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AKITO COFFEE (山梨) : 2019年10月#クラスパートナーロースター

次にご紹介する#クラスパートナーロースターは、山梨県・甲府のAKITO COFFEE。 緑の山々に囲まれた土地で、カフェ、そして2019年6月に味噌蔵を改装した焙煎所TANEをオープンし、その存在感はいよいよ増している。山梨の豊かな自然を活かしながら、スペシャルティーコーヒーという新たな文化の風を吹き込んだ人気ロースターだ。今回はそんな彼らの焙煎所を訪問し、オーナーの丹澤亜希斗(あきと)さんに、お話を伺った。 カフェと「人」 自らの名前を冠し、23歳でAKITO COFFEEをオープンしてから6年が経つ。 暮らし、働き、自分の手で将来を作り上げていくにはどんな道に進むべきか。そう自分に問いかけた時、サラリーマンをしている自分はイメージできなかった、と丹澤さんは言う。「自分のできることで生活できれば、と思って模索していました。自分はいろんな人たちに出会うのがすごく好きで、それならば飲食店だ、と思いました」と丹澤さんは振り返る。 早速、料理を勉強すべく、縁があった和食店で修行を始めた丹澤さん。技術は確かに身についたが、同世代の友人たちを気軽に誘えない価格設定や格式の高さがハードルとなり、当初想像していたほど気兼ねなく人々との出会いやコミュニケーションが取れない。悩む丹澤さんが次に出会ったのが、当時徐々に火がつき始めていたスペシャルティーコーヒーだった。「料亭やレストランでは、来てくれる人とダイレクトに交流を楽しむことは滅多にできないですよね。でもカフェって、初めましての人とのコミュニケーションから始まる場所。その気軽さや、お客さんにとって友達のような感覚で来てもらえるような特別な場所が作りたい。そう考えてコーヒーの勉強を始めました」と丹澤さんは話す。 技術を身につけるまで コーヒースタンドを立ち上げようーそう決めると、丹澤さんは独学で浅煎りの研究を始めた。店の構想は、一人でも回せる規模で、最低限の設備が整っていること。焙煎機はフジローヤルの1kg、そしてエスプレッソマシンもアッピアのワングループに決めた。 店をやるなら、故郷の甲府で、という思いは以前からあった。しかし当時山梨には昔ながらの喫茶店はたくさんあるものの、スペシャルティーコーヒー文化の存在感は薄く、行く先には不安もあった。だが、品質の良いものを山梨の人々へ届けたいという思い、そして自分が愛する場所で暮らしたい、という思いは強く、甲府に腰を据え挑戦する決意を固めた。 「自分一人しかいなかったので、お金がなくてしんどい、などのプレッシャーはありませんでしたが、技術や情報を得るのには本当に苦労しました。一人で黙々と勉強したり、東京に出てカフェを巡ってはバリスタの動きを観察したり、質問したり、とにかく情報を集めるのに必死でした」、そう丹澤さんは振り返る。技術を磨くというのはひたすらに自分と向き合い続けることだ。打ち勝つべき相手は昨日の自分。何年もかけて少しずつ腕を磨く中で、デビューしてすぐに美味しいコーヒーを作れる人を見てはとても悔しい思いをした事もあったという。その全てを起爆剤として、丹澤さんは努力を続けた。 情報は世界中から、と話す丹澤さんは、Market Laneや Coffee Collective、Tim Wendelboeなどの海外のロースターや、東京や地方都市のロースターなどのコーヒーを取り寄せ、とにかくプロファイルを分析したという。さらに知り合いがいる都内のロースターなどに頻繁に焙煎した豆を持ちこんでは、フィードバックをもらい、改善を重ねた。   「自分で同じように焼いてみてもうまく行かないことも多く、じゃあなんでこの人たちはうまく行くんだろう?そう考えて調べて行くうちに、豆のチョイスなどから、ロースターのコンセプトや特徴もわかるようになって来たんです」と丹澤さんは言う。特に感銘を受けたのが、地方都市のロースターで、その地方に合わせた焙煎をしているコーヒーに出会った時だ。「そのコンセプトが現れるような、色が出ているものを作れる人は本当にすごい、と思いました。まるでその先にいるお客さんが見えるような。豆の買い方も含めて、農家のことも真剣に考えながら、お客さんありきの焙煎ができている。そんなロースターさんはすごく尊敬しています」と、丹澤さんは目を輝かせる。   基本のスタンスは、「人と人」。スペシャルティーコーヒーの持つ壁を壊していきたい 「お客さんを区切りたくない、と言うのが昔からある気持ちです。わかる人にだけわかって欲しい、なんて思わないし、むしろなんとかしてその壁を砕けないかと模索してきました。地元で生活している人たちが、僕たちのコーヒーや会話を好きだと思ってくださるのがまず一番にあって、その中でいいものを出していられれば続いていく、という考え方です。周辺に住んでいる方々が、日常生活の中で、好きで寄ってくれる。それが一番です。日本一のコーヒーだろうが、関係ない。それは自分たちがバッチリやっていればいいことだと思っています。コーヒーのプロフェッショナルとして最前線でやっていても、店に立ったら人と人。コーヒーの話をしなくても、楽しい時間を過ごしてもらえれば」そうAKITO COFFEEの姿勢を説明する丹澤さん。 この仕事を始めたのも、人と出会い、関わる事が大好きだったから。