ショッピングカート

ショッピングカートは空です。

ショッピングを続ける

MANLY COFFEE (福岡): 2020年7月#クラスパートナーロースター

7月のコーヒーサブスクリプションでご紹介するのは、福岡のMANLY COFFEE。国内のエアロプレスチャンピオンシップ確立への大きな貢献はもちろんのこと、引き続き様々な場面でコーヒーに携わる人々をインスパイアし続けている須永さん。前回定期購買にご参加くださったのが2017年の2月。あれから3年半が経ち、須永さんのコーヒーとの向き合い方は、福岡のコーヒーシーンはどう変わったのか。お話を伺った。   MANLY COFFEEの焙煎:新しいチャプター MANLY COFFEEの焙煎はフジローヤル。以前の1kg窯から3kgにパワーアップし、容量、火力や排気が大幅に向上して快適、と話す須永さん。新たな焙煎機と共に最近、転換期を迎えたのだそう。 「初めは快適にやいていたんですけど、色々試すうちに何だかしっくりこなくなって。焙煎の壁には何度もぶつかりますが、これは焙煎機に関係があるのではと感じるようになりました」 悩む日々の中、あるところではコーヒーの味に焙煎機は関係ない、あくまでもやき方の違いだとはっきり言われた。そうか、と思いしばらく試行錯誤を続けていると、また別のところでは、フジローヤルは深煎りに向いているから、浅煎りは難しいですよ、とこれまたはっきりと言われたという。 「今はそのどっちの答えも正しくて、理由もわかるし、そうなんだなと思うんです。結局は構造上、焙煎機による味の違いもある。だけどある一定のレベルに達すればどの焙煎機でも美味しくやくことができるようになる。 でもその時はもう行き詰まってしまって、LANDMADEの上野さんにトレーニングをお願いしたんです。フジローヤルのセミナーを担当していらっしゃる方で、福岡までお越しいただいて1日。 上野さんのトレーニングでは、「こういう風にやく」という明確なものがあって、何分でこのぐらい、などとしっかり決まっています。ではなぜそうなのか?というところにも触れながら、どうしてここでダンパーをあけるのか、火力をこのタイミングで上げるのか、というのが初めて自分の中ですっきりしたんです。目指す焙煎によってプロファイルを組み立てていく、そのやり方っていうのがわかりました。」 点と点がつながり、試行錯誤が実を結んだ新生MANLY  COFFEEのコーヒーは、以前よりも厚みのある甘さとバランスが取れたものに進化した、そう須永さんは微笑む。   エアロプレス大会との関わり JAC(ジャパンエアロプレスチャンピオンシップ)を立ち上げた事でもよく知られている須永さんだが、実は来年で大会の運営から離れるつもりだという。「昔、海外を回っているときに若い人たちが意見をしっかり持って活躍している姿を見て、日本もこんな風に若い人が活躍しなきゃだめだな、という気持ちがずっとあったんです。エアロプレスのことも、若い力でやってほしいな、どこかのタイミングで次の世代に渡さないとな、と思っていました」と話す須永さん。 「JACの大会は年々盛り上がり競技人口が驚くほど増えました。そしてそれを支え、共に運営してくれているメンバーもエアロプレスとコーヒーを愛するユニークな人達が集まるとても素晴らしいチームとなりました。今私はほぼ何もしていない状態なのですが(笑)、運営だけでなくJACの大切なコアな部分も共有しあえているので安心して後を任せることができます。 2021年はちょうど私がエアロプレスの世界大会に挑戦してから10年になります。この節目を最後に運営からは離れエアロプレスの母として大会を見守り続けたいと思います。そして、自分のお店をしっかり作っていこうと思っています。」   福岡のコーヒーシーン 福岡を代表するロースターの1人として活躍を続けてきた須永さん。この3年で、福岡のコーヒーシーンはより一層盛り上がり、次世代、またその次の世代がどんどん誕生しているという。 「まず、みんな福岡が好きと言う気持ちがベースにあると思います。福岡の人たちは個人店が好きで、個人経営で輝いているお店がたくさんあるんです。それが憧れや、自分もやってみたいと思うきっかけにつながっているのかな」そう須永さんは分析する。 スペシャルティコーヒーはオープンソース、知識の共有が魅力。福岡も、そんな特徴がある、と須永さんは言う。福岡には、カフェ同士が競争すると言うよりも、マーケットを広げ、皆で力を合わせて盛り上げていくと言う感覚があるのだそう。おしゃれで雰囲気のあるカフェ、美味しさを求め味で勝負のコーヒー店と、これまで少し分かれていた分野がつながり始めている流れも感じている。世界基準を意識しながら、自分自身もアップデートしていきたい、そう考えている。   自分と向き合う・生き方を考える 「前は、世界一になりたい、とお話ししていたと思うんですが、それを目標にしてギラギラというよりも、自分の好きなこと、好きな風にコーヒーを作ってやっていきたい。最近そんな気持ちになって。もっと暮らしを整えたい。自分の体を鍛えたい。楽しく生活したい。その先に世界一もちらついていたりするけれど、そこに執着をしない。そういう気持ちを自覚したら、今やってることをただ深めていけばいいんだな、と思ったんです」と須永さんは説明する。 MANLY  COFFEEのテーマの一つに、“Coffee is beautiful,Life is beautiful“  というものがある。今回の気持ちの変化で、それがより今の自分と深くつながるテーマだと感じたと言う。 心と言葉の輪郭を重ね合わせるように、丁寧に確認された言葉を使って話す彼女の言葉には、心の中心を通って伝わり響くような不思議な力強さがある。 お話を伺えば伺うほど、自分の軸を大切に、自己研鑽の大切さをとことんまでに突き詰めている方なのだと改めて感じた。その真摯さが相手とのコミュニケーションに向かうとき、考えていることや経験してきたこと、心の柔らかい所までを恐れずに伝え、向き合う強さとして現れるのだ。日本、そして福岡に新しいコーヒーシーンを立ち上げ、コーヒーにかかわる次世代のロールモデルとして輝く魅力がそこにある。   後日、須永さんからこんなメッセージをいただいた。 自転車乗りながらふと思いがおりてきたので 取り急ぎ送ります。 ”コーヒーを始めて20年。途中で自ら小さな青いヨットを作りこれまで思うままに、何度かの嵐にあいながらも知恵をしぼり、周りに力をかりて、どうにか進んできました。色んなものを手に入れたり、手放したり、傷を負ったり!?。ただ1つ"情熱"という光だけは変わらず今も私の心の中で輝いています。この20年はたくさんの嬉しいことや楽しいことがありました。その中に葛藤や不安、羨望などもスパイス的に散りばめられています。そうして今見えている景色はとても広く色鮮やかな景色が広がっています。”    (このインタビューは、2020年の3月以前に収録したものです。それから私達の生活を取り巻く状況は大きく様変わりし、須永さんもまたこの変化の中で、様々な事を感じていらっしゃる事と思います。自らの心を見つめ、周りの姿を見つめ、常にそれに正直であろうとする須永さんのこれからに、私達もたくさんの刺激をいただきながら進んでいく事になるでしょう。須永さん、お話ありがとうございました!) 2017年2月の須永さんのインタビューを読むにはこちら

