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Craftsman Coffee Roasters (山口):2019年3月 #クラスパートナーロースター

次にご紹介する#クラスパートナーロースターは、山口県下関のCraftsman Coffee Roasters。2016年10月にオープンし、「自分たち、そして自分たちのお客様と豊かに暮らしていくにはどうしたら良いか」を考え提案していく存在として下関で絶大な支持を得ているカフェ・ロースターだ。今回のインタビューでは、下関市地方卸売市場内に焙煎によりフォーカスした店舗としてオープンした、THE LAB.に伺った。   同じく下関市内にあるカフェにはいつも暖かい笑い声が溢れ、常連客と会話を楽しみながらおいしいコーヒーを淹れているバリスタのバックグラウンドは、元消防士など多彩だ。更にオーナーの二人、高城さんは北海道育ちで、青山さんは横浜育ち。あらゆるものが一見意外な組み合わせでできているCraftsman Coffee Roastersは、しかしその複雑な魅力とそれゆえの強みを持ち、下関全体の地域産業活性化に貢献するほどの有名店だ。「彗星の如く現れた」と評されることもあるというCraftsman Coffee Roastersができるまで、そして彼らの魅力の秘密に迫った。   高城さんのストーリー   高城さんは静岡県に生まれ、北海道で少年時代を過ごした。大学は神奈川の東海大に進み、イタリアンレストランでのアルバイトを通して飲食業界に足を踏み入れることになる。母体であるグループの、地場産業プロデュースや地産地消を通して地域に貢献し、人々の暮らしを豊かにすることをコンセプトとした企業理念に非常に共感した高城さんは、大学卒業後も大学職員として勤務しながら、更に1年その企業でのアルバイトを続けることにした。そこでカフェ業務に異動になったのが、コーヒーとの出会いのきっかけだ。   その後家業の米農家を継ぐために下関へと移住した高城さん。閑散期と繁忙期の差が激しく、更に副業もしていたが、それでも食べていくのが難しいという現実に直面することになる。そこで経験を活かして飲食業を始めようと思い立ったのが、Craftsman Coffee Roastersの始まりだ。   「レストランなどの業態では、同じお客さまには多くて月に1回ほどしか会えません。そう毎日いく場所ではないですからね。でも、僕はもっとカジュアルに、自分のマンパワーがダイレクトに伝わるような場にしたかった。そこで、毎週のようにお客さまに会える場を、と思い、単価の低いカフェや珈琲屋さんをやろう、そう考えたんです」と高城さんは説明する。高城さんは早速バリスタである幼馴染の協力を得て、カフェをオープンすることになる。     青山さんのストーリー   フランス生まれ、横浜育ちの青山さんは、スポーツマネジメントを学んだ東海大学で高城さんと出会った。スポーツイベントを一緒に企画・運営するなど、高城さんとは学生時代に大いに活動を共にし、強い信頼関係を築き上げた。卒業する頃には、将来何か一緒にやりたいね、と言い合った。   その後はスポーツメーカーに就職し、東京や名古屋で営業として活躍した青山さん。ブランド価値を大切にし、直営店ビジネスを主に行う企業の一員として、店舗のマネジメントやスタッフ教育など、今の仕事に直結する素晴らしい経験を積んだ。やりがいのある職場で、自身の成長も実感していたが、漠然と、やりたいことを先延ばしにしていたら、いつかできなくなってしまうのでは、という思い、そして高城さんとの約束が頭をよぎるようになったと青山さんは振り返る。その頃熊本で地震が起こり、母校の阿蘇校舎に通う学生が亡くなったという痛ましい知らせを聞き、これ以上先延ばしにはできない、という思いが決定的になったという。   下関に移住した高城さんをよく訪ねていたという青山さんは、Craftsman Coffee Roastersのカウンター席に座っては、スタッフの接客や店の雰囲気などを時折眺め、自分なりに思ったことを高城さんに伝えたり、イベントがあれば手伝ったりなどしながら、早い時期からカフェの経営に関わっていた。「毎日のように連絡を取り、店の売上やその日の出来事、またイベントの戦略など、離れていても生活の3分の1ほどは一緒に過ごしているような形でした。イベントの戦略を立て、反省会をして・・・そういうのがすごく楽しかったです」と青山さんは振り返る。   更に名古屋営業時代に遊びに来てくれた高城さんにTRUNK COFFEEを紹介され、すっかり気に入った青山さんはその後、毎日のように通うほど、コーヒーのある暮らし、そしてコーヒーそのものに興味を持つようになっていた。コーヒーのある暮らしを提供するにはどうすればいいか?気づけば青山さんの心の中に、「やりたいこと」が芽生えていた。   ところ変わって下関では、高城さんが頭を悩ませていた。スペシャルティコーヒーに通じたバリスタに、最高の一杯を出してもらっている。しかしなぜかそれではうまくいかない。良し悪しの基準の置き方、正解・不正解がはっきりと決まっているもの、そのスタイルが、この街に今ひとつしっくり来ていないと感じていたのだ。   そこで高城さんは、大きな決断をする。話し合いを持ち、当時のバリスタに、店のコンセプトと街が求めているものにおそらくずれがあること、このままではいけないことを伝え、断腸の思いで解雇したのだ。   それに伴って店の顔ぶれも大きく変わることになるー常連客の一人が、消防士を辞めてカフェで働きたいと申し出てくれたのだ。そうして少しずつメンバーが揃いはじめ、青山さんを正式に共同経営者として迎え入れると、次第に店の運営も波に乗りはじめた。外交の高城さん、ソフトの青山さん、と、役割分担もはっきりとし、現在のCraftsman Coffee Roastersが出来上がった。「共同経営ってよく反対されるんです。でも僕たち二人は、かならず落としどころを見つけられる。喧嘩は絶対しないです」と高城さん。二人の約束がついに実現した。   Craftsman Coffee Roastersの焙煎   スペシャルティコーヒーを地域に受け入れてもらうにはどうしたらいいか。高城さんらが出した答えは、一般的なスペシャルティコーヒーの評価基準だけでなく、良し悪しの基準を、自分たちの中にしっかりと確立すること。そして、それを自分たちの言葉で言語化できるようにすることだった。   スタッフそれぞれの胸の中には、初めてスペシャルティコーヒーと出会った時の体験が今も残っている。お店に来てくれる人がこれから体験するかもしれないその瞬間。それに寄り添って、相手の立場に立ったコーヒーの説明ができれば、きっと伝わるものがある。高城さんらは、そう考える。   甘さとクリーンな味わいを大切にするCraftsman Coffee Roastersの焙煎機は、Probatの12kg。初期から使用しているフジローヤルの半熱風5kgは、深めの焙煎を行う時に稼働させる。焙煎は高城さんを含めた3人のスタッフが担当し、まずは丸山珈琲など大手が採用するレシピやセオリーに沿って焙煎する。改善点があれば、自分たちなりに工夫を加え、調整するという流れだ。更に現場ではバリスタがそれぞれのコーヒーをいかに美味しく抽出できるかをサーブする時の気温なども含めて細かく調整する。 決まった抽出レシピがあるわけではなく、その焙煎の良さをいかに引き出せるかはバリスタの腕にもかかっている。自分のこだわりをのびのびと表現できる、バリスタにとってもやりがいのあるチームプレーなのだ。     Craftsman Coffee Roastersと下関のコーヒー事情   世界的にコーヒーが有名なブラジル・サンパウロの姉妹都市だという下関。その影響か、昔から喫茶店は多く、旧市内の人口は18万人程度だった時代から、自家焙煎所が10軒ほどもあるという。飲食店全体の中での割合としても非常に大きい数だと高城さんは説明する。「元々コーヒーを飲む習慣がある人は多く、印象としてはそのほとんどが50歳代のお客様です。ただ、昔ながらのコーヒーに親しんでいて、スペシャルティーコーヒーという言葉に馴染みのない方が多く、オープンしてから半年、1年ほどは『酸』という言葉を口にした途端敬遠されてしまう事がほとんどでした」そう高城さんは振り返る。   スペシャルティーコーヒーとはこういうものだ、とただ押し付けてもうまくはいかない。しかし、従来の深煎りとは全く味わいが異なるのも変えられない事実だ。そこで役に立ったのは、Craftsman Coffee Roastersが焙煎・抽出を通して培った「言語化できる力」だった。フレーバーノートなど、カップの中にある味わいを言語化して紹介し、宝探しのようにその味を探しながら飲んでもらうというサービスを取り入れたのだ。   すると次第に、人々の酸に対する考え方が変わってきた。「この間はこれを飲んだから今日はこちらを試してみよう」と色々な味わいに挑戦してくれるようになった人も増え、ただ「酸っぱい」で終わらせるのではなく、前向きなコミュ二ケーションが生まれるようになったというのだ。提供するものも焙煎度合いも、コーヒー自体は以前と変わらず、自分たちがおいしいと思うもの。それを紹介する作業への向き合い方を変えた事で、人々の意識まで大きく変える事ができたのだ。   下関港、門司港は古くからの観光名所だが、最近ではCraftsman Coffee Roasters目当てにタクシーやレンタカーで訪れる人の数が増えた、と青山さんは言う。特に近隣のアジア圏からの観光客はソーシャルメディアやGoogleなどにしっかりとレビューを残してくれる人が多く、またその情報を元に更に多くの人がコーヒーを楽しみに来てくれるのだという。 「時には、英語も日本語も話せないけれどインターネットで見たから、と言って来てくださる方もいらっしゃいます。僕たちもきちんとご対応できるようにしないと」と青山さんは背筋を伸ばす。     「豊かな暮らし」への歩み   これからの展望は?と尋ねると、「僕、いつかお花屋さんをやりたいんです」と高城さんが答えた。「豊かな暮らしにつながると思うものなら、何でもやりたいと思っているんです」と青山さんが続ける。「これまでは、目の前のお客さまや自分たちの豊かさを考えて来ました。今後はそれを地域社会へ広げられたらと考えています。」   昨年、下関の企業30店ほどに協賛を得て開催した、下関の魅力を発信するイベントは3000人を動員する大成功のうちに終わった。今年もすでに何件もの依頼が入っているという。「街自体に貢献しながら、素敵なお店が増えて行ったり、自分たちのお店も含めてコミュニティを活性化するのがこれからの目標です」と青山さんは説明する。  他の業態とのコラボレーションも積極的に検討するのがCraftsman Coffee Roastersの柔軟さだ。地域にまだないものや、魅力あるものを探す取り組みの中で、ワークショップなどを通してつながりを生み出していく。  「Craftsman Coffee Roastersにはマニュアルがありません。その代わり、何となくやってみる、ということはしません。それぞれが一人のcraftsmanとして、そしてCraftsman Coffee Roastersとして皆で考えた結果、やってみて失敗してもそれはあくまでも結果として捉え、次に活かすんです」、そう高城さんは話す。   「Craftsman=職人」として、コーヒーに関する技術を磨き続ける職人であるのは当然のことながら、その自負は、コーヒーだけにとどまらない。店で提供するスイーツや食事、店全体の空気を含めた店づくりに至るまで、徹底して自分たちの手で行う、そんな想いが、Craftsman Coffee Roastersという名前にはこめられているのだ。今後は個性豊かなスタッフの色ももっと前面に出していきたい、ディスプレイも工夫したい、と目を輝かせる高城さんと青山さん。二人の情熱は起爆剤となり、これからも下関を大きく変えていくことだろう。