そこから長い道のりの中で技術を身につけ、山梨を代表するロースターとなった今でも、その姿勢は変わらない。 スタッフやビジネス展開に対する考え方も同じだ。まずは身の丈にあっている事、自由である事。人がいて、初めてその結果、物事が動く。都内から山梨が好きで移住してきてくれた人、コーヒーをやりたい、と情熱を持って訪れてくれた人、焼き菓子ができる人、そんな人たちに出会えた結果、今のAKITO COFFEEの形が出来上がったのだ。「店の構想ありきではなく、こういう人がいて、縁があって、加わってくれた人たちが店の中でどうやって活躍できるか、それを考えて、目の前のことをこなしていたら結果的にこうなりました。こんな大きな焙煎機を買う日が来るなんて想定していなかったです」と丹澤さんは笑う。 そうやって、あくまでも「人と人」を大切にしてきたからこそ、誰もが気軽に立ち寄れ、好きなことを思い切り突き詰めて楽しめるような、自然体でいられる居心地の良さが店内外に溢れ、AKITO COFFEEの魅力になっているのだろう。 地方で挑戦することの強み AKITO COFFEEでは、その時々の旬の果物など甲府の名産品を使用したスイーツメニューも揃う。山梨の自然の豊かさをたっぷり味わえると人気だ。甲府という地を選んだことで、どんな違いが生まれたのか。 地方でやって行くことの強みとは?と聞くと、「いいことしかない、悪いことなんて見つからないですよ」と丹澤さんは断言する。自然も豊かで、土地は広々とし、人間が生活する上で必要なものが揃っている山梨。この地で育ち、住んでいた頃には当たり前すぎて気がつかなかった環境の良さに、都会に出て初めて気がついたのだと言う。 「何に関しても都会の方がクオリティが良い、という風潮はまだ強いと思います。でも、この豊かな環境の中で、技術面やクオリティを磨き、全国クラス、世界クラスのことを実現できれば、どこも敵わないようなものを生み出せると考えています。それが地方への注目にもつながる。コーヒーは、カップをとれば実力がはっきり分かります。自分たちはまだ無名でも、カップをとってもらえれば絶対にそのクオリティがわかる、そう思って努力してきました」と丹澤さんは話す。   AKITO COFFEEの焙煎 強い意志と弛まぬ努力はしっかりと実を結び、山梨を代表するロースターに成長したAKITO COFFEE。大型焙煎機を導入した焙煎所、TANEのオープンもその成果だ。 そんな新たなチャプターの相棒にローリングを選んだのは、自分の求める味を的確に表現できるマシンだと感じたから。少量だけに操作も難しく、常に焙煎し続けなければ追いつかなかった従来の1kgと比べれば、結果の安定性も増し、時間にも余裕ができたのだと言う。現在では週に一回の焙煎日以外は店に立ち、現場ならではの新鮮なフィードバックをお客さんやスタッフ、そしてカップに落とし込む自らの手から得ている。 「コーヒーを選ぶ中で大切にしているのが、日常的であることです。グリーンを買う金額も、お客さんに買っていただく金額も、日常的であることが常に頭にある。トップクオリティの味わいも知っていますが、そこに固執した結果プロだけが美味しいと言って、お客さんは分からない、そんなものはいらないと思っています。だから一杯数千円のもの等は絶対に出しません。ただクオリティは数千円になるように。カップに届いた時に、やっぱり美味しいな、と思ってもらえる事を重視しています」と丹澤さん。 オープン当時に比べれば、スペシャルティーコーヒーへの理解も進んでいると丹澤さんは感じている。AKITO COFFEEでは、浅煎りのみ、などの決まりは設けておらず、それぞれの豆にあったローストを行なう。「豆に個性があり、それに合わせた焙煎を行う事で美味しい一杯に繋がる、その事を理解して飲んでくれる人が増えて来たのは間違いありません」そう丹澤さんは微笑んだ。   AKITO COFFEEのこれから 「今後、スペシャルティーだけを焼いていこうとは考えていません」と丹澤さんは話す。 上澄みだけを掬っていくのではなく、その下のレベルとされる生産物の質も総合的に引き上げて行くような仕組みを作り、いいところ取りに終わらない、農園との信頼関係を構築したいと考えているのだと言う。 「農園から、この人に焼いてほしい、と選ばれるぐらいのロースターになりたいんです。そうじゃなきゃ、みんな美味しい豆を使って美味しいコーヒーを焼いて、同じですよね。このレベルを争ってる時代は長くないと思っています。どうグリーンを買い付けて、どう農家さんに還元していけるかーここがまだ全然弱いなと感じています。」そう話す丹澤さんの眼差しは、人と出会い歩んで行く未来を、しっかりと見据えている。  

Passage Coffee (東京) : 2017年10月 #クラスパートナーロースター

