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Kurasu Journal

GESHA VILLAGE x Kurasu Kyoto: イベント情報・ストーリー

エチオピア、パナマ・ゲシャが見いだされた場所のほど近くにある農園、Gesha Village。農園を経営する代表Adam Overton氏が、コーヒープレゼンテーションツアーを香港、台湾、日本で行います。Kurasu Kyotoは西日本でのホストとしてOverton氏をお迎えし、エシカルな農園経営、品質保持のための生産方法などを含めGesha Villageのコーヒーをご紹介いただきます。高い人気を誇るエチオピアのコーヒー農園と直接交流し、実際に味わい比べる事のできる貴重なイベントで、スタッフ一同今から待ちきれない思いです! We will be hosting a coffee tasting (cupping) with Adam from Gesha Village in Ethiopia. Adam will be introducing his farm as well as presenting coffees which will be included in their upcoming coffee auction. This is a great opportunity to interact with a coffee...

Kalita TSUBAME ドリップポット スリム <新商品>

確かな品質とスムーズな抽出を支える、燕(ツバメ)が誇る職人技   Kurasuでは新たに、Kalita TSUBAME ドリップポットスリムをご紹介します。   新潟県燕市商工会議所によってその品質が認められた製品にしか刻印する事が許されない、MADE IN TSUBAMEの文字。日本のコーヒー器具産業を牽引するメーカー、カリタが燕市の職人の技術とコラボレーションし実現したこのMADE IN TSUBAMEシリーズは、シンプルでスタイリッシュな外観と、信頼の置ける品質で、Kalita製品だからこその安心感です。         高度な製造技術、特にそのステンレス製品の質の高さで古くからその名を知られる新潟県燕市。コーヒー器具を熟知したカリタによる無駄がなくエレガントなデザインと、質が高く丈夫なステンレス、そして熟練の技術で仕上げられたこのケトルは長く愛用したい逸品です。     コーヒー愛好家やプロフェッショナルに長年愛され続けているカリタ製品。水流のコントロールのしやすさ、安定感、そして何より多用に耐える品質。実用性はもちろんのこと、その洗練されたデザインが日常のシーンをスタイルアップしてくれます。 ウッドハンドルあり、なし、またスパウトの絶妙な違いも選ぶのをさらに楽しく、そして難しく(!)するこのドリップポットスリム。サビにくく丈夫なステンレスと、優れた熱伝導性と保温性でゆっくりとした抽出でも温度変化が少なく頼れる銅の二種類の素材での展開です。 銅ポットの中にはメタルコーティングが施されており、水の味への影響も心配ありません。 従来のコッパーケトルに代わる注目商品として堂々登場したKalita TSUBAME ドリップポットスリム。今後も様々な新商品が続々発表されるとのことで、いよいよ目が離せません。Kurasuでも皆様に素敵なラインナップでご紹介できるのを楽しみにしています!   商品展開   Kalita Tsubame ドリップポットスリム (0.7L)  Kalita Tsubame ドリップポットスリム ウッドハンドル (0.7L)   Kalita Tsubame ドリップポットスリム コッパー (0.7L) Kalita Tsubame ドリップポットスリム コッパー ウッドハンドル (0.7L)   特徴...

大山崎COFFEE ROASTERS:Kurasu Kyoto イベントレポート

3月29日、Kurasu Kyotoにて、大山崎COFFEE ROASTERSの中村佳太さん、まゆみさんご夫婦をゲストバリスタとしてお招きし、お持ち頂いたコーヒー豆をハンドドリップで提供して頂きました。 開始早々たくさんのお客様にご来店いただき、お2人の人気の高さが伺える大盛況のイベントとなりました。 大山崎COFFEE ROASTERSさんのコーヒー豆は昨年末からKurasu Kyotoでお取り扱いをさせて頂いています。毎週お二人そろって配達に来てくださる丁寧なお仕事ぶりと、とても気さくであたたかい人柄が素敵な中村夫妻。 お客様も、そんなお2人の説明を聞きながら楽しそうにコーヒー豆を選んでいました。この日は特に海外からのお客様が多く、お二人のコーヒーを飲んだ後「このコーヒー豆がほしい」と言われる方も多くいて、京都で焙煎されたコーヒー豆がこうして世界中に広がっていくことを嬉しく思いました。 閉店後には、焙煎の違いを楽しむワークショップを開催。 同じコーヒー豆をシナモンロースト、ミディアムローストとフルシティーローストに分けて焙煎し、飲み比べを行いました。佳太さんの「コーヒーの中から風味を探すというよりも、普段食べるものからコーヒーの風味を見つけるんです」との言葉をうけ、 飲み比べをしながらめいめいが感じた味わいを自由に表現する楽しいセッションになりました。参加者の皆様からは「黒糖の味!」「ほうじ茶!」「栗!」など和風なものから、「マーマレード」、「お砂糖の入ったアップルティーみたい!」など、優しく丸い風味を表す感想も多く、あたたかな中村夫妻の人柄が、焙煎されたコーヒー豆によく表されている事を改めて感じました。 中村さんご夫妻、今回は一緒にイベントをして頂きありがとうございました! Kurasuではこれからも色々なイベントを企画します!イベントページをフォローして、ぜひご参加ください。   https://www.facebook.com/pg/kurasu.kyoto/events/ 当日の様子>>>