Craftsman Coffee Roasters (山口):2019年3月 #クラスパートナーロースター

次にご紹介する#クラスパートナーロースターは、山口県下関のCraftsman Coffee Roasters。2016年10月にオープンし、「自分たち、そして自分たちのお客様と豊かに暮らしていくにはどうしたら良いか」を考え提案していく存在として下関で絶大な支持を得ているカフェ・ロースターだ。今回のインタビューでは、下関市地方卸売市場内に焙煎によりフォーカスした店舗としてオープンした、THE LAB.に伺った。   同じく下関市内にあるカフェにはいつも暖かい笑い声が溢れ、常連客と会話を楽しみながらおいしいコーヒーを淹れているバリスタのバックグラウンドは、元消防士など多彩だ。更にオーナーの二人、高城さんは北海道育ちで、青山さんは横浜育ち。あらゆるものが一見意外な組み合わせでできているCraftsman Coffee Roastersは、しかしその複雑な魅力とそれゆえの強みを持ち、下関全体の地域産業活性化に貢献するほどの有名店だ。「彗星の如く現れた」と評されることもあるというCraftsman Coffee Roastersができるまで、そして彼らの魅力の秘密に迫った。   高城さんのストーリー   高城さんは静岡県に生まれ、北海道で少年時代を過ごした。大学は神奈川の東海大に進み、イタリアンレストランでのアルバイトを通して飲食業界に足を踏み入れることになる。母体であるグループの、地場産業プロデュースや地産地消を通して地域に貢献し、人々の暮らしを豊かにすることをコンセプトとした企業理念に非常に共感した高城さんは、大学卒業後も大学職員として勤務しながら、更に1年その企業でのアルバイトを続けることにした。そこでカフェ業務に異動になったのが、コーヒーとの出会いのきっかけだ。   その後家業の米農家を継ぐために下関へと移住した高城さん。閑散期と繁忙期の差が激しく、更に副業もしていたが、それでも食べていくのが難しいという現実に直面することになる。そこで経験を活かして飲食業を始めようと思い立ったのが、Craftsman Coffee Roastersの始まりだ。   「レストランなどの業態では、同じお客さまには多くて月に1回ほどしか会えません。そう毎日いく場所ではないですからね。でも、僕はもっとカジュアルに、自分のマンパワーがダイレクトに伝わるような場にしたかった。そこで、毎週のようにお客さまに会える場を、と思い、単価の低いカフェや珈琲屋さんをやろう、そう考えたんです」と高城さんは説明する。高城さんは早速バリスタである幼馴染の協力を得て、カフェをオープンすることになる。     青山さんのストーリー   フランス生まれ、横浜育ちの青山さんは、スポーツマネジメントを学んだ東海大学で高城さんと出会った。スポーツイベントを一緒に企画・運営するなど、高城さんとは学生時代に大いに活動を共にし、強い信頼関係を築き上げた。卒業する頃には、将来何か一緒にやりたいね、と言い合った。   その後はスポーツメーカーに就職し、東京や名古屋で営業として活躍した青山さん。ブランド価値を大切にし、直営店ビジネスを主に行う企業の一員として、店舗のマネジメントやスタッフ教育など、今の仕事に直結する素晴らしい経験を積んだ。やりがいのある職場で、自身の成長も実感していたが、漠然と、やりたいことを先延ばしにしていたら、いつかできなくなってしまうのでは、という思い、そして高城さんとの約束が頭をよぎるようになったと青山さんは振り返る。その頃熊本で地震が起こり、母校の阿蘇校舎に通う学生が亡くなったという痛ましい知らせを聞き、これ以上先延ばしにはできない、という思いが決定的になったという。   下関に移住した高城さんをよく訪ねていたという青山さんは、Craftsman Coffee Roastersのカウンター席に座っては、スタッフの接客や店の雰囲気などを時折眺め、自分なりに思ったことを高城さんに伝えたり、イベントがあれば手伝ったりなどしながら、早い時期からカフェの経営に関わっていた。「毎日のように連絡を取り、店の売上やその日の出来事、またイベントの戦略など、離れていても生活の3分の1ほどは一緒に過ごしているような形でした。イベントの戦略を立て、反省会をして・・・そういうのがすごく楽しかったです」と青山さんは振り返る。   更に名古屋営業時代に遊びに来てくれた高城さんにTRUNK COFFEEを紹介され、すっかり気に入った青山さんはその後、毎日のように通うほど、コーヒーのある暮らし、そしてコーヒーそのものに興味を持つようになっていた。コーヒーのある暮らしを提供するにはどうすればいいか?気づけば青山さんの心の中に、「やりたいこと」が芽生えていた。   ところ変わって下関では、高城さんが頭を悩ませていた。スペシャルティコーヒーに通じたバリスタに、最高の一杯を出してもらっている。しかしなぜかそれではうまくいかない。良し悪しの基準の置き方、正解・不正解がはっきりと決まっているもの、そのスタイルが、この街に今ひとつしっくり来ていないと感じていたのだ。   そこで高城さんは、大きな決断をする。話し合いを持ち、当時のバリスタに、店のコンセプトと街が求めているものにおそらくずれがあること、このままではいけないことを伝え、断腸の思いで解雇したのだ。   それに伴って店の顔ぶれも大きく変わることになるー常連客の一人が、消防士を辞めてカフェで働きたいと申し出てくれたのだ。そうして少しずつメンバーが揃いはじめ、青山さんを正式に共同経営者として迎え入れると、次第に店の運営も波に乗りはじめた。外交の高城さん、ソフトの青山さん、と、役割分担もはっきりとし、現在のCraftsman Coffee Roastersが出来上がった。「共同経営ってよく反対されるんです。でも僕たち二人は、かならず落としどころを見つけられる。喧嘩は絶対しないです」と高城さん。二人の約束がついに実現した。   Craftsman Coffee Roastersの焙煎   スペシャルティコーヒーを地域に受け入れてもらうにはどうしたらいいか。高城さんらが出した答えは、一般的なスペシャルティコーヒーの評価基準だけでなく、良し悪しの基準を、自分たちの中にしっかりと確立すること。そして、それを自分たちの言葉で言語化できるようにすることだった。   スタッフそれぞれの胸の中には、初めてスペシャルティコーヒーと出会った時の体験が今も残っている。お店に来てくれる人がこれから体験するかもしれないその瞬間。それに寄り添って、相手の立場に立ったコーヒーの説明ができれば、きっと伝わるものがある。高城さんらは、そう考える。...