辻本珈琲(大阪) : 2020年3月#クラスパートナーロースター

今回ご紹介する#クラスパートナーロースターは、辻本珈琲、又の名を「株式会社すてきなじかん」。五代目として日本茶屋に生まれた辻本さんがコーヒー事業を立ち上げたきっかけとは。 そしてコーヒーがもたらす「すてきなじかん」の思いとは。インタビューを通して伺った辻本さんの想いを紐解いていく。 老舗の日本茶業からコーヒーの世界へ 幼少の頃から、5代目として家業を継ぎたいと思っていたという辻本さん。しかし大人になった頃には、日本茶産業を取り巻く環境や、世の中の流通の仕組みがすっかり変わっている事に気が付いたのだという。そんな時に縁があり始めたコーヒードリップバッグの製造・販売業だったが、東日本大震災をきっかけに、コーヒーは辻本さんにとって大きな意味を持つものになる。 「お陰様で全国にお客様がいらしたのですが、震災の後、東北のお客様方としばらく連絡がつかなくなったんです。数ヶ月後にご連絡をいただいて、『連絡ができていなくてすみません、大切なものをたくさん失ったけれど、コーヒーがあったことでなんとか支えられていました』と。その時に、コーヒーってこんな風に、支えや気持ちの切り替えになるものなんだと気づいたのをきっかけに、惹かれていきました。それ以降、コーヒーの風味や品質自体にもどんどん興味が湧いて、SCAJに参加したりして。スペシャルティコーヒーにもそうして出会いました」そう辻本さんは振り返る。     辻本珈琲の焙煎 ドリップバッグの製造歴ははや16年という辻本さんが自家焙煎を始めたのは、今から3、4年前の事。それまでは仕入れたコーヒーを加工していたが、出荷量が増え、次のステージを見据えた時に、原材料ともっと近い所で品質管理にも携わりたいと考え、焙煎を開始した。 はじめに使っていたのは直火式焙煎機で、ガス圧は低め、ダンパーはしっかり閉め、4㎏窯に対して3㎏のコーヒーを入れて、30分弱の時間をかけてしっかり火を入れる焙煎をしていた。しかしその内に浅煎りのコーヒーのフローラルなアロマや爽やかな酸味にも興味を持ち、様々なセミナーに参加し新しい焙煎方法を模索したという。 昨年、ローリングスマートロースターも加え、焙煎方法もより素材の良さを失わないように取り組んでいる。 「数年前に受けたデンマークでローリングを使用するMichaelさんのセミナーでは、トータルタイムが味に大きく影響すると教わりました。カッピングで検証したら本当にフレーバーが全然違ったんです。窯から出す温度帯が同じでも時間が違えば味が違う。それ以降は自分でも試行錯誤を重ねています。例えば、直下式焙煎機4kgでしたら特性上ダンパーを開けすぎると火力が負けるので、はじめはダンパーを閉め気味でしっかりドラム内にエネルギーを伝え、メイラードに入るときから少しずつ火力を落としていき、さらにダンパーも開けて対流を加える、といった微調整をしながら焙煎をしています。ハゼのところから特にロースティにならないよう注意しています。今は浅煎りだと10分くらいを目安に焙煎しています。」と辻本さん。     “すてきなじかん”  辻本珈琲といえば、カフェのメニューにはずらりと魅力的な選択肢が並び、オンラインショップではスペシャルティーのシングルオリジンや、ブレンド、デカフェや、色々なパンに合わせて楽しめる「ぱんじかん」など、幅広い商品展開が印象的だ。「ここまで多くなったのは成り行き」と笑う辻本さんだが、新しいコーヒーに出会うたびに、こんなものがあるのか!と新鮮な驚きを感じ、その面白さをお客様やスタッフと共有したくなるのだという。 「コーヒーってスイッチのようなもの。気持ちを切り替える役割があって、一旦自分をリセットしてくれるような存在だと思っています。『雨あがりのじかん』というドリップコーヒーがあるのですが、それもそんなコーヒーへの思いを表現したものです。ある時偶然立ち寄ったお店で、店員さんが常連さんらしき方をお見送りする所に居合わせたことがあったんですが、店員さんが扉を開けながら『あ、雨やみましたね』とお声がけをしていて。その時にぱっ、と切り替わった雰囲気が、コーヒーを飲む前と飲んだ後の気持ちに似てるな、と思ったんです。そんな瞬間から、僕らのコーヒーがうまれることもあります」そう辻本さんは話す。「モノとしてのコーヒーではなくコーヒーを通して始まる“すてきなじかん”」を届けたいというモットーが息づいているのが感じられるエピソードだ。     通信販売だからこそできること  2005年に楽天市場を通しても通信販売をスタートさせた辻本珈琲。元々はカフェのオープンに備える段階として、より多くの人々へ自分たちの商品を知ってもらいたい、楽しんで飲んでもらえたら、と始めた通信販売だったが、始めてみると意外な発見があった。 「関西の店舗だけでは決して出会うことのなかった、青森、東京、九州のお客様にも通信販売を通して見つけていただけて。対面の方が実際にお目にかかれて良いような気がしますが、お届けするまでのご案内を含めたやり取り、お届けした後のフォローやお客様からのフィードバックなど、通信販売なら何度もコミュニケーションをとる機会があるんです。それに気づいてからはより一層、今あるプラットフォームでできる事をしっかりとやっていくことを心がけています」と話す辻本さん。届いた時の感動を体験してもらえるよう、梱包チームにも「お客様の顔は見えないけれど、いつも目の前のお客様のために包んでいるような気持ちで。大事な友達に送るような気持ちで梱包すれば、絶対に伝わるものがある」と日々話しているという。     これからの辻本珈琲  しばらくは通信販売をメインに提供できるサービスをより充実させていきたいと考えている辻本さん。飲食店など、コーヒーがメインでない場でももっと美味しいコーヒーが飲めるような環境づくりに貢献したいとも考えている。「旅行も好きでよく行くんですが、色々な場所の宿や観光施設などとも協力して、旅先で過ごす時間に寄り添うコーヒーもお届けできれば、そう思っています」と辻本さんは微笑んだ。 人々の生活スタイルやコミュニケーションがより多様になるにつれ、これまでとは違った様々なニーズも生まれている。その中で核となる価値観や、人と人とのやり取りであるという基本はそのままに、しなやかな成長を遂げてきた辻本珈琲は、コーヒーに限らず、私たちのこれからの道のりの、豊かな可能性を示してくれている。  

明暮焙煎所(神戸) : 2020年2月#クラスパートナーロースター