次にご紹介する#クラスパートナーロースターは、東京・田町のPassage Coffee。   三田通り沿いにある店舗の前に立てば、視線のまっすぐ先に東京タワーが見える。大学があり、オフィス街であり、また観光地でもあるという土地柄、日常と非日常がいそがしく行き交うこの場所では、人通りが途切れることはない。 店内は明るく、木材で統一された内装と、交差するいくつもの直線で構成されていながら暖かみのある空間が印象的だ。カフェではエアロプレスをはじめとした器具や、常時5種類ほどが揃う自家焙煎コーヒー豆も購入できる。   朝一番においしいコーヒーを飲んで、一日のエネルギーにしてほしい―そんな思いを込め、平日は朝7時半、週末は9時にオープンするPassage Coffee。2014年ワールドエアロプレスチャンピオンシップ優勝という輝かしい経歴を持ち、店主として人気店を切り盛りする佐々木さんに、お話を伺った。       コーヒーとの歩み 『初日に、あ、これで飯食っていこう、と』   幼いころからカフェオレを好んで飲んでいたという佐々木さんが、本格的にコーヒーの世界に足を踏み入れたのは大学2年生の時だ。アルバイトとして採用された福岡のスターバックスで、勤務初日、「あ、これで飯食っていこう」、そう思ったという。スターバックスでは、アルバイトにも社員同様丁寧な研修が行われる。そのテイスティングでコーヒーの味わいの幅広さに感動を覚え、就職するなら絶対にコーヒー業界にしよう、と心に決めた。20歳の時だった。   卒業後ドトールに入社し、東京へと引っ越した。ドトールでは2年間店舗勤務で店長の業務をこなし、主にカフェの経営面、ビジネスマネジメントを大いに学んだ。そうして順調にキャリアを積んでいた佐々木さんだが、彼の頭の中にはすでに次のステージへの構想が浮かんでいた。   さかのぼって大学4年の頃、バリスタチャンピオンシップ観戦のため東京を訪れた佐々木さんは、ポールバセット新宿店に足を運んだ。そこで飲んだカプチーノ、スタイリッシュな空間の余韻は福岡に帰ってからも頭から離れなかったという。その記憶は、ドトールで忙しく働きながらも、また新鮮に思い出された。接客、マネジメントと、自分にとって必要なステップは踏んできた。ここへ来て、技術をしっかりと身に着けたいという気持ちがいよいよ強くなってきたのだ。   当時本格的にエスプレッソを扱っているところといえば、デルソーレ、ポールバセットを含めほんの3店ほど。その中で特にポールバセットはバリスタの登竜門のような存在であり、自分の技術を伸ばすなら絶対にここだ、そう感じたという。   その後アルバイトとしてポールバセットに採用され、更にセガフレードなど2つのカフェでのアルバイトを掛け持ちする傍ら、専門学校へも通い、1年間のバリスタ養成コースを修了した。仕事ぶりが認められ、ポールバセットで無事社員として登用された佐々木さんは6年半の間、新宿店を支える大きな存在として活躍することになる。   ポールバセットでは、バリスタとなり実際にマシンを触ることができるようになるまでに長い下積みのステップがある。バリスタになるには、コーヒーの知識、カッピングを含む味覚の試験、スチームの技術などの審査に合格する必要がある。厳しく長い下積みと言えば、少々古い体質のようにも聞こえるが、半端な気持ちで臨んではいけない仕事であるということ、そして、基礎ができていなければ美味しいエスプレッソなど作ることができないという意味で、順当であるとも思う、そう佐々木さんは話す。   無事にバリスタとなった佐々木さんは、ポールバセットの渋谷進出後、新宿店をほぼ一任され、時間は忙しくあっという間に過ぎていった。       エアロプレスチャンピオンシップへの挑戦、そして世界へ 『負けてすごく悔しかった』   初めてのエアロプレスチャンピオンシップへの挑戦はある日突然訪れた。上司が佐々木さんの名前で参加申し込みをしたというのだ。それまでほとんど触ったことがなかったエアロプレス。戸惑いながらも、大会までの2か月間特訓を重ねることにした。   初めてエアロプレスと向き合い、抽出してみた感想は「ストライクゾーンが広い道具」。手探りの一度目から、ある程度おいしいコーヒーが抽出できたのだ。しかし現実はやはりそう甘くはなく、大会では2回戦で敗退。 突然訪れた機会だったとはいえ、負けた悔しさは強く、来年必ず再出場しよう、そう心に決めた。   ポールバセットの看板商品はあくまでも世界一位を獲得したエスプレッソ。 しかし決意を固めた佐々木さんは、店舗ではまだメニューになかったエアロプレスをメニューに追加するよう働きかけ、自分の時間も使い細々とではあるが練習を重ねた。   「エアロプレスって、ある程度のところまでは簡単なんです。でも、完璧な一杯を追求しようとすると、味に影響する要素が多すぎる」と佐々木さんは説明する。エスプレッソと同じく気圧で抽出する手法は、よく言えば味づくりの幅が広く、様々な味が出せる。しかしその逆を言えば、あまりに幅広く様々な味を出せるため、照準を絞るのが難しく、また外してしまう可能性も大きいというのだ。   翌年の大会には、ティムウェンデルボーなどを参考に世界でスタンダードとされる味の取り方を研究し臨んだ。求める味を模索する中で新たに視野に入った世界での味の流れ、酸味を押し出すだけではなく、クリアでなければ表現できない産地個性など、それまで日本のコーヒーしか知らなかった自分の中での価値観が世界に向けて変わった瞬間、それが最大の転換期だったという。そして挑戦した二度目の大会で優勝、更に2か月後に控えていた世界大会でも、見事に優勝を果たすことになる。   前日まで調整を尽くした一杯を出し、その後も微調整を繰り返したと、佐々木さんは緊張感あふれる当日の様子を話してくれた。その時使用したのはボリビア。甘味が強く、ダークチョコレートを感じさせる豆だ。ただ淹れただけではフルーティーさはなく、その果実味を引き出し明るい酸と甘味のバランスを取ることで、ユニークさを表現し、評価につながった。 自分がおいしいと思うコーヒーが、世界で一番のコーヒーとマッチした瞬間だった。     焙煎の始まり...