TAKAMURA Coffee Roasters (大阪):2019年1月 #クラスパートナーロースター

次にご紹介する#クラスパートナーロースターは、大阪・西区に位置する西区にあるワインとコーヒーの専門店、TAKAMURA Coffee Roasters. 大きな倉庫のような外観と、高い吹き抜けの天井、大きなガラス窓からさんさんと陽の光が差し込む店内には、思わず圧倒されてしまうほどの数のワインボトルがずらりと並んでいる。1992年の創業以来、輸入食品や雑貨なども幅広く取り扱うリカーショップだったというTAKAMURA Coffee Roastersが、ワインとコーヒーの専門店として生まれ変わったのは2013年の事。サービス内容の専門性を高め、深い知識と高い技術を持つスペシャリストがお客様のお問い合わせにしっかりと応えられる場にしたいーそんなオーナーの思いにより、大改装が行われて以来、大阪を代表する存在として業界をけん引している。   元々リカーショップということもあり、店の専門はワインだ。しかしワインに関しては生産者の顔が見え、テロワールについてもきめ細やかに説明を受けられる一方で、食後のコーヒーが今ひとつというレストランも多い事に着目したオーナーが、コーヒーもワインと同じくらいしっかりと品質の良いものを提供したい、そう考え現在の二本柱が確立したのだという。その柱の片方、コーヒー部門で焙煎を任されているのが、今回Kurasuのインタビューに応えてくださった岩崎さんだ。   岩崎さんとコーヒー  ローリングの35㎏という巨大なスマートロースターを相棒に、TAKAMURA Coffee Roastersの味を日々作り出す岩崎さんは、大会にも数多く出場し、ジャパン コーヒー ロースティング チャンピオンシップ (JCRC)準優勝、そして世界での舞台でも活躍する経験を持つが、20代後半まではコーヒーとは全く関わりのないキャリアを積んできた。 そんな岩崎さんの趣味は、ヴィンテージの洋服や家具。アメリカンカルチャーに心惹かれ、その文化を伝えるような活動に興味を持っており、休みの日には古着やヴィンテージ家具を探して店巡りをして過ごしていた。20代中盤を迎える頃には、大阪は探しつくしたと感じるようになり、月に一度夜行バスに飛び乗り東京まで足を延ばすようになったのだという。 当時の行きつけは代々木にあるカフェバー。テーブルウェアも取り扱う店で、何度も通ううちに飲食業にも興味が湧いたこともあり、そこで働くバーテンダーと知り合いになったという。ある日、近くに北欧のヴィンテージ家具を扱うショップができたと教えてもらい、早速訪ねる事にした岩崎さん。それが彼のコーヒーとの出会いだった。 教えてもらった店というのが、実はFuglen Tokyo。カフェ、バー、家具屋という三業態で営業していたFuglenには、現在のTRUNK COFFEE代表である鈴木さんを含め、後に日本のサードウェーブを代表する存在となった人々が揃ってコーヒーを淹れていた。そんなこととはつゆ知らず家具を見に訪れた岩崎さんだったが、落ち着いた店内の様子に誘われ、せっかくだから、とコーヒーを飲むことにした。実はコーヒーは苦手だった岩崎さん。しかし一口飲んでみて、その紅茶の様な味わいに驚いた。そして何より、苦手だと思っていたコーヒーを飲めた事、更に美味しいとまで感じたことに驚いた、そう岩崎さんは振り返る。 浅煎りのコーヒーの背景にはノルウェーの気候や風土があること、レモンやチョコレートといったフレーバーの表現方法など、丁寧な説明を受けたが、その時は半分ほど理解するのがやっと。しかし衝撃はいつまでも岩崎さんの心に残り、もう一度、またもう一度と月に一度の東京旅行の度に立ち寄るようになり、次第にFuglen Tokyoを訪れるのが旅の主目的となったほど。こうして岩崎さんは、どんどんとコーヒーにのめり込んでいった。 後ろ髪を引かれる思いで大阪に帰った岩崎さんは、早速地元でスペシャルティコーヒーを扱っている店を探し始め、そこで見つけたのがTAKAMURA Coffee Roastersがコーヒー部門を立ち上げたという情報だった。それ以来2、3年ほど、豆を買いに通っては、コーヒー業界で働きたいという気持ちをくすぶらせたまま過ごしていたという岩崎さん。当時大阪ではスペシャルティコーヒー業界は始まったばかりで、オープニングスタッフも飽和状態。仕事を見つけるのは困難だった。タイミングを待って過ごしていた間にも、Fuglen Tokyoには足しげく通い、イベントを手伝った関係で実際にマシンを触らせてもらいながらトレーニングを受けるなどの指導も受けることができた。 得意分野を仕事にしたという自負もあり、当時の職場には不満もなかった。しかし一度火が点いたコーヒーへの想いは消えず、紆余曲折を経て、ついに念願のTAKAMURA Coffee Roastersにバリスタとして職を得る事になる。 働きだしてからほどなく、縁あってハンドドリップチャンピオンシップに申し込みをした事がきっかけにはずみがつき、エアロプレスチャンピオンシップなど様々な大会に数多くチャレンジしたのもいい思い出だ。 「好きじゃなかったから、どうしてもそこから掘り下げよう、勉強しようという気持ちになれないですよね。得意と好きは違うんだ、コーヒーについてなら、こんなにどんどん気持ちが湧いてくるんだ、と感じました。タカムラはいつも自由にさせてくれたので、動きやすかったのもあり、なんでも挑戦できました」そう岩崎さんは振り返る。コーヒーについて知りたいという探求心、好奇心が尽きる事はなく、半年後には焙煎への興味も芽生え始め、ついにヘッドロースターとしての道を歩み始める事となる。     TAKAMURA Coffee Roastersの焙煎 ローリングのスマートロースターで焼くコーヒーの特徴は、綺麗ですっきりとした味わいだと岩崎さんは説明する。甘さというよりも明るい酸が表現でき、深煎りにしても軽くて飲みやすい焼き上がりが特徴だ。 そんなローリングに加えて、岩崎さんの相棒は実はもう一つあった。それがディスカバリーのサンプルロースターだ。焙煎に興味を持ち始めたころ、大型マシンの横でしばらく誰にも使われず、埃をかぶっていたというディスカバリーを見つけた岩崎さん。早速使用許可を得て、毎日営業が終わるとすぐに焙煎に取り掛かった。簡単な使用方法は指導してもらったものの、知識は全くのゼロ。強火で5分ほどで一気に焼き上げてみたり、自分なりに考えた実に様々なやり方をとにかく試していった。 それ以降、その熱心さが認められ、LANDMADEの上野さん、ROKUMEI COFFEEの井田さんなど様々な焙煎士に指導を受ける機会を得てぐんぐんと上達していった岩崎さんは、とうとう社内で焙煎を任されるまでに成長した。 「焙煎を始めて2年ほどになりますが、個人で焙煎所をオープンしたり、一般的な流れでステップアップを経た大多数の人々と比べると、経験年数の割には非常に多くの知識と経験を得られたと思います。それは全て、周りの方々が惜しみなく分け与え、教えてくださったからです。JCRCでの成績も、皆さんのおかげだと思っています」と岩崎さんは言う。 出会うべき人々と、出会うべき時に出会い、助けられ、ここまで引き上げてもらったー岩崎さんの心の中には、そんな深い感謝の念があるのだ。   更に、35㎏という大きな窯で、COEなど少量だけしか出さない豆を焼く技術をとことん磨いた事も当初予測していたよりもはるかに上達した原因の一つだと岩崎さんは振り返る。 「シングルオリジンに関しては30ほどの種類がありますし、COEも量が少なく失敗が許されない。そんな環境で焼き続けた事で、順応性が養われたかなとは思います。」 今では大会に出て、ラッキーやギーセンなど他社の焙煎機をいきなり触ってみても、すんなりと調節し柔軟に対応できる、そんな素地が培われた貴重な経験だ。   これからの岩崎さんとコーヒー...

SUIREN+ Coffee Roaster(広島):2018年8月#クラスパートナーロースター

次にご紹介する#クラスパートナーロースターは、広島のSUIREN+ Coffee Roaster。店主の安藤さんにお話を伺った。 コーヒーとの出会い 安藤さんは、SUIREN+ Coffee Roaster が店を構える広島県生まれ。高校卒業後は大阪の調理師専門学校で料理全般、洋菓子製造を学び、その後もJAや飲食店など、食に関わる業界で経験を積んだ。 いつかは自分でも店を経営したい、そんな夢を抱きながら過ごしていたある時、カフェ経営をしてみないかという声が掛かる。大きなチャンスをつかんだ安藤さんは、オープンまでの2年間、飲食店経営に必要なスキルを身に着けるべく、ある喫茶店で修業を始めた。その喫茶店が偶然自家焙煎を行う店だったことが、安藤さんがコーヒーと出会うきっかけとなる。 しかし、安藤さんがコーヒーの焙煎に興味を持ったのはしばらく後の事だ。カフェのオーナーになるという大きなプレッシャーの中、接客技術や喫茶メニューの調理、考案、経理など様々な実務をすべて学ぼうと意気込んでいた安藤さん。限られた時間の中で身に着けなければならないことはあまりにも多く、まずはそれをこなしたいと感じたのは当然だろう。 「自分しかやる人がいないなら、できるようになるしかない」 しかしある日、事情により店での焙煎を一手に任されることとなり、突然コーヒーと向き合わざるを得ない状況に飛び込むことになったという安藤さん。 当時は特にコーヒーが好きだという訳でもなく、状況の理不尽さに不満もあったが、とにかく自分がやらねばコーヒーが出せない。否が応でも焙煎を始めるほかなかった。 「自分で焼いてみて、失敗だというのは分かっていても、原因も対策も分からない。自分が飲んで美味しいものが分からないという苛立ちがありました」と安藤さんは当時の苦労を振り返る。失敗したものでも店に出さなければいけない事に対する罪悪感、それでよしとされてしまう環境への疑問、そして何より自分の手で作っているものを思うように仕上げられない事へのフラストレーション。責任感とプライドをもって食に関わってきた安藤さんにとって、それは何よりも辛い事だった。 しかしそこで妥協し諦める安藤さんではない。自分しかやる人がいないなら、できるようになるしかない。ちゃんとしたものを出さなければ、その一心で試行錯誤を繰り返し、焙煎の技術を着々と磨いていった。「興味を持たざるを得なかったんです」と安藤さんは話す。しかし安藤さんの食への思い、そして「自分にできる事は自分で」という信念が逆境の中で道を開いた事は明らかだろう。   「すいれん」から「SUIREN+」へ その後焙煎技術にも自信がつき、無事オープンしたカフェ「すいれん」にも焙煎機を導入。自家焙煎のコーヒーを提供した。その後「すいれんのマスター」として愛され4年半、訪れる人々から「コーヒーが美味しいね」という言葉も頻繁に受けるようになった。 「コーヒーも、自分で作って美味しいと思ってもらえることがあるんだ、そう気づいてからは、焙煎は自分でやりたいという思いがより強くなりました」と安藤さんは振り返る。経営体制が変わり店を畳んだ後も、安藤さんのコーヒーを愛する人々の要望に応え、自宅に焙煎機を置き個人での豆販売を始める事になる。 広島県内はもちろん、なんと岡山まで車に乗って自ら配達を行っていた安藤さんだが、その努力が未来を切り開くことになる。配達先で声をかけられ呼ばれて行ったイベントで、思いがけない再会があったのだ。イベントスペースの隣にある建物のオーナーが、なんと安藤さんが幼い頃に近くに住んでいた夫妻で、安藤さんの事を覚えていたのだ。安藤さんがコーヒー豆を売っていて、店舗を探している事を耳にした夫妻は、これからここにパン屋さんやコーヒー屋さんを出したいと思っている、良かったら出店しないか、と声をかけてくれた。SUIREN+Coffee Roasterの誕生だ。 「まだないものに挑戦できる、このエリアだからこそのチャンス」 SUIREN+を訪れる人の多くが、地元の人々だ。エリアに受け入れてもらう過程でまず壁になったのが、価格設定だった。Qグレーダーを取得しスペシャルティコーヒーに特化する前の安藤さんのコーヒーは500円程度だったが、SUIREN+オープン後、提示したのは700円から800円。なぜそんなに高いのか、何が違うのか、寄せられる質問に、安藤さんは正直に向き合った。スペシャルティコーヒーの中でもグレードの高いものを使うようにした事、それを含めこの値段でなければ運営ができないという事―地域で新しいことを始めるにあたって、ごまかしや妥協は選びたくなかった。 「人でも物でも、悪いところを見つけるのは簡単。でも、いいところを見つけるのは難しいですよね。自分がいいと思うものを分かってもらえるように工夫しています」 深煎りが定着している上に、何かを選ぶ時に冒険する人が少ないエリアだと感じると、安藤さんは話す。しかしそれも、選ぶのが楽しくなるような豊富なラインナップやサンプルの提供、会話を通して次第に変化してきた。一度買ってもらえれば、「高くても美味しいね」、「この間のコーヒー美味しかったよ」と、ポジティブな感想が次々に寄せられるようになったのだ。 店頭に並ぶのは8-15種類。スタッフによるしっかりとした説明に加え、商品の隣には味わいを想像しやすいような説明ラベルを置いている。地域のパイオニアとして、試練も多いが、それも大きなチャンスとして捉えている。 焙煎への思い 安藤さんが愛用する焙煎機はギーセン。使いやすさに加え、当時はまだ日本でギーセンを使っているロースターがほとんどいなかった、そのユニークなチャンスに心惹かれ、採用した。 それまで使用していたフジローヤルから移行すると、やり方をあまり変えずとも納得のいくコーヒーが焼けるようになってきた。「焙煎機の特性を知り、焙煎の知識と技術を身に着けスキルアップすることで、もっと美味しいコーヒーが焼ける、そう考えると俄然楽しくなってきたんです」そう語る安藤さん。毎回生豆を自らサンプルし選定、美味しいと思うものを自分で確認してから焙煎に取り掛かる。 その後、様々な競技会に出場するにつれ、コーヒーというものを総合的に理解するためには、やはり焙煎という工程をより深く理解し、他人にも伝えられるようにならなければという思いも湧いてきた。ロースターチャンピオンシップは、自分の実力がどの程度の位置にあるのか知る機会でもあり、多くの人と出会い、彼ら彼女らから焙煎方法はもちろん様々な事を学んだ貴重な体験だ。 決勝戦に残る程の実力を身に着けてからも、学ぶ事はまだまだ多いと安藤さんは言う。大会は大会の勝ち方があり、それが実際に店頭で個人と向き合ったときの「美味しいコーヒー」とはまた違うという事も理解した。JCRC(ジャパンコーヒーロースティングチャンピオンシップ)ファイナリストとしての肩書を背負う今は、お客様に対しての自分の言葉にも説得力が出たと同時に、責任も出てきたと感じている。   産地との関わり 年に6-7回は産地に足を運ぶという安藤さん。様々な国を訪れ、Qグレーダーの資格を持つ安藤さんにある時ラオスから声がかかる。ダイレクトトレードに興味を持っていた安藤さんはすぐに渡航を決めた。到着して初めて見せられた生豆は、不良も多く混ざる、一見質の低いもの。ダメで元々と、いい豆をピックしフライパンで焼いてみると意外に味が良く、一気に興味を惹かれたという。まだパーチメントが付いたティピカもあり、剥いてみれば衝撃を受けるほど美味しいものも。「もうエチオピアといっていいほどのレベルで、これができるならまさに原石だと感じました。頑張ってシステムを整えて質を上げていけば、トップスペシャルティも夢ではない」当時の興奮をそう振り返る安藤さん。その足でラオスのコーヒー協会に向かい、展示会などにも足を運んだ。 何もでき上っていない、先がどうなるかわからない現状。自分で携わっていきたい、と思わせてくれる空気感に、安藤さんはすっかり魅了された。 現在では、ラオスでQグレーダーを育てる事を目標に、積極的に働きかけている。 ほとんどの人がエチオピアやケニア、ゲイシャ種などに注目する中、ラオスに関わることは挑戦し甲斐のある大きなチャンスだと感じている。 「動けば必ず何かいい事がおきる、そう思うタイプです」 各地のイベントに頻繁に参加し、台湾やラオスなど国外でも活躍の場を広げるSUIREN+ Coffee Roaster。そのフットワークの軽さの秘訣は何なのか、訪ねてみるとこんな答えが返ってきた。 「店はずっとこの場所でやっていきたい、でも自分はもっともっと色んな場所で経験を積んで、成長していかなければならない。自分の仕事は、変わらず地味にやっているよりも、楽しそうにやっているほうがお客さんもここへ来たくなると思うんです。動けば動くほど、声もかかるようになるし次につながる。動く意味はゼロじゃない。動けば必ず何かいい事が起きる、そう思うタイプです」 60歳、70歳になっても変わらず自分の店でコーヒーを淹れているマスター、そんな姿に憧れる気持ちもある。店頭に立つ時間が減ると、訪れてくださる人々に申し訳ないと思う気持ちは強い。しかし今は動く時期であると感じている。いいものはどんどん変わっていき、しかしその核にあるものは形を変えても残る。地域のお客様にこれからも「おいしいコーヒー」をお届けできるよう、日々精進あるのみ。そんな信念のもと、必要とされる場所へ、呼ばれる方へ、安藤さんはこれからもどんどん足を運ぶ。