今月ご紹介する#クラスパートナーロースターは、兵庫県・神戸に店を構える明暮焙煎所。 いつも家族連れで賑わい、地元の人々に愛される焙煎所兼カフェは、今年でオープン3年目。店主の田村さんに、これまでの道のりと、これからのお話を伺った。   明暮焙煎所ができるまで 元々は舞台役者としてキャリアを積んでいたという田村さん。学生時代から、何かを表現するという行為に魅せられ、役者の道に進むことを決めた。上京し、事務所に所属しながら養成所に通った。「台本の読み込みや打ち合わせなど、とにかく読み物がすごく多いんです。それで毎日のようにカフェを使っていました」と田村さんは振り返る。初めは大手チェーンに通っていたが、次第にあまりの人の多さと、忙しない空気に心が休まらない事に気がついたという。自らと向き合い続ける役者という仕事と、その道を進んでいるがための不安、そしてストレス。田村さんの足は、自然と個人経営の喫茶店へと向かうようになった。落ち着いた、静かな空間で迎えてくれるマスター。丁寧に淹れてもらった一杯を、じっくり味わいながら会話に癒される場所。そこにはどこか、芝居を作り上げる姿勢、劇場という空間に世界を形成する技術に通じるものがあった。 30才を迎え、ライフステージの変化も視野に入れ始めた頃、表現する場が誰にでも平等に与えられているわけではない、という事実について改めて考えたという田村さん。しかし、その場というのは演劇だけとは限らない。人が表現し、作り上げる空間には、もっと色々なものがある。夢を追う日々、疲れていたり、落ち込んでいたり、作業に没頭したい日だったり、そんな色々なものを抱えて訪れても、全て受け止めてくれた場所。そんな場と、それを作っている人が、癒しをくれて、コーヒーを美味しくしてくれた。そういうものを自分で作ってみたい-そうして田村さんが選んだ新しい舞台が、カフェという空間だったのだ。 恩師たちとの出会い 神戸に戻り、カフェをオープンすると決めてからは、ひたすらに勉強の日々が続いた。一から自分の手で表現したいという思いから、焙煎も全て自分で行うと決めていた。それだけに、学ぶべき事は多かった。 飲めば焙煎した人の人柄まで分かるような、そんなコーヒーを作りたい。それが実現できると教えてくれたのが、みなと元町のヴォイスオブコーヒーとの出会いだったという。 「イエメンのコーヒーを飲んだらそれがとっても甘くて、人柄が思いきり出ているような味で。すごくオープンマインドな、自分が持ってるものは全部教えるという方で、すごくお世話になりました」と田村さんは話す。富士珈機のセミナーに通いつめ、そこで焼いたものを持ち込んではカッピングをしてもらい、自宅に帰れば鍋を使って爆ぜの様子を研究した。 その後、ハーバーランドで開催されたイベント「コーヒーと映画」で、田村さんはもう一人の恩師に出会う。生豆・焙煎豆の販売から機器の販売、セミナーまで幅広く手がけるマツモトコーヒーの松本氏だ。生豆の仕入れ先を探していた所へ訪れた出会いで、コーヒー生産・消費の過程における、人を大切にする姿勢も共通するものがある。田村さんは早速相談に訪れた。それ以来松本氏は、焙煎やカッピングなど、大切な技術を惜しみなく教えてくれる師匠のような存在だ。 形を変えて紡がれる田村さんのストーリー それから4年ほど働きながらコツコツと資金を貯め、ついに明暮焙煎所はオープンの日を迎える。「準備期間はひたすら勉強、でしたが、スペシャルティコーヒーがとにかくおもしろかった。特に、それぞれの豆に生きたストーリーがある所が好きですね。マツモトコーヒーは産地から直接生豆の買い付けをするので、生の声を拾ってきたものに触れられるんです。コーヒーを理解し、焙煎する際のストーリーの必要性って、芝居をやっていた時の考え方と同じで。どう台詞を読むか、というだけではない、自分で納得しているからこそ出てくるものには、ストーリーが必要なんです。それを理解した上で焙煎するのが大切だと考えています」と田村さんは話す。  「自分にしかできないコーヒーって何だろう?と考えた時に、コーヒーの存在感がまだない場所でやりたいと思いました。一から、コーヒーの魅力を知ってもらいたい。そんなコンセプトで、明かりを灯す、暮らしの中に入っていくコーヒーを作る。そういう意味を込めて、この名前をつけました」そう説明する田村さん。  今では親子連れが多く訪れ、時には3世代の家族が訪れるという明暮焙煎所。地元の暮らしにしっかりと馴染んだ店に成長した。3年の時の流れの中で、来てくれる子供達も大きくなった。ここで店を続けるという事には、ただビジネスを続けていくだけではない、人と人との濃密な時間を積み重ねていく事なのだ、そう実感している。  明暮焙煎所のコーヒー 明暮焙煎所では、ブレンドが5種類とシングルオリジンが7種類の合計12種類からコーヒーを選ぶことができる。ブレンドはそれぞれ、田村さんがフレーバーや時間帯をイメージして作り、名前をつけている。 「中煎りとして売っているのは、他に比べれば浅煎りに近いと思います。町の流れに合わせていきながら、浅煎りをもっと増やしたいですね。目指しているのは、浅い所から深い所まで幅広く、でもとにかく優しいコーヒー。バン!と派手な感じではなく、毎日に馴染むような味。浅煎りを買いに来てくださるのは若い方が多く、全体では中深煎りや深煎りがよく売れます。酸っぱいものはちょっと、というのがまだ根強いですね。ですが、最近は浅煎りに興味を持ってくださる方も増えて、確実に流れは変わって来ているな、と感じています」そう田村さんは説明する。  焙煎機はフジローヤルの半熱風式。無理なカロリーを与えず、とにかく優しく仕上げるのが田村さんの焙煎のポイントだ。操作も最小限に抑え、豆に無理のないように味わいを引き出しているという。「これからも他のロースターさんから学び続けて、幅広く消化して勉強していきたいです」と、意欲を見せた。 これからの歩み 今後はイベントなどにも時折参加しながら、あくまでも自分たちの町の暮らしのリズムを大切にしていきたいと言う田村さん。「同じ場所で続けていると、その限られた中で正解を見つけようとして、どんどん頭が固くなっていく怖さがある。そういう時にイベントに出ると、気付かされることがすごく多かったりするんです。自分たちの表現をもっとしていく場として、イベントに出ていくのもいいかも、と思っています」と話す。 産地を見にいきたいという思いも強くなる一方だ。文字だけでは伝えられない、目で見て、体で感じた匂いを町の皆に共有したい。そんな想いがある。明暮焙煎所で飲むコーヒーが、初めてのスペシャルティコーヒーだという人も少なくない町で、人々のリズムに合ったコーヒーの飲み方、伝え方をこれからも模索していく。セミナーなど、やりたい事も山積みだと目を輝かせる田村さん。これからも明暮焙煎所は、日常の中の特別な時間を等身大で楽しめる、そんな場を人々に提供していく事だろう。  