Kurasuロースターストーリーズ: 大山崎 Coffee Roasters / 京都

Kurasuが日本各地の焙煎所とのプロジェクトを始めたころから、変わらない想いがあります。コーヒー豆を売るだけではなく、彼らのストーリーも紹介したい。 日本には、100gという少量から、週数百キロの量を焙煎する所まで、幅広く個性豊かな焙煎所が多く存在します。私達にとっては、どの焙煎所も規模などの数字だけでは比べられない、それぞれのユニークな魅力にあふれています。実際に焙煎所を訪問して聞かせていただく彼らのストーリーには、一杯のコーヒーの後ろに広がるそれまでの試行錯誤、思いがけない出会いや人間性がたっぷりつまっているのです。 お話を聞く時の素晴らしい体験、その感覚をどうにかしてもっと皆様に感じていただきたい、そう考え、ショートムービーが出来上がりました。日本の焙煎所をこのような形で紹介するのはKurasuが初めて。その場で、ロースターさんと、焙煎機の音を聞きながら実際におしゃべりしているような、そんな空気を感じていただけることを願っています。 記念すべき1つ目は、京都・大山崎 Coffee Roastersの中村夫妻に焙煎所をご紹介していただきました。お二人のマイクロロースティングへのアプローチ、地元のコミュニティとの深いつながり、スペシャルティコーヒーと親しみやすさとの絶妙なバランス、そして何よりも、夫妻の人生への姿勢は、私達が憧れてやまない素晴らしいスタイルです。 お二人の言葉で語られるストーリーを、お楽しみください。   大山崎COFFEE ROASTERS oyamazakicoffee.strikingly.com Kurasu コーヒー定期購買 jp.kurasu.kyoto/subscription    

Townsquare Coffee Roasters (福岡: 2017年9月 #クラスパートナーロースター

次にご紹介する#kurasucoffee サブスクリプション提携ロースターは、福岡のTownsquare Coffee Roasters。コーヒーカルチャーの成長著しい福岡でもひときわ目を引くスペシャルティコーヒー専門店だ。その中核を担う井手さんにお話を伺った。 井手さんはどのようにコーヒーに関わる道に入られたのでしょうか? 昔はパティシエとして働いていました。元々コーヒーは飲めなかったのですが、仕事でサイフォンを扱う機会があり、それをきっかけに飲めるようになりました。私自身の業界への入り口はラテアートで、これができるようになったら格好いいなと思って始めました。その後Townsquareで焙煎する事になって、コーヒー豆への興味がより深まり、コーヒー自体をよりおいしくできたらいいなと思うようになりました。   Townsquare Coffee Roastersについて教えてください。 今年の10月に7周年を迎え、他にもコーヒー関係の店、和食レストランなどを系列店として持つグループ会社を母体としています。オープン当初からスペシャルティコーヒーを専門として扱い、系列レストランから引き抜いたシェフによるフードやカリフォルニア出身のDavid Ockey氏の作る本場のカップケーキなど、本格的な食事も提供しています。初代の店長は現在COFFEE COUNTYを切り盛りされている森さんで、スペシャルティコーヒーを福岡に広めようと完全熱風式のペトロンチーニを導入し焙煎を開始しました。 当店ではラテアートも行っていて、コーヒー自体の味わいを追求するスタイルが多い福岡で少し変わったものを提供できていると思います。卸売りや、カフェのセットアップのお手伝い、技術提供などもしています。卸先以外にトレーニング依頼を受けることも多いです。 自宅でコーヒーを淹れるライフスタイルも推進していて、カフェでも幅広い種類の器具の販売スペースを設けています。   お店としてラテアートを始めたのはいつ頃ですか? 私がここで働き始めたのは4年ほど前ですが、その頃にはすでにラテアートを積極的に行っていました。個人的にはどちらかというとコーヒー自体のおいしさを伝えたいと考えているのですが、ラテアートをきっかけとしてコーヒーに興味を持っていただいたり、コーヒーを好きになっていただくのも素敵だなと思います。   カフェ設立・技術サポートと、ラテアートにも焦点を当てたスタイルはTownsquare Coffee Roastersさんならではのものとして注目を浴びていますね。 3年ほど前に福岡を訪問したのですが、その時と比べてカフェ、ロースターが飛躍的に増えているという印象を受けました。5年前のオープン当初、現在とはかなり環境が異なっていると思いますが、お客様の反応はどのようなものでしたか? そうですね、初めのころは来店してくださる方の数も少なかったですが、ずっとやっていく、ということに意味があるのかなと思っています。「ここでコーヒーを飲んで以来、他のところでは飲めなくなった」というお言葉もよくいただきます。少しでも多くの方に知っていただく事が大切だと思っているので、いろいろなイベントに参加したり、積極的にセミナーを開催するなど、常に発信し続けることを心がけています。