ONIBUS COFFEE (東京):2018年7月 #クラスパートナーロースター

次回の#クラスパートナーロースターは、東京のONIBUS COFFEE。奥沢や中目黒、その他数店舗を展開し、都内はもちろん、京都のカフェなどにも幅広くコーヒー豆を提供している、東京を代表する人気ロースターの一つだ。Kurasuでは過去にサブスクリプションをはじめ様々な機会で交流をさせていただいている。代表の坂尾さんに、改めてお話を伺った。   コーヒーとの出会い 「大工の父が働く現場では10時と3時に休憩があって、みんな毎回缶コーヒー。でも、それぞれにこだわりがあるんです。誰はどこの、とか、必ず決まっていて。それを面白いなと思ったのが、一番初めのコーヒーの記憶です。」 大工の父を持つ坂尾さんにとって、現場での風景は身近なものだった。休憩時間の度に、大人たちが各々贔屓する缶コーヒーを選び美味しそうに飲む様子-「コーヒー」という一つの飲み物の中にも、人によって好みがある事を知り、コーヒーへの興味が生まれたきっかけだ。卒業後就職したゼネコンでも、やはり皆が缶コーヒーを飲んでいたと話す坂尾さん。その光景は、彼の目にはもはやひとつのコーヒー文化として映ったのではないだろうか。 その後も休みの日にはカフェ巡りをするなど、コーヒーへの興味を募らせていた坂尾さん。仕事を辞め、バックパックを背負い日本を飛び出した時にも、出迎えてくれたのはコーヒーだった。シドニーではMeccaを訪れ、砂糖を入れなくても美味しいコーヒー、プロのバリスタがクリーミーなラテを作る様子、そしてそのフレンドリーさが強く印象に残った。 次に訪れた東南アジアでも様々な人に出会い、色々な風景を目にするうちに、気が付いた事がある。どこへ行こうかと迷えばカフェに行けば、そこに集う人々が必ずおすすめの場所を教えてくれたり、自分の経験をシェアしてくれるのだ。暖かい地元の人々、様々な顔ぶれの旅行者たち。にぎやかなバックグラウンドは活発に、健やかにコミュニティを作っていた。バックパッカーをしながら、この先どうしようか、自分は何がしたいのか―そんな将来への不安がよぎる心に、カフェという集いの場はまぶしくうつった。 ONIBUS COFFEEができるまで 坂尾さんにとって、自営業という働き方は身近だった。自分も父と同じく自分の力でやって行きたいという気持ちが強かったことに加え、バックパッカーを経て、その思いはより強まったのだという。人が集まってくる場所、どうせなら美味しいコーヒーが出て、コミュニティーが育つような場所を作りたい。そう思ったのがONIBUS COFFEE誕生のきっかけだ。 その当時コーヒーの修行と言えば必ず名前が挙がったのがポールバセット。バリスタやロースターのいわば登竜門のような存在だ。そこで修業を始めた坂尾さんが目まぐるしいスピードでプロとしての知識と技術を身に着け、2年半ほど経った頃に、東日本大震災が起こった。すぐにボランティアに向かおうとしたが、企業に所属する身はなかなか自由にはならなかった。その時感じたもどかしさ、そして後に参加したボランティアを通して人生について改めて考えるきっかけを得たことが、坂尾さんを独立に駆り立てた最後の一押しだったと言える。   自由が丘のにぎやかさから15分ほど離れ、閑静な住宅地を抜けると、風景がぱっと開け、素朴な線路と小ぢんまりとした奥沢の駅がある。その線路と駅をのぞむ奥沢店が、ONIBUS COFFEEのスタート地点だ。板張りの壁やグリーンが暖かい雰囲気の店内。道の向かいの線路沿いには薄い水色のペンキを塗ったベンチがある。訪れる人々は各々好きなところに腰かけ、ゆっくりとした時間と会話をコーヒーと共に楽しむのだ。 今回インタビューのために伺ったのは、あまりにも有名な2つ目の店舗、中目黒店だ。こちらも駅から歩いて数分だが、少し奥まったところ、小さな公園の隣に建っている。日本家屋を改装した店舗には、奥沢店とはまた少し違った素朴さや暖かさが感じられる。コーヒースタンドといったようないでたちだが、緑に囲まれたシーティングエリアや2階のスペースなども充実している。バリスタ達が和気あいあいと働く姿や焙煎機を間近に見ながら、まるで友人の家の庭で過ごしているような気持ちになれる場所だ。 中目黒店がオープンした当初は、周りにはカフェは2店舗ほどしかなく、やや静かな印象だったエリアだが、ONIBUS COFFEEを追うように今ではどんどんと新しい店がさまざまなジャンルでビジネスを展開し、賑わいを見せている。自分の力で、目が届く範囲で、納得のいくコーヒーを出す。そしてそこに人々が集い、コミュニティとなる―坂尾さんの描いた夢は、現実となった。 ONIBUS COFFEEの焙煎 自分の店を持つなら自家焙煎を出す、そう思い、限られた予算の中で初めに購入したのが、フジローヤル。ポールバセットで磨いた腕を活かし、早速焙煎を始めた。影響を受けたのはStumptown、Intelligentsia CoffeeやTim Wendelboe、そしてMarket Lane、MeccaにSingle O―彼らの表現する鮮やかで透明感のある味わいと華やかなアロマは日本の焙煎にはない魅力があった。試行錯誤を重ね、焙煎機もディードリッヒに変えて、ようやく自分がイメージしている味に大きく近づけたと坂尾さんは話す。 毎日行うカッピングでは、味がしっかり出るものだけを厳しく選んで店頭に出す。「最近では、厳しく見すぎて美味しいなと思うものがない時もあります。妥協をしないで突き詰めていく、これをしなければ、すぐに雑味となって現れます」と話す坂尾さんは、同業者のカッピングにも頻繁に顔を出し、目まぐるしく進化する業界の感覚を時にはGoogle翻訳も駆使して自らをアップデートしている。品質のスタンダードを常に高く保つ秘訣だ。     コーヒー豆の選び方 ONIBUS COFFEEで提供しているのは、エスプレッソブレンドとシングルオリジン。現在は3-5種類、良い豆を多く仕入れて年間を通して提供することで、安定した販売形態を保っている。 農園との関わりを重視するのも世界では常識となりつつある―坂尾さんも5年前から農園に足を運んでいる。ダイレクトトレードが目的と言うよりも、誰がどういった環境で作っているのか、その事実を自分の目で見て、帰ってきて伝えるという作業を大事にしているのだという。 農園ではカッピングを行い、実際の購入自体はインポーターを通して行う。それぞれに持ち場があり、自分たちの役割は営業と豆の選定、というスタンスだ。   これからのONIBUS COFFEE 「これからですか?どうしていきましょうね」と、笑う坂尾さん。たった一人で始めたコーヒー屋さんは、今では15人のスタッフと複数の店舗を経営しながら卸売りなどを通して全国に多くのファンを持つロースターに成長した。 定期的に行う社内勉強会で、毎回共有する企業理念があるという。人と人をつなげること、農園、生産者と消費者の関係を向上させること、そして、バリスタの地位向上だ。バリスタを一時的な職業ではなく、10年、15年と、彼らがライフステージの変化を迎えても安心して続けられるような職業にしたい、そう考えているのだ。そのためには常に仕事を生み出していくこと、それと同時に信頼されるサービス・商品のクオリティを保つ事とのバランスをとる事の2つを意識する必要がある。 大きなマーケットに受け入れられるビジネスとしての成功と、クオリティを突き詰める事の成功とでは定義が違うのだと坂尾さんは言う―「マスに売ろうとすると美味しさを突き詰めない方がいい時もあるのかもしれませんが、それはできない。こだわって、美味しいのを作っていこうかなと思っています。」これからも、もっと色々な場所で、変わらず美味しいONIBUS COFFEEに出会うのが楽しみだ。