4/4 SEASONS COFFEE:2017年4月 #クラスパートナーロースター

    東京・新宿の4/4 SEASONS COFFEE (オールシーズンズコーヒー)が次回のKurasuのコーヒーサブスクリプション 。ロースターの齋藤さんに、焙煎との歩み、お店ができるまでのお話を伺った。   大学1年の頃、地元熊谷駅のスターバックスに初めて立ち寄り、その場でアルバイトに応募。テイクアウトカップのリッドの用途すら知らなかったところから、コーヒーの世界に飛び込んだ。当時スターバックスではmarzoccoのマシンを使い手動で抽出を行っていたが、徐々に全自動へシフトしていく時期に差し掛かっており、齋藤さんはそこでバリスタの存在意義や魅力が薄れていっていると感じたという。この頃から、まだはっきりと意識はしないものの、サービスを含めた自分の考える理想のコーヒーというものが形づくられていたのかもしれない。 その後大学在学中に、木工家具製造が盛んなミネソタへの半年間の留学を経験し、日本でも国産で質の良い木工家具を取り扱う仕事につきたいと考え、カリモクに就職。自分が良いと思える商品にふれられる日々は充実していたが、配属先の新潟では知り合いもおらず、休日は孤独から逃げるようにカフェで時間を過ごすようになる。カフェでは様々な人たちが、それぞれの時間をそれぞれの目的でコーヒーと共に過ごしていた。そんな日常のプラスアルファとなれるようなコーヒーに、改めて心惹かれるのを感じたという。 そんな時、雑誌BRUTUSのコーヒー特集で、Fuglen TokyoやOnibus Coffeeなどの存在を知る。新しい流れの先陣を切る彼らに強いあこがれを感じた齋藤さんは、早速有給を取り東京へ向かった。 いくつもカフェを巡り、ポールバセットの渋谷店に立ち寄った齋藤さん。そこでルンゴ(アメリカーノ)を飲み衝撃を受ける。 味はもちろんのこと、テーブルでオーダーを取るフルサービス、バリスタの技術やスタッフの活気は圧倒的で、自分がやりたかったのはこれだ、とはっきりと感じた。チーフバリスタの鈴木さんに声をかけ、話をするうちに、ここで働きたい、面接してほしい、と、思わず言ってしまったという。 すっかり意気投合した鈴木さんからは、今の仕事に踏ん切りがつくまで待っているから、という言葉をかけてもらい、翌日新潟へ戻ったその日に退職願を提出。1年に満たない勤務期間ではあったが、自分に期待されていた、停滞していた職場への若いアイデアや刺激剤としての役割は果たせたという思いはあり、後悔はなかった。 しかし実際にポールバセットに就職すると、配属先は当時人員が足りていなかった併設のチョコレート店。だがそこでくさる齋藤さんではない。一日も早く認めてもらおうと必死で働き、すぐに売り場では欠かせない存在になった。さらに開店前30分ほど早く出勤しては毎日必ずカッピングをし、閉店後は食らいつくように先輩バリスタらの仕事を観察した。 その後物販などにも関わるようになった齋藤さんは、自分でコーヒーが淹れられない分、豆の内容や説明を誰よりも熱心に行っていた。するとそんな姿を見ていた鈴木さんが、齋藤さんには焙煎を教える、と宣言する。異例の大抜擢だった。 この上ないチャンスに即座に「やります」と答えた齋藤さんだったが、徐々にその重圧を体感する事になる。 エスプレッソバーを謳う有名店で、看板商品であるコーヒーの品質が常に安定している事は必須。様々な焙煎方法を自由に探究するなどという事は決してなく、焙煎は店の味を守るための非常に神経を使う作業だったのだ。 ヘッドロースターの鈴木さんが行う焙煎と全く同じレート表をたどり、同じリズム、ルーティンでひたすらに大量の焙煎を繰り返す。少しでも遅れや乱れが生じればすべてが狂ってしまうという彼らの焙煎は、「まさにアスリートのようだった」と齋藤さんは振り返る。 