Goodman Roaster Kyoto (京都) : 2020年1月#クラスパートナーロースター

2020年第一回目の#クラスパートナーロースターとしてご紹介するのは、京都のGoodman Roaster Kyoto。台湾の阿里山で栽培されているコーヒーを主に専門で扱うロースターだ。オーナーの伊藤さんは、旅行で訪れた台湾で阿里山コーヒーの可能性を見出し、空港の片隅、「下敷き一枚」の販売スペースで、異国でゼロからの挑戦を始めた。現在では台湾で2店舗を経営し、現地のコーヒーカルチャーを動かしているGoodman Roaster。昨年11月に、日本一号店となる京都店がオープンした。言葉がわからない、初めて住む場所、台湾。そこで文字通り身一つでスタートし、台湾から日本、京都へと旅を続けてきた伊藤さんーその道のりには、いつも背中を押してくれた恩師の言葉と、家族の支えがあった。 阿里山コーヒーとの出会い 東京で生まれ、最初のキャリアはアパレル業界でスタートしたという伊藤さん。25歳の頃に、かねてから強く憧れ志望していたスターバックスに入社した。そこから5年間、主に都内の店舗でバリスタとして経験を積んだ。 「スタバでは、エンターテイナーとしての技術、そしてホスピタリティについてとてもたくさんの事を学びました」そう伊藤さんは話す。しかし、大企業特有の不自由さや閉塞感、マネジメントに徹する店長への昇進のオファーなどが、次第に伊藤さんの心をバリスタという仕事へ向き合う純粋な姿勢以上に圧迫するようになってきたという。 このまま働いていても、コーヒーの生産から消費までのほんの一部しか見ることができない。もっとコーヒーについて知りたい、色々な経験を積んで、接客技術の幅も広げたい。そう考えるようになった伊藤さんは、「日本から一番近く、真剣にコーヒーを栽培しているのは台湾」と友人から聞いたのをきっかけに、台湾のコーヒーの産地である阿里山を訪れた。「山に行った時に、そこで採れたコーヒーを浅煎りで、サイフォンで淹れてくれたんです。浅煎りを初めて飲んだのがその時で、サイフォンで。衝撃を受けました」と、伊藤さんは今も鮮やかに心に残っている瞬間を振り返る。阿里山コーヒーとの出会いだ。 恩師との出会い さて、伊藤さんには、若い頃から尊敬し、著作は全て読んでいるという憧れの人がいた。クールジャパンなどの旗振り役を務めた、伊勢丹の伝説的なバイヤー、故・藤巻幸夫氏だ。そんな憧れの人が、偶然伊藤さんの勤務していたスターバックスに訪れた。「思わず声をかけた」と伊藤さんは言う。面白いやつだ、と気に入られて以降氏との親交は続き、それに伴って伊藤さんの旅路も大きく変化することになる。 藤巻氏との出会いから1年後、JRとの協賛企画であり<日本発信>をテーマとしたコンセプトショップ、「Rails 藤巻商店」のオープンに際し、伊藤さんに声がかかった。伊藤さんは藤巻商店の一員として店に立ち、休日には藤巻氏と日本全国を巡って焼き物、食品、着物と日本の名品をキュレートする旅に出た。 2年ほどが経ち、藤巻氏の政界進出を機に、Rails 藤巻商店は店をたたむ事になる。ちょうどその頃、以前の訪問以来連絡を取り続けていた台湾の農園からも閉業の知らせが届く。何とか続ける方法はないか。そんな思いで、当初は日本への卸売のルートを確立させようと考えた。しかし海外で事業を行うのは、大きな賭けだ。相談する人皆に反対されたアイデアだったが、藤巻氏だけは賛成してくれた。藤巻氏がいつも言っていたのが、「日の目を見ていない商品に、スポットライトを当ててやれ」。今回も、やってみろ、と背中を押してくれたのだ。   いざ台湾へ そうして台湾行きを決断した伊藤さんだったが、何しろ言葉が分からず、資金もない。手始めに、シェアロースターを借りて阿里山コーヒーの焙煎を始めた。しかし中国語が話せない為に、現地の人々相手に商売ができない。さらに阿里山コーヒーと言うと、地元の人々の間では「あまり出回っておらず、サービスエリアで飲むようなコーヒー、とにかく高い、まずい」という不評がすでに根強く、あの日阿里山で飲んだ浅煎りの美味しさを伝えられるようになるにはあまりにも道のりが険しい。 そこで頭を絞った結果、羽田空港からの定期便が発着する松山空港で、日本人旅行客をターゲットにコーヒーを売ることを思いついた。 知人のつてで免税店のバイヤーを紹介してもらい交渉した結果、「日本行きのゲートのエリアで、1ヶ月だけ契約、売り上げの50%は免税店に」と言う約束で販売できる運びとなった。割り当ててもらえたのは、下敷き一枚ほどの小さなスペース。そこで試飲販売をしながら、焙煎した阿里山コーヒーを売り始めた。 家族も共に移住して、子供も生まれたばかり。絶対にこのチャンスをものにしなければ、と心を決めた伊藤さんの猛進が始まったのがそこからだ。とにかく声を出して少しでも多くの人に興味を持ってもらい、販売時間以外は到着ゲートに行き、警備員に止められながらもチラシを配っては、「帰国される時に空港でまたぜひ」と呼びかけた。そんな努力の甲斐あって、「面白い日本人が台湾のコーヒーを売っている」と口コミが広がり、1日15万円を売り上げるほど注目を集めるまでになったのだ。 当然契約は毎月のように更新され、半年ほど販売を続けていると、台湾の雑貨店からも声がかかるようになった。Fujin Treeや誠品書店など、知名度のある雑貨店に取り上げられるようになると、テレビの取材やビジネス雑誌への掲載などの依頼も立て続けに入り、認知度が一気に上がったという。2013年には最初の実店舗をオープンし、その後台湾に4店舗、香港に1店舗を構える大人気ロースターへと成長することになった。 転換期 ビジネスの規模はどんどんと大きくなり、一時期は従業員の数が20人を超えるほどの大所帯となったGoodman Roaster。しかしそこで、次第に難しさも感じ始めたと伊藤さんは振り返る。自分以外のスタッフ全員人が台湾人で、育った環境や文化の違い、そして専門性の高い会話における言語の壁、さらには経営に対する意識の違いなどが徐々に浮き彫りになって来たのだ。台湾という異国の地で、日本人が経営するという困難と苦労、そしてそれに時間やエネルギーを割かなければいけないために、思うように若手を育てられないストレスと焦り。伊藤さんは断腸の思いで台湾の2店舗のみを残し、「選択と集中」の決断をした。 規模を小さく丁寧に再出発したところ、売り上げも伸び、その経験を機に伊藤さんの中で変化が起こった。「ビジネスを大きくする事に、全く興味がなくなりました。自分はそれよりも、自分自身の成長に集中したいんだ、そう気がつきました」と伊藤さんは話す。「今はバランスを整える事に重きを置いています。例えば、お金を理由にして食べたいものを食べない、などという決断はしたくない、だからと言って売り上げのためにもっとビジネスを伸ばしたくはない。でも生活のため収益は必要。そんなところのバランスを、落とし所を見つける作業です」 そうこうしているうちに、台湾にやって来て7年が経った。元々は5年で日本に帰るという目標を立てていたという伊藤さんには、もう一つ、いつも心に留めていた目標があった。それは藤巻氏との約束、「ものになったら日本に帰って来てアウトプットをする」こと。ゼロからのスタートで、ここまでたどり着いた。ならば、日本に帰る時が来たのではないか。そう感じる瞬間を、伊藤さんは迎えた。 日本での拠点に京都を選んだのは、旅行で訪れた際に直感で気に入ったから。街の雰囲気、職人気質の人間が多い場所に、心惹かれるものがあり、Goodman RoasterはGoodman Roaster Kyotoとして、新たに日本の地にオープンすることとなった。 Goodman Roaster の焙煎 「資格や大会に全く興味はなく、”美味しい”というところに興味がある」と話す伊藤さんは、他のロースターとは異なるアプローチをしている。ロースターというと、焙煎技術を極めている職人、のような姿勢で焙煎を行う人が多く、素材の良し悪しが十分に重視されていないと伊藤さんは考える。むしろ、どんな素材であっても美味しく焙煎するのが腕の見せ所、というような部分すらあるのではと感じているという。 「僕は素材がとにかくまず重要だと考えています。今では焙煎の技術はコンピューターである程度管理できてしまう。だからその技術よりも、まず生豆の良し悪し、クオリティを嗅ぎ分けられる嗅覚と味覚を鍛える事が重要なんです。食べ物でも、素材が良いものに味付けはほとんど必要ないですよね。深煎りって、例えて言えば醤油を思いっきりかけるような事だと思っています。うちでは浅煎りに限定しているわけではないのですが、素材が良いものを選び、その良さを活かそうと思えば自然と浅煎りになるんです。特にフィルター用のコーヒーは絶対にいいものを仕入れている、という自負がある」、そう伊藤さんは言う。 Goodman Roasterで使用している焙煎機はディードリッヒ。台北では12kg、京都では5kgで焙煎を行なっている。「今のスペシャルティを焼くのに直火はあり得ない」と話す伊藤さんが特に心酔しているのが、エスプレッソブレンドを焙煎するときに発揮されるディードリッヒの本領だ。赤外線の力で、ボディ、クレマ共に素晴らしいものが焼けるのだと伊藤さんは目を輝かせる。 日本に帰ってきて感じること、これからのビジョン 「これはコペンハーゲンに行ったときに強く感じたんですが、普段の生活における心の豊かさと、コーヒーを飲む時間を楽しめる事とは繋がっていると思っています。豊かだからコーヒーが飲めるのか、コーヒーで心が豊かになるのか・・・、それはまだ答えの出ない問いですが、日本に帰って来て、『コーヒー飲んでる場合じゃないでしょ』、『コーヒー飲んでる時間はない』と言われてびっくりした事があって。ただコーヒーを飲む、その時間を楽しむと言う豊かさが失われているのではないか、そう思いました」と伊藤さん。 京都店ではまず1年間、一人で現場に立ち、お客様に接していくと決めている。少しでも多くの人に、リラックスしてコーヒーを味わう時間を持ってもらえるよう、生粋のエンターテイナーとして、京都に新しい風を吹かせよう、そう考えているという。 現場に全部の答えがある、と藤巻氏は言った。台湾で得たものを日本へ、そして日本での新しい体験をまた台湾へ。お客様を楽しませないと意味がない、をモットーに、ユニークなルーツを持つロースターとして、日本でもいよいよその名を轟かせていく事だろう。