Mount Coffee (広島):2018年6月 #クラスパートナーロースター

次に紹介する#クラスパートナーロースターは、広島のマウントコーヒー。「のんびりとした風景、穏やかな午後、そんな言葉が似合う街」と店主の山本さんが表現する、庚午北に位置する豆販売専門店だ。 オープンから丸4年を迎えるマウントコーヒーを切り盛りする山本さんは、コーヒー業界で18年の経験を持つ。高校卒業後留学したバンクーバーで初めてスターバックスに出会い、気軽にコーヒーをテイクアウトする文化や店舗数、規模などに衝撃を受ける。実際に日本でもスターバックスでの勤務を経験し、その後も自家焙煎を行うカフェなどを経て広島の人気店、green coffeeにて知識と技術を磨いた。 コーヒー屋、という仕事に心底ほれ込んだ山本さんは、次第に自分の店を持ってやって行きたいと考えるようになり、独立を決め現在に至る。 オープン後は、地元の環境にもスムーズに受け入れられ、「この辺にコーヒー屋さんなかったんだよ」と喜ぶ声もたくさん。平日でも訪れる人の絶えない、活気のある店に成長した。 「八百屋も魚屋も、鮮度のいいものを仕入れて売る、コーヒー豆もそれで十分だという感覚もあります」 店を構える場所として選んだのは、自宅からほど近い、商店街の一角だ。クリーニング店や花屋など、地元の人々の生活を支えるエリアにあることに意味がある、山本さんはそう考える。 「街に出るんじゃなく近くで、豆が切れたらすぐ買える、豆屋はそういうのがいい」と山本さんは話す。野菜を買って、魚を買って、そんな日常の買い物の自然な流れでコーヒー豆も買いに来てほしい。地元に根付いた商売で、美味しいと思って飲んでもらえる毎日のコーヒーを売ればそれで成り立つ、それがマウントコーヒーの立ち位置だ。 その姿勢は、焙煎にもはっきりと表れている。「八百屋も魚屋も、鮮度のいいものを仕入れて売る、コーヒー豆もそれで十分だという感覚もあります」と語る山本さんは、コーヒーの味わいを決めるのはあくまでも豆であり、焙煎機をはじめとした道具でどうにか操作しようとするものではないと考えている。使用している焙煎機は、フジローヤル、半熱風の5㎏。昔から使い続けている、体に馴染んだ焙煎機だ。焙煎を始めた当初は、煙突の付け方一つなどでも味が変わる事に悩まされもしたが、試行錯誤を重ね、自らの手と生豆の自然なバランスを崩さない焙煎にたどり着いたという。「豆がすごく大切で、それを取り出すのが仕事。下手なことをしない限り大丈夫です」と話す山本さんが生み出すコーヒーは、力づくでも、当てずっぽうでもない、熟練の技術と素材を見極める目に支えられ、独特の味わいを持つ。 店頭に並ぶ豆は通常9-10種類。ブレンドが6種類と、シングルオリジンだ。山本さんが初めに取り掛かったのがブレンドを作ること。番号で焙煎度合いを示すシステムを採用し、一目で分かるようにしている。さらにブレンドに使用しているシングルオリジンを個別に販売することで、好みの味を見つけやすいようにしている。豆を買いに来た人々には試飲も提供し、できる限り直接会話をしながら希望に合う豆を提案する。 メニューにはほとんど情報を載せない代わりに、話しかけてもらいやすく、話しかけやすい雰囲気づくりを心掛けているという山本さん。腰を据え、小規模で行うローカルビジネスだからこそ実現できる環境だ。 「日本の深煎りは独特。スペシャルティコーヒーなど様々な文化が取り入れられて進化してきたもの。それを世界に向けて紹介できれば」 今後は焙煎量を増やしていくと共に、アジアの豆をもっと使っていきたい、と山本さんは話す。というのも、スペシャルティコーヒーの豆が売られるときの現在のプロセスにたびたび疑問を抱くことがあったからだ。遠く離れたアフリカや中南米の豆が主流である現在、豆自体の味わいについては曖昧なままに、農園の小さな写真と、標高、近くに湖があるなどの周囲の環境といった断片的な情報だけで判断しなければいけない時。反対に、極端に味にフォーカスし、数値のみが機械的に示されているため、農作物としての実感が得られない時。そんな経験をするたびに、客観的に判断できるデータもありながら、本当に分かるストーリー、農家がやって来たことが分かるコーヒーがあれば、という思いが募っていった。そしてそれを実現するためには、距離が近く、同じアジア人として通じるもののある場所で生み出されたものを扱う方がいいのではないか、と考えるようになったのだ。   今回の定期購買用に提供するのはインドネシア産のコーヒー。同じ豆を、浅煎り・深煎りと2種類の異なる焙煎度合いで紹介する。浅煎りはトマトのような独特の味わいを持ち、インドネシアのキャラクターをよく表現した仕上がり。深煎りは、苦みやコクを一度美味しいと思えると途端に広がっていく深煎りの世界の案内役となれれば、という願いを込めた上での選択だ。 日本にはまず深煎りが浸透し、その上にスペシャルティコーヒーの文化が取り入れられたことで、深煎りもその影響を受け、進化を遂げている。日本から、世界へ向けて発信する今回の機会では、アジアの豆で、今の日本のコーヒー、そしてそのポテンシャルを胸を張って表現したい、そんな想いを抱いている。 地に足のついた、という言葉がぴったりとあてはまるマウントコーヒー。地元の人々の生活を支え、地元の人々に生活を支えられるという満ち足りたサイクルは、日々心地よくそのリズムを保ち、庚午北という地で息づいている。一方で、台湾のコーヒーフェスティバルや東京でのイベントなど、外部の催事にも積極的に参加し、限定のブレンドを出してみたり、新しく出会う人々や物事との関わりに刺激を受けたりと、自ら成長する機会も逃さない。「今はこう考えてます、というのがあっても、また新しい経験をすれば変わっていくんだろうなぁと思います」と穏やかに話す山本さんからは、オーガニックに生きるという事の本当の意味を見せていただいたように思う。