私生活や体力、精神力の限界を顧みず、責任感にかられただただ必死で焙煎を続けるうちに、名誉ある役割、やりがいがあるはずの仕事はいつしかただの「作業」になってしまっていた。そうして我に返った時、コーヒーまでをも嫌いになってしまいそうな自分に気がついた齋藤さんは、仕事を離れざるを得なかったという。    その後縁あって働き始めた蔵前のゲストハウスNuiでは、前職とは打って変わってゆったりとした時間が流れる場所でコーヒーを提供する事になる。 それまでは完璧な味を追求することに懸命になっていたが、人々が集う空間やスタッフの雰囲気など、コーヒーを飲むという行為に関わる全ての要素がコーヒーの「味」を作り出しているのだと感じるようになった。   恵まれた環境に居場所を見つけ、多くを学ぶ職場だったが、齋藤さんに新たな転機が訪れる。カフェ開店への出資者が現れたのだ。それもほかでもないポールバセット時代からお世話になっている鈴木さんの推薦だという。Nuiでコーヒー部門を一手に任されようとしていた時期でもあり、何よりこの完璧にも思える環境を離れることにためらいがあった。しかしやってみたい、より成長したいという気持ちが勝り、独立を決意した。 紆余曲折を経て新宿御苑の近くに物件を決める事ができ、インテリアは白を基調にオーストラリアのカフェなどを参考にした、人々が自然と場を共有する作りにしつらえた。 Glitch CoffeeやAND COFFEE ROASTERS、そして地元熊谷のホシカワカフェなどのコーヒーを提供し営業を始め、翌年にはシェアロースターで焙煎を開始した。 浅煎りが好きだった齋藤さんは、飲みごたえよりクリーンでジューシー、ユニークで産地の個性が伝わるような焙煎を目指し、粗削りながら自分なりの味を求めて探求をはじめた。 シェアロースターの利点であるハイレベルな焙煎機や同業者との情報共有を活かしながら腕を磨いていった齋藤さんだが、焙煎量が増え、周りにも自家焙煎を行うカフェが増えるにつれ、生豆の選択権が限られ、豆の輸送も不便なシェアロースターよりも、実際に自分で焙煎機を持ち、店で焙煎したいと考えるようになった。あまり広くない店のサイズやクオリティーコントロールなどを考慮し、焙煎機はディードリッヒの2.5kgに決定。 実際に店で焙煎を始めてからは、全ての作業を一から現場で行う事で、緑の生豆が目の前の人が飲む一杯になるまでの過程がまた新鮮に感じられ、焙煎によってコーヒーに命が吹き込まれるような、そんな感覚を得るようになったという。 50kgを焙煎していたポールバセット時代に比べればペースはゆるやかだが、その分焙煎と向き合い、楽しむ心の余裕が生まれた。店頭で焙煎するので、その様子を眺める客との会話がはじまるのも嬉しい変化だという。普段あまり目に触れる事のない焙煎の現場に興味を持ってもらえ、そこからコミュニケーションが生まれる時は本当に嬉しいのだと齋藤さんは話す。 ここでは、自分の作るコーヒーが誰かの日常生活のプラスアルファになるような、自然に寄り添う存在でありたいと齋藤さんは言う。 昔から近所に住んでいる人々もよく通ってくれ、このカフェができて街が明るくなったと声をかけてもらったこともある。忙しい街新宿で、朝15分でも早起きをして、朝ごはんとコーヒーを楽しんでもらいたいという気持ちから、今後はモーニングにも更に力を入れていく予定だ。Instagramなどでも、焼き菓子や試作品のパンの様子などがアップされている。焼きたてのパンをコーヒーと共に味わえるようになる日も近いだろう。 農園とのつながりも確立したいとも考えている。「コスタリカに行きたいんです」と話してくれた齋藤さん。これからの旅路でも、走り続ける齋藤さんに最高のパスを投げてくれる人々に出会い、着実にステップアップしていく様子が今から目に浮かぶようだ。  