Darestore (仙台) : 2019年12月#クラスパートナーロースター

次にご紹介する#クラスパートナーロースターは、仙台・青葉区のDarestore(デアストア)。メルボルンでオーストラリアのコーヒーカルチャーに触れ、誰もが日常的に、気軽に、美味しいコーヒーを楽しめるような文化を仙台にも根付かせたい、そんな想いからオープンしたカフェ・ロースター。10年間の準備期間を経て2017年にオープンしたDarestoreは、仙台という大きな街自体のコーヒー文化構想を牽引する存在だ。オーナーの寺澤さんに、お話を伺った。 Darestoreができるまで 現在35歳の寺澤さんが「カフェをやろう」と決めたのは、今から10年ほど前。元々は柔道整復師の専門学校を卒業し、接骨院で勤務していたという。 「専門学校時代から、暇ができればカフェに行っていました。カフェで時間を過ごせば過ごすほど、カフェという空間をいいなぁと思うようになりました。接骨院で働きながら、学会に出席したり、業界を代表するような人たちとお話したりする機会もあったのですが、そうすればするほど、本当にやりたい事について考えるようになって。カフェをやりたいな、という気持ちがどんどん強くなりました。そういう意味では、就職してからようやく本当にやりたい事が見つかったような気がします」と寺澤さんは話す。 退職してからは、日本各地を訪問し、コーヒーショップを巡った。その中で寺澤さんの心に残ったのが、仙台の人気店、バルミュゼットだった。「カフェをやりたいんです」、そうオーナーの川口さんに相談すると、川口さんは親身なアドバイスと共に、「海外を見てきた方がいい」、そう言ってくれたのだという。「その時新しい視点をもらいました。バルミュゼットではまずは研修のような形で教えてもらいながら働いて、その後スターバックスでも働きました。二つの職場を通して、まずはコーヒーへの知識、そしてカフェをやるにあたっての基本的な業務や現場を回す経験、さらにメンタル面での訓練ができました」寺澤さんは感謝を込めてそう振り返る。 その後、飲食店を経営する上で食に関する広い知見も必要だと考えた寺澤さんはフレンチレストランでの勤務を始める。オーナーシェフは、スイスのレストランがミシュランスターを獲得した時に勤めていたという腕利きの料理人で、職人技術に触れる良い経験になったという。その後一旦退職し、川口さんとヨーロッパ旅行に行った寺澤さん。世界が広がる中で出会った人々から、海外生活やワーキングホリデー、そしてメルボルンについての話などを聞く中で、次第にメルボルンへの憧れが強くなったという。早速貯金を始めるべく選んだ次の職場は、イタリアンのピッツェリア。そこでもまた興味深い出会いがあった。シェフはナポリで修業した日本人で、海外で生活した頃の話を楽しく聞かせてくれたのだという。フレンチやイタリアンといった職場で様々な味を学んだ経験は、今でもちょっとしたメニューを出すときや、なによりコーヒーの味わいを表現するのにも役に立っている。幅広い経験が育んだ表現力だ。後にワーキングホリデービザを取得し、当時お付き合いしていた方と共にオーストラリアへ。二人はのちに結婚することになる。計1年10か月の滞在期間中、タスマニアや数々のファームを巡った後に、メルボルンでバリスタとして1年ほど経験を積んだ。2016年5月に帰国し、半年後の2017年1月に、Darestoreがオープンした。 メルボルンでの経験 メルボルンのカフェでは、一日300-500杯ほどコーヒーが売れることも珍しくない。そんな忙しく活気に満ちた環境で、寺澤さんは大いに刺激を受け、バリスタとしても大きく成長した。メルボルンのカフェの特徴は、フードメニューが充実している事。その流れを汲んで、Darestoreでは今でもチーズクロワッサン、自家製のミートソースを使ったホットサンドや自家製のグラノーラなどを提供している。 オーストラリアでは、日本人のネットワークにも大いに助けられたという寺澤さん。バリスタとしての初めての現場は、現在PRANA CHAI JAPAN代表の野村さんが働いていたカフェ、Balmains Brighton。働きながら技術を吸収した。その後、現在ANY B&B+ COFFEE代表の満吉さんがヘッドバリスタを勤めていたAddict Food & Coffeeというカフェで勤め、それぞれの場所で充実した経験を積んだ。大きく世界へ広がった視点も、身につけた技術も、そして数々の素晴らしい出会いも、今へと繋がる大切な宝物だ。 石山さんとのパートナーシップ Darestoreを語る上で欠かせない人々のうちの一人が、共同経営者として立ち上げをつとめ、現在は焙煎を担当する石山さんだ。出会いは、寺澤さんがフレンチで働いていた頃。バルミュゼットで頻繁に行われていたカッピングに欠かさず参加しており、その場で知り合ったのが石山さんだった。石山さんは当時ネルソンコーヒーというコーヒーショップですでに10年ほど経験を積んでおり、ネルソンコーヒーが仙台駅前にコーヒースタンドをオープンした時には店に立ってコーヒーを淹れていた。そこへ寺澤さんが足しげく通うようになったのだ。 「メルボルンにいる時に、帰ったらお店をやろうと思っていて、どうしようかなと考えていた時にすぐに石山の顔が浮かびました。経験も技術もあるし、働いているのも見ていて、さらに自分とはまた違うタイプでもあるので、一緒にやったら合うだろうな、と思ったんです」と寺澤さんは話す。石山さんもちょうど独立を考えていた時期だったこともあり、打診を前向きに受け止めてくれたという。メルボルン滞在中からメッセンジャーなどでやり取りを続け、コンセプトなどの検討を進めた。 Darestoreのコンセプト 「メルボルンのカフェって、皆が日常的に使う場所で、朝早くから開いているんです。学校に行く前に親子で来たり、会社を抜け出してコーヒーを買いに来たり、そんな日常の色々なシーンで生活に溶け込んでいる。そんな場を仙台に作りたい、そういう気持ちがまずありました」と寺澤さんはDarestoreのコンセプトを説明する。 石山さんも、前職で「スペシャルティコーヒー」と言うと飲みに来た人が構えてしまう事があり、そのハードルを下げたいと考えていたのだという。バックグラウンドの異なる二人だが、人々が気軽に美味しいコーヒーを楽しめる場を提供する、そんな構想でしっかりとタッグを組む事ができた。 オープン当初、仙台には個人経営のカフェは他にもいくつかあったものの、存在感は大手チェーンの方がまだ強く、それらの立地の良さも手伝って客入りも比較にならなかったという。個人店はあくまでも「知っている人」、「好きな人」が立ち寄る場所。メルボルンで寺澤さんが目にしていたのは、小規模の個人店にはいつも人があふれ、チェーン店には観光客しかいないという真逆の環境だった。Darestoreの挑戦は、仙台という地で、個人店がもっと輝ける環境を整える事だ。できるだけ様々な客層に対応できるよう、まずは営業時間を朝7時からとし、カフェ営業終了後はバー営業として11時までオープンする形でスタートした。忙しい人も、好きな時間に来られるための工夫だ。「フードメニューも充実させました。メルボルンのカフェにはフードメニューが多くて、休憩、打ち合わせ、食事など様々なシチュエーションで使えるのも魅力です。オープンした頃は、いいな、と思ったものを全部取り入れてチャレンジしていました」、そう寺澤さんは忙しい日々を振り返る。やりたい事は尽きないが、スペースや自分たちの仕事量とのバランスも重要だ。調整を経て、2年目からは8時から18時までの営業とし、メニューもフードメインから徐々にコーヒーにフォーカスした内容に変化させている。 Darestoreがよりコーヒーに特化した店へと変化できたきっかけは、2019年の5月からチームに加わった八代さんの存在が大きかったという。メルボルンやベルリンでヘッドバリスタなどとして活躍し、計5年ほどの海外経験を積んだ彼の加入により、Darestoreはさらなるパワーアップを遂げた。 オープン当初からキッチンを切り盛りしていたのは、中学時代からパティシエを目指していたという奥様だ。彼女の作り出すお菓子やフードにはリピーターも多く、メルボルンスタイルのフードメニューなども特に話題を呼んだ。Darestoreをコーヒーショップとして発信する方向に切り替えてからは、その多彩な才能を活かし、パッケージデザインやソーシャルメディアでの発信を担当している。 Darestoreの焙煎 Darestoreで使用している焙煎機は、韓国メーカーのPROASTER。求めていたコストパフォーマンスとサイズ感に合うだけでなく、寺澤さんはメルボルンで、石山さんはアメリカでそれぞれ飲んで好印象を持ったコーヒーに使用されていた焙煎機ということで、白羽の矢が立った。Darestoreの味わい全てに通ずる方針は、「はっきりと個性が感じられるコーヒー、そして綺麗さ、甘さ、酸などのバランスが取れていること」。輸入業者については、産地との関わりを大切にしており、高品質の商品を扱っていることを基準に選んでいる。 コーヒーそれぞれのキャラクターが感じられる焙煎度合いを探し、スモーキーさや苦さが出ないように調整を重ねているというDarestoreの焙煎。焙煎度合いは浅煎りから中浅煎りまでに限っており、ラインナップは常時4−5種類、ローテーションは3ヶ月に1回ほど行う。個性が異なるコーヒーを揃え、選ぶ楽しみも増すように工夫しているのだという。その中でも、「コーヒー飲みたいな、と思った時に皆がイメージする味わいに近いバランス」で、一番落ち着く味だと感じるブラジルは一年を通して販売している。いつでも安心してほっと一息つける場所、そして楽しく新しい出会いもある場所。コーヒーのセレクションを聞いただけでも、Darestoreの居心地の良さが伝わってくる。 将来への展望 仙台のコーヒーカルチャーの特徴は?と尋ねると、まずは「カフェ同士の交流があること」と寺澤さんは言う。コーヒーカルチャーの発展には、横のつながりや業界全体の盛り上がりが欠かせない。力を合わせていける環境はコミュニティの大きな強みになるだろう。 消費者に関しても、特別、「スペシャルティコーヒー」として確立しているものはまだないけれど、Darestore一つ見ても、年代問わず様々な人々が思い思いにコーヒーを楽しむ様子には、これからの仙台のコーヒーシーンの行き先の明るさを感じるという。 「Darestoreの短期的な目標としては、焙煎所を作ったり、焙煎量も増やしていきたいと思っています。ただ、自分たちだけが大きくなっていくというよりは、もっとたくさんの人たちに美味しいコーヒーを飲んでもらって、仙台のマーケット自体を大きくして、全体として仙台のカフェやコーヒーの産業が栄えていくのが一番だと考えています。コーヒーは家で飲む人も多いですし、スペシャルティコーヒーを家で淹れる楽しさをもっと発信するために、ワークショップも開催しています」と寺澤さんは説明する。 同じ将来を見つめながら、スタッフがそれぞれに才能を開花させ、仙台の人々の暮らしに美味しいコーヒーを届け続けているDarestore。これからも仙台を代表する存在として、人々の生活に豊かな香りをもたらす事だろう。