大山崎 COFFEE ROASTERS:2018年5月#クラスパートナーロースター

次回の#クラスパートナーロースターは、大山崎 COFFEE ROASTERS。Kurasuでのワークショップの共同主催や、ENJOY COFFEE TIMEなど様々なイベントでご一緒することも多く、Kurasuオープン当初から親しくお付き合いさせていただいている。コーヒーはもちろん、ロースターを切り盛りする中村ご夫妻の暖かい人柄にはファンも多い。 昨年のロースターインタビューでは、中村ご夫妻が大山崎に移住したきっかけなど、大山崎 COFFEE ROASTERSのはじまりのお話を取材した。(インタビュー・ショートムービーはこちらから) インタビューから1年が経った今年1月、大山崎町内での移転を経てまた新しい姿となった大山崎 COFFEE ROASTERS。現在の様子や、環境・生活スタイルの変化がもたらしたものについて伺った。   新店舗で迎えた新しい年、新しいチャプター 新店舗は、深みのある赤いタイル壁と大きな扉が印象的な建物。インパクトのあるタイル壁はオリジナルのものを活かしており、モダンな雰囲気に改装されているが懐かしさや暖かみも感じられる。フロアに置かれた存在感のある岩や、個性的な素材感の壁など、内装もとびきり魅力的だ。 以前の店舗よりも広く、路面店となった新店舗。2階は居住スペースとして使用している。様子はどうですか?と尋ねると、「思い描いていた以上に素晴らしい!最高だね、と毎日かみしめています」と夫の佳太さんは笑顔でそう答えた。 そもそも、焙煎所と自宅を同じ場所に設けるのが初めからの二人の理想の形だった。最初の店舗では事情によりそれがかなわず、荷物の置き場所が分散したり、生活リズムが不規則になったりと不都合なこともままあったという。根気よくアンテナを張りつづけ、ようやく出会った今回の物件。時間をかけてリノベーションを行い、晴れて夢の住居兼焙煎所が完成した。 移動や時間の制約などのストレスがなくなったことで、常に落ち着いて暮らしながら、仕事にも生活にもしっかりと向き合えるようになった、と語る佳太さん。「きちんとリラックスできるので、集中する時にもぱっと切り替えられるようになりました。今後焙煎を調整したり、焙煎機を大きくするなどの変化はあるだろうとは思いますが、生活のスタイルとしてはこれが完成形だなと感じています」、夫妻はそう話しながら、幸せそうに微笑んだ。   前店舗からバトンがつながった、「皆にとって過ごしやすい場所」 皆が一つの食卓を囲むようなつくりだった前店舗に比べると、かなり広くなった印象が強い新店舗。試飲などで腰掛けるスペースも、壁際のハイスツールや屋外のベンチなど、好みの場所が選べるようになっている。 「小ぢんまり感がなくなりました。お客さん全員が話すのが当たり前だった以前と比べてちょっとさみしい気もします」、そう話すのは妻のまゆみさん。しかし、広くなったことで文字通り「居場所が広がった」とも感じているという。以前は数人が訪れれば店はすぐにいっぱいになり、気を遣ったお客さんが試飲もそこそこに帰ってしまうことも。しかしその狭さが出会いと会話を生んでいた。 比べて新店舗では、人と人との距離に余裕が生まれることで、ゆっくりと時間をかけて選びたい人、ただぼーっとしていたい人などが思うように過ごしていられる空間になった、とまゆみさんは説明する。さらに、新規オープンではなく移転という選択をした結果、前店舗での常連客が顔を出してくれ、初対面の人と話し始めるなど、以前の雰囲気も程よく移って来てくれたのだという。 路面店になったことで、近所の人が「何屋さん?」と訪ねてくることも。2階で外から見えづらかった以前の店舗では考えられない、嬉しい変化だ。 新店舗も変わらず、試飲、豆販売のみ。このスタイルだからこその強み 移転の知らせをきっかけに訪れる人も多く、さらに雑誌『カーサ ブルータス』に掲載されたことでコーヒー関係者の来店が劇的に増えた。よく聞かれるのが、あくまでも試飲だけを提供する理由だ。「たまたまで、狙ったわけではない」と話す佳太さんだが、振り返るうちに自分たちのスタイルだからこその強みに気が付いたという。 「コーヒーを売っていると、豆販売でも、カフェでも、お客さんから感想を聞けるのは多くて2種類、2-3杯分。それも、全員がフィードバックをくれるわけではありません。でもうちでは1人が平均して3-4種類を目の前で試飲してくださるので、それだけの種類感想をもらえる。さらにリピート率が7-8割なので、その人の1年を通しての味の好みや、変化を知ることができる。これを日々蓄積できているというのは、すごい事なんじゃないかな、ってある日気が付いたんです。これはこのスタイルだからこそできる事。ラッキーだと思っています」 自分たちの納得のいくスタイルを追い求めるうちに、連鎖反応のようにして良い結果が生まれる。大山崎 COFFEE ROASTERS、そして中村夫妻の強みの根底にはやはりこの姿勢があるように感じられる。 じっくりと腰を据え、全身で向き合う焙煎 中村夫妻が使用しているのは、他ではあまり見かけない、軽井沢のGRNというロースター。焙煎量は1日平均10㎏、週に3日。木曜・土曜のみの営業で、豆販売と試飲用の在庫との調整が必要なため、一度に焙煎する量にはばらつきがある。 毎日オープンしていれば決まった量を決まったように焙煎すればよいのだが、そうは行かないのが難しいところ。なるべく豆を余らせないように、しかし急な注文にも対応できるように、100g単位で量を調節しながら焙煎を行う。一爆ぜ以降は、量の大小で必要な火の量が大きく変わる。少なければバーナーの熱で焼けるが、多ければ豆同士が熱で焼き合う現象が起きるため火を抑えめにするなど、繊細な調整が必要だ。どんな量でも、美味しく焼けるように。日々訓練の積み重ねだ。 初めて焙煎する豆は、まず一旦スタンダードな焼き方で深目まで焼き、途中で都度取り出しながら各段階でカッピングを行い、焙煎度合いの幅を決める。豆によっては、浅め、深め両方を 販売することもある。火加減の調節、排気ダンパーの開け閉め等に関しては、常にその時の豆の状態や焙煎環境に応じて細かくチェックする。窯の中の熱のこもり具合などを開け閉めしながら指で確かめ、体で感じたものを反映させていく。焙煎が済んだら、試飲を行い、再度調整することもあるという。 大山崎 COFFEE ROASTERSの焙煎の特徴は、その焙煎時間の長さだ。10分ほどで焼き上げるのが平均的だが、ここでは浅煎りでも17、8分は焼く。二爆ぜ以降も焼く場合にはなんと25分ほどをかけることもあるという。熱風式ロースターのため、弱火でじっくりと焼くことができるのだ。1日10㎏とすると、焙煎を行う日は5-6時間付きっ切りになる計算だ。 移転に伴い、煙突が長くなり、使用するガスがプロパンから都市ガスに変化した。排気の影響は特に感じられず、都市ガスになったことで火のコントロールがしやすくなり、火の質が変わった結果として味わいがよりマイルドになったという。 使用している生豆は全部で10種類。店を始めたころは頻繁に豆を入れ替える計画だったが、豆に固定ファンがつくようになり、作業量や効率を考えても頻繁な入れ替えは現実的でなかった。また、価格帯を600円から1000円におさめる事を優先していたため、Cup of Excellenceなどの豆を使用することもなかった―しかし先月から、新しい試みが始まっている。 夫妻が「実験、または遊び」と称するその試みは、5㎏だけ生豆を仕入れては、毎週1㎏ずつ異なる焙煎方法で焼いたものをその週にだけ販売するというもの。少量で気軽に様々な焙煎スタイルの経験を積むことができ、常連客にも目新しいと喜んでもらえているのだという。 決まった豆を焼き続けていると次第にやり方が固定され、そこからはみ出すことに次第に恐怖心すら覚えるようになることがある。それを打ち砕き、常に柔軟であるための新たな奥の手だ。 新しいライフスタイルがくれた余裕、より明確になったビジョン 「最近思うことが多いんです。余裕ができたから、コーヒーについて改めて色々と考えています」と話す佳太さん。自らの焙煎についても、考えを巡らせる事が増えた。オープン当初から、「自分の思う味」や「豆の個性」を押し出していく事はしたくないと考えていた佳太さんの焙煎するコーヒーは、例えるならその豆の持つあらゆる要素がぎゅっと詰まった花束だ。その中から、抽出する人が好きな要素を引き出すように淹れてくれればいい。ゆらぎのある抽出をしても、その度にどれかが顔を出すような、どう淹れても様々に美味しい豆―淹れる人によって表情を変えるコーヒーを作るのが、生産・焙煎・抽出、とあるプロセスのうち焙煎を専門職とする自分たちにできる最高の事だと考えているのだ。 何かを際立たせる焙煎を行えば、抽出の正解が決まってしまう。それはある意味豆の持つポテンシャルを制限してしまうような、もったいない行為にもなり得るのでは、と佳太さんは考える。同じ豆でも、淹れる人や場所によって味が変わるのはむしろ嬉しいという。どう淹れてもまずくならない、「どうやったっていいよ」、と預けることのできる焙煎をするのが佳太さんにとってのロースターの理想の姿だ。 生豆の買い付けにも、抽出にもそれぞれ経験を積んだプロがいる。だからその分野については彼らを信じて任せ、自分は焙煎に注力する。「人生の時間は限られてますから、全部やろうとしたらどれも中途半端になる。焼いてるだけなら気が楽だし、後は任せます」と話す佳太さん。大切なものと向き合うために、必要でないものは思い切って手放してみる―ここにも彼らの哲学が光る。理想のライフスタイルを手に入れた二人の笑顔は以前にも増してすっきりとして、新たなチャプターを純粋に楽しんでいる、そんな輝きに満ちていた。    ...