The Barn とのカッピングイベント 3月22日、Kurasu Kyoto

3月22日、ドイツベルリンでスペシャルティーコーヒーを扱うトップロースター、The Barnから、ラルフさんとロビンさんをお迎えしたカッピングイベントを開催しました。   The Barnの焙煎へのこだわりから、産地まで完全追跡可能な高品質の豆のみを使用する理由など、The Barnの哲学ともいえる姿勢や、ドイツに新風を吹き込んだ彼らの軽くクリアーなコーヒーを生み出す技術まで、貴重な情報を惜しみなく教えていただけた素晴らしい機会となりました。   それぞれの豆の個性や香りを引き立たせるため、決してブレンドは行わないというThe Barn。さらにそれにより産地にスポットライトを当てることで、農家の人々の誇りと自立心を育てる事も豆の品質向上には欠かせないとラルフさんは考えています。   この日ラルフさんが何よりも強調されていたのが、カッピングやコーヒーに対し、常にオープンな心を持つことの大切さでした。「味わいという主観的な感覚においては、自分にとって最高のフレーバーを探し求めるその過程にこそ一番の楽しみがある」というメッセージと共に、私達も参加者の皆さんと一緒に、思いっきりコーヒーを楽しむことができました。参加くださった皆様、改めてありがとうございました!   Kurasuではこれからも色々なイベントを企画します!イベントページをフォローして、ぜひご参加ください。   https://www.facebook.com/pg/kurasu.kyoto/events/  