NAGASAWA COFFEE (岩手) : 2019年11月#クラスパートナーロースター

次にご紹介する#クラスパートナーロースターは、岩手・盛岡のNAGASAWA COFFEE。東日本大震災の翌年、2012年のオープンから今年で7年。オープンまでの道のりや、盛岡のコーヒーシーンを引っ張ってきたNAGASAWA COFFEEが見つめる岩手のコーヒー文化の変化などを、代表の長澤さんに伺った。 NAGASAWA COFFEEができるまで 20代の頃、コーヒーの卸業に携わったことがきっかけで、コーヒーに興味を持ったという長澤さん。それ以降、NAGASAWA COFFEE立ち上げの2008年までは、その他様々な職種を経験しながら、コーヒーはあくまでも、しかし真剣な趣味として勉強を続けた。 「自分が美味しいと思うコーヒー屋さんに、地元で出会えていなかったのがきっかけかもしれません。自分で作ってみたい、自分でやったらどうなるんだろう、という興味から自家焙煎を始めました。手網から始めて、自宅にプレハブ小屋を建てて3キロのフジローヤルで焼くところまで。2008年に開業してからは、催事の出店やネット通販を行なっていました」と長澤さんは説明する。 実は長澤さんは、20代から30代まで、会社勤めをしながら、スノーボーダーとしても活躍していた。「スキー場じゃないような雪山にもよく滑りに登っていて、そんな時にはいつもコーヒーをポットに詰めて持って行った。それでコーヒーが自分にとってより欠かせないものになったように思います。山で飲むコーヒーは本当に美味しくて、味を突き詰めるという意味での『美味しさ』とはまた別に、周りの環境や空気感で味が変わること、そういう意味での美味しさを理解するようになりました」そう長澤さんは振り返る。 その内に漠然と、コーヒーをまた仕事にしたい、という気持ちが芽生えてきたと話す長澤さん。現実はそんなに甘くない、という思いから長い間ためらっていたが、娘の誕生を機に、ライフスタイルに変化を起こす決断ができたのだという。それから数年は、会社勤めを続けながら技術を磨いた。そしていよいよ準備が整い、実店舗の図面も完成し、本格的にオープンすべく契約書に捺印するはずだった日の3日前、東日本大震災が起きた。 それまで積み上げてきたものが全て白紙に返ってしまい、まずは何より水や食べ物が手に入るかどうか、という最初の1ヶ月を乗り越えた時、長澤さんの心の中に、「自分には何ができるだろう?」という問いが浮かんだ。どこから始めれば良いのかわからないほど、どこを見ても目の前には惨状が広がっている。だが自分にはコーヒーがある、そう思いたった長澤さんは、コーヒーを淹れに、避難所を巡った。 「自分のこの先も分からないままやり始めたことでしたが、温かいコーヒーを提供した時に皆がすごく喜んでくれたんです。『美味しい、飲みたかったんだよなぁ』と言ってもらえました。その時の皆の喜んでいる姿や笑顔がとても印象的で、こちらもパワーをもらって。諦めないで、もう一回頑張ろう、そう思うきっかけになりました」と、長澤さんは当時の様子を振り返る。 震災の後3、4ヶ月が経った7月に避難所が閉鎖され、被災者が仮設住宅に移動し始めた頃にボランティアを終了し、本格的に店の開業準備に取り掛かった長澤さん。翌年の2012年に、無事盛岡にNAGASAWA COFFEEをオープンした。 「個人的には浅煎りが好きですが、震災時の経験から、よりたくさんの人に喜んでもらえるコーヒー作りを心がけるようになりました。なるべく多くの人に、という思いで、浅煎りから深煎りまでラインナップを広くとっています」と説明する長澤さん。長澤さんをはじめとするスタッフの皆様のあたたかさや、店のゆったりと居心地の良い空間には、長澤さんのこれまでの人生、そして忘れられない経験がしっかりと反映されている。 NAGASAWA COFFEEの焙煎 長澤さんが初めて買った焙煎機は、フジローヤルの3キロ。「コーヒーを仕事にする、と決めた時、生業にするには、3キロぐらいの規模のものを扱えるようにならなければダメだろう、そう思いました。それでいきなり3キロを買って、サラリーマン時代から夜な夜な色々な焙煎を試して。こうやったらああやったら、を一つずつ試しました。特にどこかで修行したわけではなく全て独学なので、人より時間はかかったと思います。でも、その経験があったから、こうすればこうなる、というのが今でも肌で分かるようになりました。」 それから3、4年が経ち、焙煎量も増えた。新しい焙煎機は、長澤さんが以前から憧れていたプロバットだ。フジローヤルの頃から、プロバットならどうなるだろう、とイメージしながら焙煎もしていたという。「ローリングも考えたのですが、あまりに『機械』すぎて、自分で焙煎してる感じがなくて。手網の頃から、自分の手で探りながらやっていたある意味古い人間なので、今でも匂いや音の要素をすごく大事にしていて、そういう所がローリングでは見え辛かったんです」と長澤さん。 さらにプロバットの中でも、長澤さんの心を射止めたのがオールドプロバット、UGだ。 海外のロースターを飲み比べていて、好きな味わいだと思ったものはほとんどがUGで焙煎されたものであり、さらにUGで焙煎されたコーヒーは劣化が遅く、日持ちが良いのだと長澤さんは説明する。ビンテージとあって入手するのは難しいかと思われたが、幸運なことに希望通りのモデルとの巡り合わせがあったのだという。当時の店には十分なスペースもなく、焙煎機を買ってしまえば移転もやむなしだったが、「今だ!」と思った長澤さんは迷わず購入を決めた。ドイツでのヘルツ変更、モーターの回転数の調整などのカスタマイズを経て、輸入・設置し、1ヶ月間の調整期間の後に新焙煎機での営業を開始した。 岩手のコーヒー文化とNAGASAWA COFFEE NAGASAWA COFFEEが始まった頃、岩手にはまだ「スペシャルティーコーヒー」という言葉は知られていなかった。歴史ある街にしっかりと根付いていたのは深煎りコーヒーの文化。馴染みのない浅煎りは受け入れられなかった。 「しばらくは深煎りばかり売れました。自分が良いと思っているものと違うものに人気があったり、自分の追い求めているものとのずれもかなり感じました。浅煎りの説明やプレゼンも大切にはしていますが、お客様が好みだというものにしっかりと合わせていける事も大切だと思っています」と長澤さんは言う。 多くの人の多様な好みに応えられるようにと焙煎する内に、深煎りも得意分野になった。しかし最近では、Single OやFuglenのコーヒーを出すカフェも出てくるなど、地域に浅煎りのコーヒーが浸透しつつあると長澤さんは感じている。7年間盛岡でコーヒーを出し続け、浅煎りの良さを知ってくれる人も増えた。他のカフェなどから相談を受ける事もあり、そんな時には自分の経験や知識を惜しみなく共有するという。 店舗の広さも印象的なNAGASAWA COFFEE。ゆったりとした空間は、地方都市ならではの強みだ。「この規模を東京で、個人事業でやるのは難しいと思います。東京でできないことをやりたい。都心は何でも早いし進んでいるし、地方の者からすると、キャッチして取り入れなきゃ、とばかり思いがちです。取り入れるのは良いのですが、それを盛岡に置き換えて、盛岡でしかできないことを考えて形にするようにしています。本質的なコーヒーの味はもちろんですが、飲む場所や環境でも味わいは変わるんだと言うことを念頭に、リラックスできるところで飲む空間を作れるよう、スペースを広めに取っています」、そう長澤さんは言う。 将来への展望 店舗を開業した翌年には、エルサルバドルを訪問し、それ以来タイ、エチオピアと、農園も訪問している長澤さん。実際に訪問することで、農園の置かれている状況や生産者の貧しさを目の当たりにした長澤さんは、自分たちだけでできる事は少しでも、現場の人々と繋がって、どうすればその人たちの生活が潤うのだろうと考えるようになったと言う。今後も取り組み続ける課題だ。 農園の訪問に加え、台湾でのポップアップや、東京・仙台などでのイベント出店など発信も欠かさないNAGASAWA COFFEEだが、やはり一番の目標は地元・盛岡への貢献だ。 「コーヒーの良さ、良いものの高級さを伝えるのも一つの仕事ですが、それ以上に掘り下げていきたいと思っています。美味しいコーヒーが日常で当たり前のものになってほしい。質のいいコーヒーが普通に街に溢れているような環境作りに貢献していきたいです。メルボルン、コペンハーゲンと、美味しいコーヒーで有名な都市を訪れると必ず感じることが、人々が美味しいコーヒーを当たり前に楽しんでいるところは、文化、芸術も同じく豊かであると言う事です。コーヒーはその場所の暮らしの豊かさの指標の一つになるのではないか。そう考えて、盛岡もさらに成熟していく上で、コーヒーを通してその役に立ちたいと考えています」と長澤さんは言う。NAGASAWA COFFEEは、岩手のこれからのコーヒーシーンに、これまで以上に欠かせない存在になっていく事だろう。