EMBANKMENT COFFEE (大阪)2017年4月の #クラスパートナーロースター

次にご紹介する#クラスパートナーロースターは、大阪のEMBANKMENT COFFEE(エンバンクメントコーヒー)。 EMBANKMENT COFFEEが店を構えるのは、大阪・北浜。大阪の商業の中心地だった船場の北の端に位置し、現在では史跡や当時をしのばせる建造物と、金融街らしく立ち並ぶ高層ビルとが混在している。暖かい日には土佐堀川沿いで川床を楽しむ人々が訪れるこの地は、若者の街と評される事の多い大阪の他のエリアと比べやや落ち着いており、街歩きを楽しみたい日にふさわしい場所だ。 土佐堀川に面した二軒長屋を改装したEMBANKMENT COFFEEは、和風の店構えにモダンなインテリアのギャップが目にも楽しい。日の光を受けてきらきらと輝く川面を臨むテーブルで、ロースターとして店を切り盛りする青野さんにお話を伺った。 染物職人から焙煎士への転身 何か違う仕事がしたい―そう考え、20代の頃から腕を磨いてきた京都の染物業を離れて飲食業界に足を踏み入れたのは、30歳の時だった。エスプレッソマシンも扱う仕事を通して徐々にコーヒーに心惹かれていった青野さんは、35歳になる頃にはコーヒーを仕事にしたい、特に自らの手で焙煎をしてみたいという思いを抱くようになる。 そんな時、大阪・堺をはじめ数店舗を経営するELMERS GREEN(エルマーズグリーン)が自家焙煎を始めるにあたりスタッフを募集しているのを見つける。「これしかない、と思いました」と青野さんは話す。 ELMERS GREENは、オーナーがドイツやイギリスなどで目にしたカフェ文化を日本に、そして大阪に実現したいという想いから生まれたカフェだ。当時ELMERS GREENではKAFE工船などからコーヒーを仕入れていたのだが、「ホームメイドを掘り下げる」という目標の下に、製パン、製菓、スペシャルティコーヒー豆の焙煎などを自分たちで手掛けようとしていた時期だった。 こうして、現在もELMERS GREENで焙煎を担当する原田さんと共に、焙煎未経験の二人がELMERS GREENに飛び込んだ。焙煎のためのスペースと、プロバットだけが与えられ、生豆の仕入れ方、焙煎方法などの全てがゼロからのスタート。本、インターネットで見つけられる情報、海外のサイトなどまでにも片っ端から目を通し、言葉が分からないものはGoogle翻訳を駆使してなんとかニュアンスをくみ取った。さらに、同じ関西でプロバットを扱うロースターとして、WEEKENDERS COFFEEの金子さんに挨拶に行ったのをきっかけに、焙煎についての意見交換やアドバイスも積極的に受けに行くようになった。同世代の金子さんは今でも貴重な恩師であり、同志でもあるという。 「プロバットのいいところは安定感のある鈍さ」というのは、青野さんのユニークなプロバット評だ。その反応の鈍さがあるからこそ表現できる味や採用できるメソッドがあるのだという。決して洗練された焙煎機だとは思わないが、味わい深い良さがある、と青野さんは目を細める。 焙煎の特訓を始めて1か月ほどですでに全てを自家焙煎に切り替えた。「今思えば無謀だったかも」と青野さんは笑う。はじめはそれまで仕入れていた深煎りの豆のテイストを真似て焙煎を行っていた。しかし、WEEKENDERS COFFEEで浅煎りに出会ったのをきっかけにスペシャルティコーヒーにも興味を持つようになり、そのクリーンな酸味やフルーティーな風味を知ってからはのめりこむ一方に。さらに友人から旅の土産にアメリカのスタンプタウン・コーヒー・ロースターズなどのコーヒー豆をもらい、こんなコーヒーを日本でも焙煎できたら、と夢を膨らませるようになった。 この頃には、浅煎り・中煎りに挑戦する青野さんと、深煎りを安定させていく原田さん、という役割分担が自然と出来上がっていた。従来深煎りが主流であるELMERS GREEN、ひいては大阪において、浅煎りにこだわった焙煎に専念できたのは恵まれた経験だったと青野さんは語る。 当時のELMERS GREENのスタッフも、飲むのはみな深煎りばかり。今の基準でいう中煎りほどの焙煎でも、チーム内で受け入れてもらうのには時間がかかった。初めて浅煎りを飲んだ時に感じる、「これで合っているのか分からない感覚」がスタッフらにもあったのではないか、そう青野さんは振り返る。 しかし次第にこれもコーヒーなのだ、という認識が広まり、東京でもオニバスコーヒーなど海外のスタイルを感じさせるコーヒー店が増えてきたことも助けとなって、浅煎りの採用が決定した。現在はELMERS GREENのスペシャルティコーヒー専門焙煎事業部といった形で、浅煎り専門ロースターとして経営しているEMBANKMENT COFFEE。いずれ、大阪ではまだ数少ない浅煎り専門店として名を挙げたい―青野さんの猛進は続く。 EMBANKMENT COFFEEの焙煎とは? 「EMBANKMENT COFFEEの焙煎を一言で表すと?」という質問に対する青野さんの答えは、「バランス」。ただし、全ての要素を同じ点数にするという意味ではないという。「その豆の個性を意識してバランスを取っていくんです。特性だけをどーんと押し出せばいいとは思っていません。それだとファーストインパクトは良いのですが、飲み進めていくうちにしんどくなってしまいます」と青野さんは言う。 生豆を選ぶ基準は、それぞれの産地らしさがあり、その中でクオリティが高いと思うもの。例えばコロンビアのコーヒーで、まるでエチオピアのような風味があるものがあったとする。それはそれで焙煎してみたいという意欲は掻き立てられるのだが、それは青野さんが目指すものではないのだという。青野さんが見つけたい原石は、その風土、ワインで表現されるところのテロワールを表現して輝くものなのだ。 青野さんが心がける焙煎は、あまり無理な力を注ぎこまないようにすること。焙煎の過程でロースターの好みやくせは必ずある程度反映される。個人的な考えや、こうすればもっと良くなるだろう、そんな気持ちを最小限に抑え、「その豆のなりたいように」焙煎するのだという。 甘さなど、何かを突出させるのではなく、その豆の特性をつかみ、その他の要素をうまく整え、まとまらせるという感覚―焙煎によって生豆をコーヒーにする作業で、青野さんが一番やりがいを感じる部分だ。 「職人の世界での経験というものは確実に今の焙煎や抽出に生きていると思います」と青野さんは断言する。カフェでの作業はチームプレーであり、周りの意見を聞き、取り入れながら動いていく。しかし焙煎する時は、しばしば一人の世界に没頭し、延々と考えに耽ることも多く、それは染物をしていた時の感覚に非常に近いものがあるという。 べったりとただ色を重ね塗るのでは表現できない染物の美しさがあるように、生豆にも焙煎によって簡単に消えてしまうフレーバーや、良くも悪くもいかようにも変わるフレーバーがある。どちらも突き詰めれば自然現象を相手にした作業とはいえ、そこには確実に人の手が介在している。しかし、無理矢理に手をくわえたり、なすがままにしているのでは絶対に表現できない領域というものがある。それを整え、そっと引き出すのに必要なだけの適量の技術―青野さんの姿勢は、その理想と技術を一体にする道を究めようとしているように感じられる。 これまで、そしてこれから 2017年10月のオープン以来、順調に賑わいを見せているEMBANKMENT COFFEE。 「浅煎り専門」と聞いて訪ねて来る人も多く、大阪にも浅煎りのファンがたくさんいるのだなと思うと嬉しい、と青野さんは言う。理想を言えば、わざわざ「浅煎り」と謳うのではなく、普通のコーヒー屋さんとして、そのスタンダードとして浅煎りを出したい。しかし今は、SNSなどで「東京にあるようなコーヒーを飲みたかったが中々見つからなかった、EMBANKMENTがあってよかった」というような声や、「深煎り派だったけれどこれも美味しい」というような声を見つけては、小さくガッツポーズをつくる日々の積み重ねだ。 最近京都にオープンしたブルーボトルコーヒーなどの事を考えては、大量に豆販売を行っている様子を見習いたいと感じたり、シングルオリジンや浅煎りのみにこだわるよりは、万人受けする味や価格帯を目指さなければ客足も増えないのでは、と迷ってみたりもする。 しかし同時に、あまり無理しすぎても良くないな、と思えるのが青野さんのバランスの良いところ。コーヒー教室やカッピングなども積極的に開催しており、今後は、ロースタリ―やコーヒースタンドを立ち上げ、家で抽出を楽しむ人や、コーヒーカップを片手に通勤する人を増やしていきたいと考えている。肩の力を抜いてしかし着実に、青野さんの歩みは関西のコーヒー文化を変化させている。

KARIOMONS COFFEE ROASTER (長崎):2018年3月 #クラスパートナーロースター

次にご紹介する#kurasupartnerroaster(Kurasu提携ロースター)は長崎のKARIOMONS COFFEE ROASTER。 時津町にある1号店は、倉庫を利用した店舗だ。トタン板の壁、ドラム缶や灯油ストーブといったノスタルジックなインテリアに、ステンレスが蛍光灯を反射する実験室のようなコーナーや、木材が貼り合わせられた大きなカウンター、メカニックな存在感のあるプロバットなどが混在している。思い出と宝物で溢れているような、まさに「大人の秘密基地」といった様子の焙煎所だ。代表・ロースターの伊藤さんに、お話を伺った。   Kariomons Coffee Roasterができるまで 18歳の頃、長崎市内のカフェでアルバイトを始めたのをきっかけに、コーヒー業界に足を踏み入れた伊藤さん。バリスタとして勤務して一年ほどが経った頃、雑誌のスペシャルティーコーヒー特集をきっかけに、スペシャルティーコーヒーという言葉とそのコンセプトに興味を持つ。そこで紹介されていたハニーコーヒーを訪れ飲んだケニアのフレーバーに驚き、「自分でスペシャルティーコーヒーをやりたい」と思うようになったという。 当時長崎にはスペシャルティーコーヒーが存在していなかった。ならば自分で作るしかない、そう考えた伊藤さんは、23歳の時にKariomons Coffee Roasterを開業し、独立。当時住んでいたアパートの横に小さな焙煎小屋を置かせてもらい、朝から小さな焙煎機で焼いては移動式のバンで街に出てコーヒーを売りはじめた。  そんな生活を半年ほど続けたが、やはり毎日の移動が負担になり、できることの限界値も見えてきた。もっと豆を売りたい、どこか拠点がほしい、そう願っていた頃、新聞の折り込み広告で現在の店舗である倉庫に出会う。がらんとした、何もない広いスペース。ここならば存分に焙煎ができる。「家が手に入った」、そう感じたという。 はじめは倉庫で焙煎したものを外に売りに出ていたが、次第に店舗まで直接コーヒーを買いに訪れる人が増えた。それを機に店舗経営とし、現在は2店舗を経営している。   Kariomons Coffee Roaster の焙煎 焙煎は、主に伊藤さんが担当する。独立前の手回し焙煎機、フジローヤルの1kg、5kgを経て、現在のプロバットにたどり着いた。プロバットを選んだ理由は、それまでに飲んだプロバットでの焙煎の風味が好きだったことと、優れた蓄熱で、寒暖差の激しい焙煎所でも安定した環境を保てることだ。 フレーバーの強さは産地に大きく影響されるが、その中でも焙煎する際に重視するのがクリーンでありながら複雑であること。その点は決して譲れない。 実験が好きだという伊藤さんにとっての焙煎の魅力は、「掘り下げがいがあること」。既に王道のやり方が決まっている豆についても、ではこの要素を変えてみたらどうか、あれはどうだろう、と、様々なパターンを試しながら焙煎を繰り返す。その反復作業から違いを生み出していくのが、たまらなく楽しいのだという。   店頭に並ぶ豆は常時8種類ほど。そのほとんどが、伊藤さんをはじめとしたスタッフが直接買い付けて来た豆だ。7年ほど前から、アフリカなどの地域を除き、可能な限り商社を通さずに自分たちで農園へ足を運んでいる。 スペシャルティーコーヒーを出すロースターも増え、消費者から農家など生産者の顔が見えることが当たり前の時代になりつつある。 そこから更に、作り手の側からもロースターの顔が見えるようにすることで、農園との信頼関係を築いているのだ。「精神論かもしれませんが、作り手が僕らの顔を知った上で作ってくれるという事、その気持ちの入り方は必ずコーヒーの品質や味に反映されると思っています」と、伊藤さんは話す。   豆を選ぶ時には、季節に合った個性のものを探す。できるだけ様々な産地から、夏はアイスでの抽出で良さが生きるもの、冬には深めの焙煎にも耐えて魅力を発揮するもの、など。ある時は同じ生産者の異なる品種を同時に店に並べることもある。様々な視点からコーヒーの個性の違いを楽しませてくれる、知的好奇心にあふれた伊藤さんらしい選び方だ。 長崎のコーヒーシーン 家でコーヒーを豆から挽いて淹れるということが一般的でない長崎では、自宅で自分の好きなようにコーヒーを淹れるということは、こだわりが強く、おしゃれという印象で捉えられることが多い。 「ワインを飲まない人にアンケートを取ると、専門的過ぎてよく分からない、と答える人が多いそうです。僕たちはコーヒーをそういう風にしたくない。コーヒーのあるべき姿を伝えなくてはいけないけれど、変に神格化するのはおかしいと思います」と伊藤さんは言う。 コーヒーを飲めなかった人が、Kariomons Coffee Roaster のコーヒーをきっかけにコーヒー好きになることも多い。まだまだライフスタイルには浸透していないと感じる長崎のコーヒー文化が、この先どう変化していくか。それは自分たちの努力にかかっていると自負している。 伊藤さんにとっての「美味しいコーヒー」 伊藤さんが考える美味しいコーヒーとは、「まるで水のように飲む人に抵抗を感じさせないが、その中に複雑さがあり、深い満足感が得られるもの」。 味や淹れ方にはその時々のトレンドもある。移ろっていくものは、それでいい。しかしその根底にある品質の概念、美味しさに対する考え方は意外といつの時代も変わらないと伊藤さんは考えている。 農産物として生まれ、焙煎、抽出を経て一杯の飲み物になるまで、コーヒーは徹頭徹尾「人の手で作るもの」。だからこそ生まれる楽しみや、どんな時でもぶれない価値ーそういうものを見つめ続け、探し続け、伊藤さんは今日も焙煎をする。  