Basking Coffee (福岡): 2017年3月 #クラスパートナーロースター

Kurasuが次にご紹介するロースターは、Basking Coffee。 全面ガラス張りの大きな扉をくぐり店舗に足を踏み入れまず感じたのが、天井の高さ、そして空間の圧倒的な明るさだ。インテリアは背の高い観葉植物や、木材、鉄を組み合わせたナチュラルな建具で構成され、光のあふれる店内では皆が親しげに言葉を交わしながら過ごしている。 前回に続き、福岡、そして世界を飛び回り活躍するロースターの榎原さんにお話を伺った。    Basking Coffeeができるまで   福岡出身の榎原さんは、25歳まで世界を旅しながらコーヒーとは無縁の生活を送っていた。以前から自分の店を持ちたいという想いがあり、旅先で目にする本屋やカフェなど様々な場所から刺激を受ける日々だったが、構想は固まらないまま、帰国。 するとふと、天から降ってきたように、コーヒーを仕事にしよう、という思いがわいた。焙煎している自分の姿が、ありありと想像できたという。   それからコーヒーを勉強し始めようとカフェでの仕事を探し始め、巡り巡ってハニー珈琲に採用が決まる。翌日からすぐに働き始めた。当時はまだ1店舗しかなかったハニー珈琲で、社長とともにコーヒー豆の袋詰め、毎日のカッピング、エスプレッソやカプチーノといったドリンク作りをしていくうちに、コーヒーにどんどんのめり込んでいったという。2年半働き、その後独立。 ハニー珈琲にいた頃から、コーヒーがどうやって、どんな人の手で作られているかということへの興味を強く持っていた榎原さんは、自分の目で確認しようと中南米へ飛び、グアテマラ、ニカラグア、コスタリカ、コロンビアの農園を巡った。実際に生豆が生産されている現場を目にし、果実としてのコーヒーを含め、実際に飲むまでのサイクルとしてのコーヒーというものをより大きな枠で捉えられるようになったという。 コーヒーカルチャーを学んだのは北欧だ。コーヒーを飲んでいる人の多さに驚き、たくさんのカフェのインテリアや見せ方、店の雰囲気などを大いに吸収した。   旅から戻ってすぐには物件も見つからず、資金も減ってきたため半年ほど県外で働くなどの紆余曲折はあったものの、その後福岡に戻ったタイミングで話が舞い込み、店をオープンすることができた。   焙煎について ハニー珈琲で1ヶ月ほど修行を積み、同じプロバットを購入して焙煎を始めた榎原さん。道具や焙煎方法についてはそれありきのこだわりというものは特になく、自分の好きな味を目指し、豆の特性に合わせて調節しながら焙煎を行っているのだという。ハニー珈琲では透明感のあるコーヒーを提供していたが、榎原さん自身はよりジューシーさを追求した味わいを理想としている。   理屈や言葉ではなく、自分の舌で実際に感じたことを元に行う焙煎は、やはりお客様のための焙煎という姿勢にも深くつながっている。お客様が実際に飲む時の体験をより良いものにするために、販売時にもフレンチプレス、エアロプレス、ケメックスと様々な抽出を試してもらうのに限らず、榎原さん自身もカッピングにとどまらず定期的に抽出を行う。焙煎後の日数などによる変化を見てはまた焙煎を調整するといった具合で、飲む人の目線でのコーヒーをより良くするための努力を決して惜しまないのだ。   オープン、その後   Basking Coffeeがオープンして2年半ほどが経つ。 店舗がある千早は榎原さんの出身地だ。生まれ育ったこの街への思い入れはもちろんのこと、この10年ほどで勢いよく変化している様子に、街としての面白み、そしてポテンシャルを感じた。元々新しいものが好きで変化にオープンな福岡の人々だが、転勤などで越してくる若い家族など、様々なバックグラウンドを持つ人々が明るいコミュニティーを育てている。 「最初からいいお客さんに恵まれました」と榎原さんは言う。相性がいい、と感じる人が多く訪れ、毎日通ってくれる人もいるという。 お客様と店との距離の近さが大きな強みのBasking Coffeeでは、コーヒー教室やパブリックカッピングといったイベントも頻繁に開催している。   現在の卸先は7件。個人客が圧倒的に多い地域密着型のBasking Coffeeにはオンラインショップもあり、InstagramやFacebookなどを通し遠くから買いに訪れる人もいるというが、やはり地元の人々との関係におおいに支えられ、盛り立ててもらっていることを常に感じ、感謝の気持ちを日々新たにしている。 今後の展望 お店に伺った2016年末、年明けにはコスタリカに買い付けに行きたいと話していた榎原さん。色鮮やかな写真とともに、臨場感あふれる旅の様子がブログに綴られている。 今後は年に2カ国、3カ国と買い付け先を増やして行きたいという。旅が好きで、買い付けや出張があることも焙煎の道へ進むきっかけとなったという榎原さんは、今後も国から国へと旅しては、美味しいコーヒーとアイデアを土産に福岡のコーヒーカルチャーを牽引していくことだろう。       フットワークの軽さ、そして何事も構えすぎず、感じたことや新しいものにオープンな榎原さんの姿勢は、お話するだけでこちらまで明るくしてくれる。   Basking Coffee:  http://www.baskingcoffee.com/ Facebook Instagram   BEANS PROFILE Shekinah,...

メディア掲載:カフェ‐スイーツ Vol.180 February-March 2017

コーヒー好きの方々やプロフェショナルに幅広く愛読されている雑誌、カフェ・スイーツのVol.180 February-March 2017号にKurasu Kyotoが掲載されました!素敵な店内写真と共にご紹介いただいています。ぜひチェックしてみてください!   