AKITO COFFEE (山梨) : 2019年10月#クラスパートナーロースター

次にご紹介する#クラスパートナーロースターは、山梨県・甲府のAKITO COFFEE。 緑の山々に囲まれた土地で、カフェ、そして2019年6月に味噌蔵を改装した焙煎所TANEをオープンし、その存在感はいよいよ増している。山梨の豊かな自然を活かしながら、スペシャルティーコーヒーという新たな文化の風を吹き込んだ人気ロースターだ。今回はそんな彼らの焙煎所を訪問し、オーナーの丹澤亜希斗(あきと)さんに、お話を伺った。 カフェと「人」 自らの名前を冠し、23歳でAKITO COFFEEをオープンしてから6年が経つ。 暮らし、働き、自分の手で将来を作り上げていくにはどんな道に進むべきか。そう自分に問いかけた時、サラリーマンをしている自分はイメージできなかった、と丹澤さんは言う。「自分のできることで生活できれば、と思って模索していました。自分はいろんな人たちに出会うのがすごく好きで、それならば飲食店だ、と思いました」と丹澤さんは振り返る。 早速、料理を勉強すべく、縁があった和食店で修行を始めた丹澤さん。技術は確かに身についたが、同世代の友人たちを気軽に誘えない価格設定や格式の高さがハードルとなり、当初想像していたほど気兼ねなく人々との出会いやコミュニケーションが取れない。悩む丹澤さんが次に出会ったのが、当時徐々に火がつき始めていたスペシャルティーコーヒーだった。「料亭やレストランでは、来てくれる人とダイレクトに交流を楽しむことは滅多にできないですよね。でもカフェって、初めましての人とのコミュニケーションから始まる場所。その気軽さや、お客さんにとって友達のような感覚で来てもらえるような特別な場所が作りたい。そう考えてコーヒーの勉強を始めました」と丹澤さんは話す。 技術を身につけるまで コーヒースタンドを立ち上げようーそう決めると、丹澤さんは独学で浅煎りの研究を始めた。店の構想は、一人でも回せる規模で、最低限の設備が整っていること。焙煎機はフジローヤルの1kg、そしてエスプレッソマシンもアッピアのワングループに決めた。 店をやるなら、故郷の甲府で、という思いは以前からあった。しかし当時山梨には昔ながらの喫茶店はたくさんあるものの、スペシャルティーコーヒー文化の存在感は薄く、行く先には不安もあった。だが、品質の良いものを山梨の人々へ届けたいという思い、そして自分が愛する場所で暮らしたい、という思いは強く、甲府に腰を据え挑戦する決意を固めた。 「自分一人しかいなかったので、お金がなくてしんどい、などのプレッシャーはありませんでしたが、技術や情報を得るのには本当に苦労しました。一人で黙々と勉強したり、東京に出てカフェを巡ってはバリスタの動きを観察したり、質問したり、とにかく情報を集めるのに必死でした」、そう丹澤さんは振り返る。技術を磨くというのはひたすらに自分と向き合い続けることだ。打ち勝つべき相手は昨日の自分。何年もかけて少しずつ腕を磨く中で、デビューしてすぐに美味しいコーヒーを作れる人を見てはとても悔しい思いをした事もあったという。その全てを起爆剤として、丹澤さんは努力を続けた。 情報は世界中から、と話す丹澤さんは、Market Laneや Coffee Collective、Tim Wendelboeなどの海外のロースターや、東京や地方都市のロースターなどのコーヒーを取り寄せ、とにかくプロファイルを分析したという。さらに知り合いがいる都内のロースターなどに頻繁に焙煎した豆を持ちこんでは、フィードバックをもらい、改善を重ねた。   「自分で同じように焼いてみてもうまく行かないことも多く、じゃあなんでこの人たちはうまく行くんだろう?そう考えて調べて行くうちに、豆のチョイスなどから、ロースターのコンセプトや特徴もわかるようになって来たんです」と丹澤さんは言う。特に感銘を受けたのが、地方都市のロースターで、その地方に合わせた焙煎をしているコーヒーに出会った時だ。「そのコンセプトが現れるような、色が出ているものを作れる人は本当にすごい、と思いました。まるでその先にいるお客さんが見えるような。豆の買い方も含めて、農家のことも真剣に考えながら、お客さんありきの焙煎ができている。そんなロースターさんはすごく尊敬しています」と、丹澤さんは目を輝かせる。   基本のスタンスは、「人と人」。スペシャルティーコーヒーの持つ壁を壊していきたい 「お客さんを区切りたくない、と言うのが昔からある気持ちです。わかる人にだけわかって欲しい、なんて思わないし、むしろなんとかしてその壁を砕けないかと模索してきました。地元で生活している人たちが、僕たちのコーヒーや会話を好きだと思ってくださるのがまず一番にあって、その中でいいものを出していられれば続いていく、という考え方です。周辺に住んでいる方々が、日常生活の中で、好きで寄ってくれる。それが一番です。日本一のコーヒーだろうが、関係ない。それは自分たちがバッチリやっていればいいことだと思っています。コーヒーのプロフェッショナルとして最前線でやっていても、店に立ったら人と人。コーヒーの話をしなくても、楽しい時間を過ごしてもらえれば」そうAKITO COFFEEの姿勢を説明する丹澤さん。 この仕事を始めたのも、人と出会い、関わる事が大好きだったから。そこから長い道のりの中で技術を身につけ、山梨を代表するロースターとなった今でも、その姿勢は変わらない。 スタッフやビジネス展開に対する考え方も同じだ。まずは身の丈にあっている事、自由である事。人がいて、初めてその結果、物事が動く。都内から山梨が好きで移住してきてくれた人、コーヒーをやりたい、と情熱を持って訪れてくれた人、焼き菓子ができる人、そんな人たちに出会えた結果、今のAKITO COFFEEの形が出来上がったのだ。「店の構想ありきではなく、こういう人がいて、縁があって、加わってくれた人たちが店の中でどうやって活躍できるか、それを考えて、目の前のことをこなしていたら結果的にこうなりました。こんな大きな焙煎機を買う日が来るなんて想定していなかったです」と丹澤さんは笑う。 そうやって、あくまでも「人と人」を大切にしてきたからこそ、誰もが気軽に立ち寄れ、好きなことを思い切り突き詰めて楽しめるような、自然体でいられる居心地の良さが店内外に溢れ、AKITO COFFEEの魅力になっているのだろう。 地方で挑戦することの強み AKITO COFFEEでは、その時々の旬の果物など甲府の名産品を使用したスイーツメニューも揃う。山梨の自然の豊かさをたっぷり味わえると人気だ。甲府という地を選んだことで、どんな違いが生まれたのか。 地方でやって行くことの強みとは?と聞くと、「いいことしかない、悪いことなんて見つからないですよ」と丹澤さんは断言する。自然も豊かで、土地は広々とし、人間が生活する上で必要なものが揃っている山梨。この地で育ち、住んでいた頃には当たり前すぎて気がつかなかった環境の良さに、都会に出て初めて気がついたのだと言う。 「何に関しても都会の方がクオリティが良い、という風潮はまだ強いと思います。でも、この豊かな環境の中で、技術面やクオリティを磨き、全国クラス、世界クラスのことを実現できれば、どこも敵わないようなものを生み出せると考えています。それが地方への注目にもつながる。コーヒーは、カップをとれば実力がはっきり分かります。自分たちはまだ無名でも、カップをとってもらえれば絶対にそのクオリティがわかる、そう思って努力してきました」と丹澤さんは話す。   AKITO COFFEEの焙煎 強い意志と弛まぬ努力はしっかりと実を結び、山梨を代表するロースターに成長したAKITO COFFEE。大型焙煎機を導入した焙煎所、TANEのオープンもその成果だ。 そんな新たなチャプターの相棒にローリングを選んだのは、自分の求める味を的確に表現できるマシンだと感じたから。少量だけに操作も難しく、常に焙煎し続けなければ追いつかなかった従来の1kgと比べれば、結果の安定性も増し、時間にも余裕ができたのだと言う。現在では週に一回の焙煎日以外は店に立ち、現場ならではの新鮮なフィードバックをお客さんやスタッフ、そしてカップに落とし込む自らの手から得ている。 「コーヒーを選ぶ中で大切にしているのが、日常的であることです。グリーンを買う金額も、お客さんに買っていただく金額も、日常的であることが常に頭にある。トップクオリティの味わいも知っていますが、そこに固執した結果プロだけが美味しいと言って、お客さんは分からない、そんなものはいらないと思っています。だから一杯数千円のもの等は絶対に出しません。ただクオリティは数千円になるように。カップに届いた時に、やっぱり美味しいな、と思ってもらえる事を重視しています」と丹澤さん。 オープン当時に比べれば、スペシャルティーコーヒーへの理解も進んでいると丹澤さんは感じている。AKITO COFFEEでは、浅煎りのみ、などの決まりは設けておらず、それぞれの豆にあったローストを行なう。「豆に個性があり、それに合わせた焙煎を行う事で美味しい一杯に繋がる、その事を理解して飲んでくれる人が増えて来たのは間違いありません」そう丹澤さんは微笑んだ。   AKITO COFFEEのこれから 「今後、スペシャルティーだけを焼いていこうとは考えていません」と丹澤さんは話す。 上澄みだけを掬っていくのではなく、その下のレベルとされる生産物の質も総合的に引き上げて行くような仕組みを作り、いいところ取りに終わらない、農園との信頼関係を構築したいと考えているのだと言う。 「農園から、この人に焼いてほしい、と選ばれるぐらいのロースターになりたいんです。そうじゃなきゃ、みんな美味しい豆を使って美味しいコーヒーを焼いて、同じですよね。このレベルを争ってる時代は長くないと思っています。どうグリーンを買い付けて、どう農家さんに還元していけるかーここがまだ全然弱いなと感じています。」そう話す丹澤さんの眼差しは、人と出会い歩んで行く未来を、しっかりと見据えている。  