当店の地域密着型という姿勢から、お客様は地元の方が多いのですが、さらに他のエリアからも参加・交流していただけるよう、様々なセミナーも開催しています。 カッピングのセミナーも開催していて、年に一度大規模なものを主催しています。前回は九州のロースターのコーヒー豆を集め、さらに東京などからお客様が持ち寄ってくださったものも含め全部で25、6種類を皆様にカッピングしていただくことができました。福岡をはじめ、他のロースターさん方と良い関係も育てていけていると感じています。 8月には同じ福岡にあるステレオコーヒーさんで毎月一度のカッピングを開催し、それも今回で5回目となりました。その他にもプロのカメラマンを講師として迎え、コーヒーとケーキを被写体としたミニワークショップも実施し、さらに9月にはドリップの初級セミナーも予定しています。     Townsquare Coffee Roastersの焙煎について教えてください。 オープン当初から焙煎は浅煎りをメインとして、ほぼ毎日焙煎しており、常に20種類前後の豆を取り揃えています。 焙煎に使用しているのは九州での導入が初となる「Petroncini社」製熱風式焙煎機で、独自の焙煎理論と技術により厳選した素材の持ち味を最大限引き出しています。焙煎後は欠かさずカッピングによる品質管理を行い、さらにその後も定期的にカッピングを行うことで、時間経過による味わい・品質の変化にも目を光らせ管理しています。 店頭では、本日のコーヒーをまず試飲していただき、その後その味わいを軸としてお好みの味を表現していただき、お客様にぴったりのコーヒーをご紹介できるような接客を行っています。   今後の展望について教えてください。 さらなる焙煎技術の向上、ラテアートも大切にしながら、お客様のフォーカスがそればかりにならないような、バランスの取れた商品のご紹介、チームの形が変わっても必ずスタッフ皆がおいしく抽出できるような体制を整えること、が主でしょうか。 今後はさらにコーヒーに特化していく予定です。      

27 COFFEE ROASTERS (神奈川) : 2017年8月 #クラスパートナーロースター

次にご紹介する#kurasucoffee サブスクリプション提携ロースターは、神奈川県藤沢市、辻堂に位置する27 COFFEE ROASTERS。神奈川県を代表するスペシャルティーコーヒーロースターになるまでの20年間の歩みについて、代表の葛西さんにお話を伺いました。   コーヒーの世界に入ったきかっけ、今までの道のりを教えてください。 実は店を始めてもう20年になります。1997年に自家焙煎挽き売りと喫茶の店「自家焙煎かさい珈琲」として始めました。ちょうどシアトル系の大型チェーンショップが開店したタイミングでしたが、当時はスペシャルティコーヒーという言葉も出回っていませんでした。もともと海が好きで辻堂に住んでいて、会社勤めをしていたころは東京まで通勤していたのですが、東京も通勤も好きではなくて、ここで仕事をしながら住めたらいいなと考えたのが開業のきっかけです。ちょうどその頃に実家の工場が廃業することになり、商売をやってみないかと言ってもらいました。両親は宮城の出身で、コーヒー業者に勤めていた親戚がいたことから話が進んで、勢いでお店をオープンすることになりました。 特にコーヒー好きだったというわけでもなく、どこかで修行したり、コーヒーに関わる環境で勤務した経験もまったくありませんでした。現在のようなオープンな情報もありませんでしたので、初めは何をしたらいいのかすべてが手探りでした。皆はなぜコーヒーを美味しいと思うのだろう?そんな疑問から始めたぐらいですから、良くも悪くも品質判断の基準が定まっていなかったので、逆に自分の仕事やお客さんが求めているものを客観的に見ることができたかも知れません。好きすぎるあまり自分の思いを押し付けてしまうことなどもなく、一方通行にならないようなバランスも取れていた部分があったかも知れません。 その後2003年にスペシャルティコーヒーに出会い、それまでの昔ながらの喫茶経営からスペシャルティコーヒーにフォーカスしたお店の形に自然と少しずつ変化していきました。そして2012年、コーヒー豆販売と新しい焙煎機を導入した「27 COFFEE ROASTERS」としてフルリニューアルオープンしました。現在では現地の生産者や農協、輸出業者とのつながりを大切にし、品質重視の姿勢でセミナーやカッピングなども行いながら、おいしいコーヒーを伝える、「コーヒー嫌いだった人に振り向いてもらえるような1杯」を作っています。     コーヒーとの関係の転換期はどのようにして訪れましたか? 喫茶店では、凝り性なこともありますし、仕事は一生懸命やっていました。ただ、方向性が定まらないまま色々やってしまっていたんですね。当初はイートインもやっていました。「豆だけで売り上げを立てる事は難しいだろう」という思い込みもあり、お菓子を置いてみたり、フードメニューを変えてみたり…色々手を広げすぎてしまったんです。売り上げも安定していませんでしたし、自分自身店の中にこもって狭い世界にいたと思います。 そんな時、2003年に日本にSCAJが設立されて、スペシャルティコーヒーが入ってくるようになりました。