MANLY COFFEE: 2017年2月 #クラスパートナーロースター

Kurasuが次にご紹介するロースターは、福岡のMANLY COFFEE。精力的に店を切り盛りし、日本エアロプレスチャンピオンシップ実現の立役者でもある須永さんに、お話を伺った。 MANLY COFFEEができるまで スターバックスで勤務していた頃、ブラックエプロンチャンピオン、つまりスターバックスジャパンのトップバリスタとして、シアトル研修を経験するなど、子育てと両立しながら業界で活躍していた須永さん。退職後コーヒー以外の道も模索するもやはり業界に戻り、2007年に銀杏煎り器で手焙煎をはじめる。手応えを感じ手回し焙煎機500g用を購入。まずは身近な人たちへの販売からスタートし、勢いがつきはじめた2008年1月に本格的にウェブショップで販売を始め、中古の焙煎機を購入し10月には実店舗を出した。 MANLYという名前は、一時期在住していたオーストラリアのマンリーから。大好きな街、最愛の夫と出会った街として、須永さんにとって特別思い入れのある名前だ。 開店当時は、美味しいコーヒーと言えばまだまだ東京か大阪でしか手に入らない時代だったが、福岡でも負けないぐらい美味しいコーヒーを飲めるようにしたいと、福岡でコーヒー文化を盛り上げるべく猛進している。   コーヒーとの歩み 当時はカリタやメリタなどメジャーなブランドの器具を使い、マスターの味を守るというやり方がまだまだ主流だった環境で、ハンドピックが一番と考え焙煎を行っていた須永さん。しかし2008年11月に参加したSCAJローストマスターズリトリートの第一回合宿でスペシャルティーコーヒーに出会う。 焙煎はまだ闇のベールで包まれていた時代の中、それぞれのグループやお店が垣根を越え、まだ新しいスペシャルティーコーヒーを扱う人々が親しげに情報交換を行うオープンな環境が実現されている場に、理想を見たように感じたという。    合宿での経験を通し、もっと自分の世界を広げたいと思うようになった須永さん。スペシャルティーコーヒーについても学び始めたこの頃から、日本一の次は世界一、と世界への挑戦が視野に入るようになる。WBCのボランティアのためロンドンへ飛んだり、マンモスコーヒーのバイトに応募したりと、積極的に海外での経験を積んでいった。2010年9月にはローストマスターズチャンピオンシップに九州チームとして参加し、見事審査員部門で優勝する。コーヒーを突き詰めるうちに当然産地や生豆への興味も強くなり、2013年にはニカラグア、コスタリカへ自ら豆の買い付けに行った。何事も実際に行動に移す須永さんのフットワークはまさに驚異的だ。 北欧に訪問した際、ノルディックバリスタカップをオスロで知る。ルールのない自由な雰囲気と、皆で楽しく学ぼうという空気に大いに心惹かれた。その後大会に焙煎部門があり、しかもエントリーは先着順であることを知り、ここで世界一を狙おうと決める。エスプレッソマシンすら持っていなかったが、えいと飛び込み、2013年にエントリー。結果は出せなかったが、そうそうたる出場者と同じ場で戦い、世界で好まれる焙煎や味を体験することができた。その時の優勝者、台北の有名カフェFika Fika Cafeのジェームズ氏のコーヒーに対する真摯な姿に感銘を受けた須永さんは、その場で修行させてください、と頼み込み、交渉の結果見事5日間だけ時間をもらう約束を取り付けた。   これら全ての挑戦、試行錯誤が全て今のMANLYのコーヒーの中に息づいているのだ。 2011年、コーヒーイベントに招待された韓国で、当時の日本ではまず実現し得ないようなゲストスピーカーのレベルや積極的に情報交換を行う人々の姿勢に衝撃を受けた。 アジアのスペシャルティーコーヒー協会の存在もそこで初めて知り、話を聞きに行けば日本は独自の文化が強いのであまり交流がないのだと言われさらにショックを受けることになる。従来のやり方を変えようとせず、こだわりを強く持ち続けている日本のコーヒー文化を後目に、他国の人々はハングリー精神や堪能な英語を活かしすさまじい勢いで進化を遂げていたのだ。 ロンドンで参加したバリスタパーティーでは、国を超えたコーヒーコミュニティーを目にし、日本との温度差・格差を切実に感じる。どうにかしなければ、このままでは日本のコーヒーは置いていかれる。何かを発信しなければいけない、日本で何かを変えなければいけない、そう思った。   その頃訪問したコーヒーコレクティブでエアロプレスを初めて体験し、日本ではまだ知られていないその味に、これだ!という確信を得る。エアロプレス大会の主催者だったティム・ウェンデルボーにすぐに連絡を取り大会エントリー希望を申し入れ、日本ではまだ売られていなかったエアロプレスも、知り合いのつてをたどりアメリカやシンガポールから手に入れた。