなくなりました。それでいて、探求心は高まっていると感じます。少し引いた眼で見る余裕が出てきたのかも」、と藤沼さんは自らの変化を振り返る。今の環境の中で、できるだけ多くの人にコーヒーを飲んでもらえるにはどうしたらいいか、小山だからできる事はなにかー 細部にまで丁寧にこだわり、しかし大きな枠組みとその動きもしっかりと支えていく、どこか映画作りにも通じるような藤沼さんの旅路。これからの栃木に、ますます目が離せない変化が訪れる。