そこでスペシャルティコーヒーのカッピングセミナーがあったので参加して、今まで飲んだことのない味にとにかくびっくりしたんです。これがコーヒーなのか!という驚きを感じたのを今でも鮮明に覚えています。その時は、すぐにそれがいいか悪いかはわからなかったのですが、とにかく今まで自分が飲んできたものと全然違った。そこから今まで何となく「スペシャルティコーヒー」と言われて買っていたものは何だったのだろう、本当にいいコーヒーというのはどうやったら買えるのだろうか、と考え始め、ぐいぐいとスペシャルティコーヒーに引き込まれていきました。 当時はカッピングもあまり行われておらず、情報を得るには本などで勉強していた程度で、海外からの情報や同業者との交流もほとんどありませんでした。しかしスペシャルティコーヒーに衝撃を受けて、これをちゃんとやれば道が開けるんじゃないか、そう直感したんです。それからはできる限り外に出て、セミナーにも参加し勉強しました。 そうするうちに、店の方向性も、コーヒーへの姿勢も自然と変わってきました。元々はカウンターがあって、ドリップやサイフォンがあって、喫煙もOKのいわゆる昔ながらの喫茶店だったのですが、まずは禁煙にして、フードの提供もやめて、と、徐々に変えていき、5年前には完全にリニューアルし、かさい珈琲から27 COFFEE ROASTERSへと名前も変えました。   大きな変化ですね。お客さんの反応はどうでしたか?   たくさんの人に反対されましたし、最初の反応は決して良くなかったです。正直な感想や思うところを言ってくれる人もいれば、何も言わずに来なくなってしまうお客さんもいました。ですが、それまで喫茶店をやっていたころは(これをずっとやっていくのかな)という不安があったところ、これなら安心して、信じてやり続けられるという風に思えたのがスペシャルティコーヒーだったんです。品質は嘘をつかない、そこをきちんと守っていればずっとやっていけると思って続けました。   新しいお客さんももちろん増えて、同じ価値観やコーヒーに対する興味をもってきてくれるお客さんが集まるようになりました。基本的には地元の人が多いですが、東京や、遠方からのお客さんも徐々に増えていっています。       27 COFFEE ROASTERSのコンセプトはなんですか?   とにかくシンプルに、10年、20年経っても同じようにやっていけるようなものを目指して作りました。半分は焙煎所、半分は抽出する場所として、この店に来れば一通り体験できるという場所にしたかったんです。余計なものを置かず、コーヒーだけに集中できるような店にしました。お客様の9割が豆を買われる方々なので、店内でドリップするフィルターにはV60などあまりマニアックでない器具を使い、豆を買ってくださったお客さんも同じように淹れられるようにしています。   27 COFFEE ROASTERS の焙煎、コーヒーについて教えてください。   20年前店を始めたころには誰も焙煎を教えてくれませんでした。コーヒー好きであれば自分のいきつけや好みの店がいくつもあって、そこでノウハウを教えてもらうなりやり方があったのでしょうが、そういうものがない、ゼロの状態からスタートしなければならず苦労しました。今はむしろ情報が多すぎるための苦労もあると思いますが、当時は原料の豆を仕入れるにもルートが限られていて、問屋さんにもあまり良いものが揃っていないという環境でした。その後共同購入グループ「C-COOP」に参加し、同じような境遇の仲間が集まる中でお互いに焙煎を学び、海外にも目を向けるようになり、一緒にアメリカなどの海外のロースターを訪問見学させてもらったりもして、徐々に経験を積んでいくことができました。         産地にも興味があったので、ニカラグアなどにも行きました。栽培しているのを実際に目の当たりにすると、生産者達の思いも汲んで、ちゃんと売りたいという気持ちが強まりましたし、COEなどの審査会にも行ってみたいと思うようになりました。それから審査員として参加すべくカッピングのスキルなども学び、2008年に初めてCOE審査会にオブザーバー参加しました。それからは毎年中米を中心に、つながりができている産地に行っていますが、オーストラリアやアメリカと比べると、産地とのつながりの歴史や深み、購入量には日本との歴然とした差を感じさせられます。日本は大手チェーンなどが主導する流れがまだまだ強く、個人ロースターはすぐに買い負けてしまうんです。その差を乗り越えていかなければ良いものは手に入れられません。すぐに解決するのは難しいでしょうが、日本なりのやり方があると考え、同じ目線で仕事のできる比較的小規模な生産者が多い中米とのつながりを構築しています。 現在、焙煎は自分とスタッフの4人チームでやっています。焙煎機にはローリングスマートロースター35kgを使用し、スペシャルティコーヒーの持つ爽やかな酸味や透明感、スムースな甘さを最大限に引き出す努力をしています。コーヒー豆の外側に過度なダメージを与えずに、豆の芯にしっかり熱を与えて風味を発達させています。 27 COFFEE ROASTERSでは、それぞれのコーヒーが持つ素材の味わい、長所を素直に表現し、味わっていただく事を大切にしています。...