TAOCA COFFEE (兵庫) : 2017年11月 #クラスパートナーロースター

次にご紹介する#kurasucoffee サブスクリプション提携ロースターは、兵庫・TAOCA COFFEE。多くの人の愛される苦楽園店に続き、今年岡本に新店舗、タオカコーヒー OKAMOTO KOBE を構え、その着実な成長ぶりがうかがえるスペシャルティコーヒー専門店だ。店主の田岡さんに、お話を伺った。 岡本駅を出てすぐに現れるタオカコーヒー OKAMOTO KOBE。周辺の道には石畳が敷かれ、セレクトショップや有名パン・ケーキ店、オーガニックカフェなどが並ぶ。流行りものを追いかけるというよりも、日々の生活の質を高めていきたいと考える人が多く訪れる街だ。   宝塚歌劇団の創設者でもある小林一三氏により創立された鉄道会社、阪急電鉄は、その沿線に広がる瀟洒な街並みで知られている。特に阪急神戸線沿線はその特徴を強く持ち、中でも岡本は神戸を代表する人気エリアの一つだ。一号店がある苦楽園も、同じく高級住宅街として知られている。なぜその地を選んだのか、その理由にはスペシャルティコーヒーを広め、TAOCA COFFEEというブランドを築き上げるための、ビジネスマンとしての田岡さんの才覚が光っていた。   オープン当初、8種類からスタートしたラインナップは現在では常時10-12種類を揃え、接客時にはそれぞれの好みを聞き、最も選びやすい数とされている3-4種類の試飲を勧める。 スペシャルティコーヒーを広めたいから、選ぶ楽しみを皆に感じてほしいからたくさんの種類を揃えるようにしているのだ、と田岡さんは話す。 12種類の内訳は大きく分けて浅煎り、中煎り、深煎りとし、焙煎は毎日行っている。店の在庫と卸先のオーダーを確認しながら、2日に1回は全種類の焙煎ができるように調節している。焙煎を担当するのは主に田岡さん、そして「ニット帽の人」と親しみを込めて呼ばれる田阪さんの二人だ。   オープン当初、関西ではまだ広まっていなかったスペシャルティコーヒーや豆販売。苦楽園や岡本ならば、今までのコーヒーよりは高いが、金額よりも美味しいコーヒーを買ってみようという姿勢を持つ人々が集まってくれるのではないか、田岡さんはそう考えた。苦楽園店は開店から丸3年が経ち、はじめはよく聞かれていた、「スペシャルティコーヒーとはなにか」という質問も気づけば耳にすることがなくなった。豆の売り上げの92%も地元の顧客によるものだ。地域へ根付いていっていることを嬉しく感じるとともに、これからもいかに地元に愛される店にしていくか、常によいものを出し応えていくかには、絶対という正解はないと感じている。   コーヒーとの出会い   大学卒業後、2年間商社に勤めることになったものの、独立したいという想いは昔から強かったという田岡さん。学生時代にアルバイトをしていた焼肉店で商売の楽しさに目覚め、経験やつてを活かして焼肉店を経営しようと思っていたこともあった。 その後マーケティングを本格的に学びたいと思っていたころに、株式会社ドトールコーヒーの求人を目にする。コーヒーに特別興味があったというわけではないが、入社してすぐ、新業態を展開する部署に配属されたことが、田岡さんのその後の運命を大きく変えることになる。   緻密なマニュアルがすでに完成されているドトールや傘下のエクセルシオールとは違い、メニュー開発から、店長職での人材育成など、新規開拓事業では全てが一からの作成。試行錯誤しながら第一線で経験を積むことができたのだ。しかし、全国にチェーン展開しているドトールであっても、新業態が常にうまくいくとは限らない。立地など、緻密な計算に基づいてオープンしたはずの十数店舗の経営が振るわず、失敗に終わったのだ。大企業であっても、店を軌道に乗せるというのは簡単ではないのだ、そう実感したと田岡さんは言う。   その後2千人近い社員の中で日々業務をこなしながらも、このまま埋もれていってしまうのではないか、と悶々としながら過ごしていた田岡さんに、またも転機が訪れる。作業をしていた田岡さんの横に、バリスタチャンピオンシップ社内予選のFAXがするすると出てきたのだ。これだ!とひらめいた田岡さんはすぐに予選に申し込み、大会に出場することになる。それまでラテアートなど、バリスタとしての業務はこなしていたが、本格的に指導をしてもらえる環境にはなく、この大会出場がスペシャルティコーヒーとの出会いだった。 大会出場、焙煎士への転身   大会に出場したことで、社外の人々との交流や数多くの出会いを通して視野が広がった田岡さんは、次第にコーヒー業界での独立を夢見るようになる。成功すればするほど農園にも還元できる、社会貢献へのはっきりとした道のりがあるスペシャルティコーヒーに心惹かれたのだ。   しかしすでに自ら目の当たりにしたように、カフェの経営はリスクも大きい。様々な人に会い、アドバイスを受けた結果、人件費が少なく、家族経営もでき比較的低リスクな豆販売に可能性を見出した田岡さんは、東京転勤を経て、関西に位置するドトールコーヒーの焙煎工場で焙煎士として勤務を始める。一般の自家焙煎店では想像のできない規模の焙煎を経験し、カッピングを通し独立に向けて舌を鍛えていった。   焙煎士の仕事は、焙煎の欠点を見つけることだと田岡さんは説明する。スペシャルティコーヒーのカッピングがフレーバーなど豆の長所、プロファイルを見つける作業であるのに比べ、ドトールで行っていたのは品質管理を優先目的とした徹底的な粗さがしだ。例えば「苦い渋い」と感じた場合、それは焙煎のしすぎからなのか、逆に生焼けなのかなどを見極め、論理的にアプローチを導き出す。この経験が、規模も考え方も全く違う現在の焙煎にも活かされているという。   独立、焙煎の追求 チャンピオンシップ出場の経験から、求める味は理解していた。そこへ長所・短所を敏感に感じ分ける焙煎士としての経験が重なり、独立後すぐに味の方針が決まった。全国を周り、そこでも様々な出会いがあり、その中でプロバットの焼き方を指導してもらい、その後自分で数バッチ焙煎しただけで、これで行こう、と思えるものが焼きあがったのだという。 それからは生産性や焙煎時間、微調整などにより大きな焙煎の変化は5回。自分自身の知識のアップデートや、スタッフの大会出場のために豆と深く向き合った結果の発見など、田岡さん自身の変化も反映されている。   使用しているのはプロバットの5㎏。東京の雑貨屋のすみに置かれていた、新品同様の中古品との思わぬ出会いだったという。重視しているのは豆の甘さで、生豆の段階で甘さがあるものを選び、焙煎でさらに甘味を引き出す工夫をしている。豆により、またロースターにより個性が強くでるのが焙煎の醍醐味だが、誰もが飲んで、甘い、飲みやすいと感じる味わいを表現している。 「5㎏の焙煎機だと月間3トンまではいけるという計算なんですよね」と、ストイックなプランを語る田岡さん。大きな焙煎機で一気に焼くのでは、大量に焼かなければ美味しく焼けないこともあり、あくまでも5㎏でやっていく予定だ。「焙煎機は大は小を兼ねないんです」と田岡さんは教えてくれた。 将来に向けて   チョイスに溢れた都心よりも、地元のサポートを得ている有名なロースターの方が、スペシャルティコーヒーを日常に浸透させることに大きく貢献していると感じると田岡さんは言う。 TAOCA COFFEEも、スペシャルティコーヒーを一過性のものではなく、人々の生活に織り込まれたものにするために、日々工夫をしている。店頭のコーヒーは全て試飲できるようにすることで、ミスマッチを減らす。デザインや商品などは、斬新なもの、派手な演出ではなく、何でも「半歩先」をこころがけ、しかしスタッフの技術は2歩も3歩も先へ。地道に、しかし着実にスペシャルティ―コーヒーを広めているのだ。   雇いたい、と思った人に何人か出会ったことが、新店舗オープンのきっかけだった。「将来の展開ですか?今で精一杯、まだまだここを何とかしないと・・・。でも雇用が生まれたからいいかなと思ってます」と冗談めかす田岡さんだが、すでに3店舗目の構想も練っているという。業界の動きをとらえながら力強く舵を取る田岡さんの姿に、同じ関西でコーヒーに携わるものとして、改めて頼もしさを感じた。  

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