TRUNK COFFEE (名古屋): 2018年1月 #クラスパートナーロースター

次にご紹介する#kurasucoffee提携ロースターは、名古屋のTRUNK COFFEE 。Kurasuが始まった頃からお付き合いいただき、私達が長く尊敬するロースターだ。オーナーの鈴木さんに、改めてお話を伺った。 サラリーマン時代、そして旅への予感 旅行代理店であるHISで社会人生活をスタートさせた鈴木さん。現在共に経営を担い、ロースターとして活躍する田中さんは実は職場の後輩にあたる。もちろん当時は将来ともにコーヒーに携わるパートナーとなるとは予想だにしていなかった。 3年間勤めた後、鈴木さんは退職、かねてからの夢だったヨーロッパに移住を決める。英語圏の国として候補に挙がったのがイギリス、アイルランド、そしてマルタ。「知らないから面白そうだな」という理由でマルタを選んだ思い切りの良さには、バックパッカーをしていた学生時代に培ったフットワークの軽さから来るものだろう。 勝ち取りに行ったもの マルタで暮らす間、週末はLCCを使い色々な国を訪れた。道中訪れたカフェは様々だったが、多くのカフェに共通していたのが、独特の時間の流れ方を持ちながら、人々のライフスタイルの中にきちんと居場所のある空間だ。日本のそれまでの喫茶店の在り方とあまりに違うその姿、そして社会の中での価値の高さにあこがれを感じたとともに、そういった空間に身を置いて生活したいという気持ちが芽生えはじめた。 コーヒーやカフェ経営については全くの素人だった鈴木さん。カフェ文化を学びたい、そう思い、選んだ次の目的地は世界チャンピオンを一番多く輩出しているデンマーク。 そうして住み始めたコペンハーゲンで、鈴木さんは当初の目的であったカフェよりも、コーヒーそのものの魅力にどんどん引き込まれていくことになる。  しかしまず一番に苦労したのがやはり働き口だ。日本人がデンマークで働いている前例がとにもかくにもない。3か月頑張って仕事が見つからなければあきらめよう、そう決意し、鈴木さんはコペンハーゲン中のカフェを回った。「コーヒーが好き」というだけで、実務経験もなく、英語は話せてもデンマーク語は話せない。スキルも経験もない外国人に、チャンスを与えてくれる場所はなかった。季節は冬。春はまだ遠く、暗さと寒さを耐え忍びながら迎えた3か月目、5日間だけ無給で教えてあげてもいい、という店が見つかった。ごく近所の人しか訪れない、店の名前もないような場所。しかし鈴木さんにとってはまさに希望の糸口。5日間がむしゃらに食いついて、6日目。ここで鈴木さんの底力が顔を出す。なんと鈴木さんは、素知らぬ顔で出勤したというのだ。不思議と店の人々も何も言わない。それから3か月間、鈴木さんはつかんだチャンスを決して逃すまいと毎日店に出た。その間はもちろん無給だ。 空き時間にはコーヒーコレクティブやエステートコーヒーなど、幾多もの有名店に通い詰め、スタッフを質問攻めにし、貪欲に知識を吸収しては、店に戻って場数をこなし腕を磨いた。そうしていくうちに、気づけばしっかりと技術が身につき、店に欠かせない人材になっていた鈴木さん。ついに店員として正式に雇われる身となった。 帰国から独立まで 1年半のデンマーク生活では、さらに貴重な出会いもあった。友人のつてで、当時すでにFuglen Coffee Roastersでバリスタとして勤務していた小島さんを紹介してもらったのだ。1週間ほど、デンマークにカフェ巡りにやってくるという小島さんに寝場所を提供する代わりに、トレーニングをしてもらうという約束を取り付けた。それに合わせてグラインダーとエスプレッソマシンとを自宅に用意するという力の入れようだったという。 その後、フグレントウキョウのオープンが決まる。北欧でバリスタ経験を持つ日本人が小島さんと鈴木さんだけだったため、オープニングスタッフとして働かないかと声がかかったのだ。 東京に拠点を移し、フグレントウキョウの開店準備に着手した鈴木さん。壁を塗るところから手がけたという思い入れのある店舗では、ヘッドバリスタに加え個人的な趣味でもあったヴィンテージ家具のセレクション・管理も担当し、店長の小島さん、バー営業担当者との3人だけで営業をスタート。その後2年間フグレントウキョウを支え、独立に至る。 市場調査を経て決めたのは、地元・名古屋。名古屋には独特のカフェ文化が存在する。実は岐阜県に続き、喫茶店での消費活動が日本で二番目に盛んなのが愛知県なのだという。既存の、それも大規模なマーケットを動かすのは容易ではない。しかし、そこに挑戦のし甲斐を感じた。「オンリーワンならナンバーワン」が当時のモットーだった、そう鈴木さんは語る。 田中さんとのチームワーク 「自分は攻めしか知らないんです。でも田中君は散らかしたものをしっかり片付けてくれる、僕とは正反対の存在。そういう意味で信頼できるんです」と鈴木さんは言う。 店を持つにあたり、一つ決めていたのが、コーヒー業界の人とは組みたくない、ということだったという鈴木さん。その理由が、北欧と日本をそれぞれ観察して気が付いた日本のロースターのビジネスに対する態度の特異さだ。コーヒーはあくまでもビジネス、そのサービスのクオリティを高く保つのは当然、しかしそれはお金になってこそという北欧でのあり方に比べ、日本ではクオリティをまず重視するあまり、予算を度外視したり、お金は後からついてくるという考えで経営をしているところが多いと感じた。 そこで、職人気質な業界の風潮に左右されず、違う動きができるパートナーとして頭に浮かんだのが田中さんだったのだ。 その後オープンまでの半年間、二人で1か月ほどデンマークに滞在し、価値観の共有や目指す味わいのすり合わせを行った。デンマークでは世界チャンピオンが在籍するような有名店でも、聞けば非常にオープンに技術について話をしてくれる。実際に作業を経験させてもらうなど、非常に有意義な滞在となった。 その後友人が経営する店の釜を借りて1週間、ひたすら焼き続けてはプロファイルを固めた。フレーバーのイメージは北欧のスタイルがベースであり、そこから日本の水質に合わせて微調整を繰り返した。 少し離れていても人が来る、それをバロメーターとするべく、中心街からはあえて少し離れた場所に店を構えた。店舗では、最低でも週に三回ほど、多い時は毎日焙煎を行い、抽出されたコーヒーの姿にしかなじみがない人々に積極的に焙煎の現場を公開している。焙煎量は季節によって異なるが、夏季にはおよそ400-600㎏ほどを焙煎する。 開店当初はスペシャルティコーヒーを知っているという人がまだ少なく、とにかく酸っぱいのが嫌だ、という人も多かったという。農園や生産国の情報にもあまり興味を示さなかった人が多かった当時に比べ、自分の好きなものをちゃんと持っている人が増えた、日本市場は変わったと鈴木さんは語る。 現在は週二回のフリーカッピングや、東京の友人バリスタと互いにゲストバリスタとしてイベントを行うなど、とにかく人々に継続的にコーヒーに触れてもらう機会を絶やさないようにしている。 今年2店舗をオープンし、3店舗目は商業施設に入る予定だ。同じフロアにスターバックスとファミリーマートが並び、従来のチェーン店の中に選択肢としてスペシャルティコーヒーが挙がってきたことに、一歩進んだという手ごたえを感じたという。 先日韓国で開催されたWBCで地元名古屋よりも多くの人々に声をかけられたことに却って不甲斐なさを感じたという鈴木さんだが、車社会の名古屋において重要な地位を占める大型商業施設での健闘に期待が膨らむ。 TRUNK COFFEEが提案する新しい形 産業の垣根を越えてあっと驚くようなコラボレーションを行っている事でも知られるTRUNK COFFEE。地元サッカーチームの名古屋グランパスと協力し、スタジアムでグッズを販売したり、最近では地域名産である仏壇の青年会に声をかけ、なんと仏壇づくりの技術でエスプレッソマシンカバーを制作してみないかと提案したという。 さらに岐阜県の名産である美濃焼とのコラボレーションで生まれたORIGAMIシリーズは、カラフルな色合いとモダンなデザインが伝統工芸品の敷居の高さを感じさせないマグやドリッパーが印象的だ。この商品のヒットをきっかけに、生産工場にUCCのラッキーコーヒーマシーンやFBCインターナショナルといった有名企業から発注が入るようになったという。鈴木さんの枠にとらわれない発想が地域産業の発展を助けた一例だ。 誰とでも絡めるのが地方の魅力と話す鈴木さんは、高島屋、JRA、ボルボなどといった様々な産業の企業との提携に加え、日本で初めてブリュワーとロースターが協力して作り上げたコーヒービールを志賀高原ビールから発売。「TRUNKのロゴが日本中の酒屋に並ぶなんて、すごいことです」と目を輝かせる。 「せっかく名古屋にあるんだから、地域と絡んで動いていきたい。コーヒー業界の垣根を取り払って、一緒に立ってみて感じてみないと判断できないことがあるんです。ここにTRUNKがあったから変わったね、という何かをやっていきたい」と鈴木さんは言う。 世界中を巡った思い出や、珍しいお土産がぎゅっと詰まった旅行鞄を広げるように、そして、次に何が出てくるかワクワクさせてくれる手品鞄のように。TRUNK COFFEEはいつも、変わり続ける世界を私たちに見せてくれる。  

x