Life Size Cribe: 2016年11月 #クラスパートナーロースター

  芯のある声で「何でも聞いてください!」と、快く取材に応じてくださったのは、国分寺にあるLife Size Cribeの吉田さん。 Kurasuのコーヒーサブスクリプションで提携するカフェ・焙煎所だ。     新卒時、縁があり決まった飲食業界の企業で、コーヒーに関わる仕事をスタート。持ち前の向上心と行動力を活かし最短で店長に就任した。日々喫茶店という場への思い入れは高まり、勤務開始まもなく、30歳までに独立したい、自分の店を持ちたいと思うようになったという。仕切っていた喫茶店では、全てオートメーションでボタンを押せば規格通りのコーヒーが出来上がる仕組みで、バリスタや焙煎、と言っても、「誰かがやっている仕事」という認識にとどまっていた。       忙しく働いていたその頃、所属企業の別業態として、イタリアンバルがスタート。初めて間近に目にしたエスプレッソマシンに、メカニック好きの血が騒いだ。 すぐに異動を願い出るも、なかなか思うように話が進まず、居ても立っても居られなかった吉田さんは、右も左も分からぬまま、自らマシンを買っては壊し、グレードアップしては壊し、を繰り返す日々を送った。 さらに、毎日仕事が終わるとすぐにバリスタについて調べ、バリスタがいる店を端から訪ねては、色々な話を聞かせてもらい勉強した。   知識が増えるにつれ、バリスタになりたい、今の自分の仕事は本当にやりたい事ではない、という思いを募らせた吉田さん。まだこの時点では、バリスタという職業への憧れがひたすらに強く、コーヒー自体の味わいや、コーヒーを淹れることを職業にする意味を自らに問うところまでには至っていなかったという。     しかしそんな状況を一変させるような衝撃の出会いが訪れる。 ある日ポールバセットに入りエスプレッソを頼んだ。いつものように砂糖をたっぷり入れて飲もうとした瞬間、今ではエアロプレスのチャンピオンとして名を馳せる佐々木氏に、「できればお砂糖入れずに飲んでみてください」と話しかけられたのだ。半信半疑で飲んでみたその一口に衝撃を受けた。信じがたいほど甘く、まるでダークチョコレートをなめているような味がしたのだ。あまりの感動に、しばらくは鳥肌が止まらなかったほどだという。さらに当時のポールバセットには現在Onibus Coffee代表の板尾氏やFuglen Tokyo代表として活躍する小島氏も在籍し、まさにサードウェーブを担う強者揃いだった。   それからは猪突猛進、アルバイトとしてでもいいから雇ってくれ、と5回ほど履歴書を送ってみたが、手応えなし。地道に業界で人脈を広げていくなどの努力もしたが、なかなか実を結ばなかった。     一旦は地元に戻って友人の手伝いをする日々を送ったが、そんな時に転機が訪れた。ポールバセットが渋谷ヒカリエに新店舗を出店、オープニングスタッフの募集を開始したのだ。 ここで以前に知り合い交流を深めていた方の口利きで、無事採用が決定する。またそこからが吉田さんの力の見せ所。とにかくできるだけ多くを学びたい、その一心で、与えられる仕事をこなすだけでなく、ひたすら先回りをしては、あらゆるすきま時間に、自分で考えたことや学んだことをプレゼンしていくという情熱を見せた。 その向上心と必死で積み上げた経験の甲斐あって、吉田さんは見事、二人分しか枠のないバリスタの地位を勝ち取り、さらに社員だけが関われる焙煎にも関われるようになった。     こうしてコーヒー業界を駆け上がっていった吉田さんだが、以前からの独立への夢は褪せることなく輝いていた。知識や経験が増えるにつれ、さらに自分なりのアウトプットがしたいと強く思うようにもなり、独立へ向け、あえてアルバイトの身に戻してもらい、ボンダイコーヒーサンドイッチで兼業するなど、ひたむきに吸収し、人脈も広げていった。少しでも空いた時間があれば、コーヒーにまつわる文献を読み込むなどし、幅広く知識の根を広げた。 頑強な意志と、他の追随を許さぬ努力ぶりでめきめきと力をつけた吉田さん。仲間の力添えや様々なめぐり合わせで、30歳という目標よりなんと3年も早い、27歳の年にLife Size Cribeをオープン。Life Sizeという言葉には、Life Styleほど大げさでない、「等身大」の姿勢を大切にしてきた自分の半生を振り返るような気持ち、そして、訪れるお客さんに、コーヒーをもっと等身大で楽しんでほしい、という気持ちを込めた。     吉田さんが考えるコーヒーは、まず第一に嗜好品であるということだという。人それぞれ好みがある中で、新しい選択肢を提案できる幅広さ、そして飲んだ瞬間、幸福感があるようなコーヒーを淹れることを常に念頭に置いている。飲み始めてから飲み終わるまでの温度変化が、味やフレーバーにどう関わるか、までを追求した結果、温度をやや低めにして抽出するところにたどり着いた。甘みを強く感じ、時間が経っても質が変わらない抽出が理想だ。 焙煎の場でも、情報共有やプロ・アマ問わず交流ができる場を作ろうと、Glitch Coffeeと協力し、まだ珍しい共同焙煎「シェアロースター」という形をとり、焙煎を開始。現在はFuji Royalを所有し、毎週焙煎にいそしんでいる。     都心にカフェがあふれ、「なんとなくおしゃれな場所」「かっこいいもの」が飽和状態になっている今、その場の空気に付随するだけではない体験を提供したいと考える。今やコーヒーカルチャーは一種のファッションとされてしまいがちであることに、吉田さんは疑問を呈する。 おしゃれをして、一過性の素敵な時間を買い消費するのではなく、毎朝出勤前などに自然と集い、美味しいコーヒーと優しい会話を楽しむような、日常に溶け込むような空間を作りたい。今後もどんどん増えていくであろうコーヒー業界の人々には、コーヒーを美味しく作れる事は絶対条件である職業バリスタとして、コーヒーを淹れてお金をもらう事の意味を自らに問う姿勢を大切にしてほしい。まずは自分の周りの人達にコーヒー好きを増やしていくような情熱と根気良さを持ってほしい、と吉田さんは語る。 サードウェーブを盛り立ててきた第一世代に学び、そこに夢や希望を見出して業界を志す第二世代の人々とどう今後力を合わせていくか。その舵取りの一手を担いたいと、志を燃やしているのだ。    ...

MEL COFFEE ROASTERS: 2016年10月 #クラスパートナーロースター

Kurasuが11月にご紹介するのは、大阪のMel Coffee Roasters。   大阪を代表する活気ある街の一つ、心斎橋。大通りを曲がり、オフィスビルや住居ビルが並ぶ落ち着いた横道を進むと、十字路の角にMel Coffee Roastersが現れる。     街並みに溶け込むシンプルな外観だが、近づいてみると手塗りの跡も感じられるような素朴な外壁に、控えめに踊るようなロゴが目にも楽しい。 カウンターと焙煎機が肩を寄せ合う店内はわずか2.6坪。しかし不思議と明るく温かみのある空間に一歩足を踏み入れると、すぐにオーナー兼ロースターの文元さんが出迎えてくれた。    元々は大手自動車メーカーでエンジニアとして活躍していた文元さん。仕事にやりがいを感じる一方で、これが本当にやりたいことなのだろうか、と考えるようになったという。 仕事を通して毎年海外に行く機会もあり、次第にもっと世界を見て回りたいと考えるようになり、ついに世界一周を決意した。    3か月のオーストラリア、シドニー滞在を含め、南米やアフリカなどにも訪れ、自らの世界を広げていった。旅の中で、コーヒーとも様々な形で巡り合ったという。エチオピアやケニアでのコーヒーセレモニーで飲んだ、砂糖を混ぜた粉っぽいコーヒーは特に印象深い。   その後結婚を経て、さらに英語力を磨くため渡豪。当時まだ日本人の少なかったメルボルンに滞在することに決めた。ビジネススクールに通う道のり、セブンイレブンで、1ドルのカフェラテを一杯。毎日コーヒーを飲む習慣ができたのはこの頃だった。        多くを吸収する日々の中、通学路にいつも長い列ができているカフェがある事に気が付いた。BROTHER BABA BUDAN、メルボルンで人気を誇るスペシャルティーコーヒーのカフェだ。 そこで何気なく並び飲んでみたカフェラテに、文元さんは非常な衝撃を受けることになる。 そこからカフェを巡り始め、いくつものマシンを目にするにつれ、自分でもエスプレッソマシンを動かしてみたいと思うようになった。    それからは行動力を活かし、カフェのアルバイトに応募しようと100枚以上履歴書を配って回ったが、ことごとく断られてしまう。 少しでも経験を積もうと思い、バリスタの養成学校で3日間集中コースを受け再度挑戦。しかし今とは違いアジア人がバリスタとして働くことがほぼ無かった時代、受け入れようとするカフェはなかった。 その後50件以上訪問し、2件だけ試しにミルクを作らせてくれたカフェがあったものの、結果はやはり不合格。 ただでさえ不利な環境で、3日間の付け焼刃では太刀打ちできるはずもなかった。    それでも諦めなかった文元さんは、自ら800ドルでRancilio Silvia V3のエスプレッソマシンを購入、自宅で練習を始めた。さらに知り合いのつてで、カフェの営業時間外にマシンを使わせてもらえることになり、そこで半年ほど練習を重ねた。   その後努力の甲斐あってTrufulla seed coffeeで念願だったバリスタの職を得た文元さんだったが、実家の都合で急遽帰国することになる。 地元大阪に戻り家業を手伝うかたわら、週末は心斎橋のコーヒースタンド、mill pourで働くことに。徐々に日本のコーヒービジネスへの見識も深まり、自分の将来への方向性が具体的に見え始めたのがこの頃だった。      その後大阪、東京とカフェを巡りながら、日本のコーヒー事情や豆のセレクト、焙煎機などの傾向を研究。2年半後の2016年1月、ついにコーヒースタンドMel Coffee Roastersをオープン。内装は自ら手掛け、焙煎機にはProbat 5kg、 1968年のビンテージモデルを選択した。日本ではFuji Royalを使用する焙煎所が多い中、差別化をはかり素材やバーナーにこだわった結果、理想にかなうものをドイツからオーダーし直輸入。納品、修理を含め1年半ほどかかった。小さな店内にロースター、マシン、生豆を置き、ドリップを含めスタッフはたったの2人。私たちの知っている限りの “the smallest...