初めは自ら大会に出場し果敢に挑戦したが、思うように結果が出せず、大会自体が中止になるなど道のりは決して平たんではなかった。 さらに、先着順で大会にエントリーできていたそれまでとは異なり、2012年からは各国の国内大会のチャンピオンしか出場できないことになる。日本で周りを見渡しても、須永さん以外にエアロプレスの大会をしようという人は誰もいない。しかしここで諦めてはいけない、日本で大会をしなければだめだ、そう強く思い、苦労の末日本で初めてのエアロプレスチャンピオンシップを福岡で開催する。 それ以来Fuglen TokyoやNOZY COFFEEなど多くのお店に協力してもらい、大会はJapan Aeropress Championshipとして毎年開催され、2014年には世界チャンピオンを輩出するまでに成長した。挑戦を始めたころに夢見ていた優勝杯を自ら手にすることはなかったが、気付けばもっと大きなものを世に送り出していたのだ。      愛する娘との出会い、そして転換期 2014年の春の日、その日最後のコーヒーのパッキングが終わった瞬間に産気づき、そこから病院へ。陣痛の間にも、産休で初めて自分の手を離れるエアロプレスの大会のことが頭をよぎる。大会で大切にしてほしい理念をメールで伝えるなど、できる限りのことをした。   誕生した娘は、ダウン症とそれに伴う心臓の症状をもっていた。分かった時の動揺は大きかったが、「病気のことは私たちに任せて、愛情をたっぷり注いであげて」と心強い言葉をかけてくれた医師達や家族、周りの友人たちに支えられ、娘とともにゆっくり進み始める事ができた。 待ってはくれない店の現実を支えてくれる人たちもいた。店を閉めている間に、店のスペースを倉庫として借りてくれたお隣のグラノーラ屋さん。「いつでもいいのでコーヒーを送ってください」と言ってくれた常連客。予想外の事も多かった娘の手術、そして入院生活が続く中、週末だけ夫に代わってもらい、久しぶりに焙煎機の前に立った。   我が子が直面している闘いを想い辛い気持ちになる日々、体力的にも厳しい状況だったが、店に着き鍵を開けた瞬間、不思議と気持ちが前向きに切り替わるのを感じたという。焙煎しながら、次第と精神も統一されるのを感じ、「できることをやろう」という力が湧いてきたのだ。いかに自分がMANLYのコーヒーを楽しみにしてくれる人、そして目の前のコーヒーに支えられていたのかに改めて気づき、涙があふれてきた。 その後しばらくは平日に受けた注文分を土日に焙煎、パックして出すという生活が続いた。 初めの1-2年は、3人の母となった日常とコーヒーへの想いのバランスを取るのにとても苦労したという。それまで試行錯誤しながらも続けてきた情報発信も一旦やめ、自分と、そして目の前の仕事と向き合う事に集中した。 さらに時間の制約ができたことで、それまで幅広く取り扱っていた中煎りや深煎りをやめ、自分が本当に作りたいコーヒーだけに集中することを決断。浅煎りで甘さと質感のいいコーヒーを目指し、試行錯誤をはじめた。 娘との闘病生活が始まり、コーヒーや店をもう諦めるしかないのかと考えたこともあったが、今では家も店も楽しく回るように頑張ろう、と前向きな気持ちで日々取り組むことができている。 コーヒーとの向き合い方、今までとこれから 全速力で走り続けてきた10年間、コーヒーに夢中になり、これだ!と思ったものに挑戦し続けてきた。自ら道を切り開いたJapan Aeropress Championshipも、信頼のおける人々に支えられ成長を続けている。しかしここへ来て、コーヒーへの想い、向き合い方がゆるやかに変化しているのを感じると須永さんは話してくれた。   エアロプレスや焙煎で世界一になりたい、その気持ちは変わらない。しかし、自らの店を持ち、愛する家族と過ごし、MANLYのコーヒーを楽しみにしてくれているたくさんの人に支えられている日々の中で、目指す頂点の意味合いが少し変わってきたのだ。それまでは興味と情熱に突き動かされ、もっといいコーヒーを自分の手で焙煎したい、と考えてきたが、お客様の大切さを心から感じ、美味しいものを楽しんでもらいたい、そのために焙煎しようと考えるようになった。   今の目標は、「○○チャンピオンの須永さんがいる店」としてよりも、「MANLY...

Oyamazaki Coffee Roasters: 2017年1月 #クラスパートナーロースター

Kurasuが次にご紹介するロースターは、京都の大山崎COFFEE ROASTERS。 シンプルな原点を大切に、物事の優先順位を、そしてその理由を忘れない。簡単なように思えて、実は最も難しいこの姿勢。忙しい日々に追われながら、「今の自分の生活はこれでいいのだろうか」という問いがふと頭をよぎった事がある人は少なくないだろう。そんな問いに真正面から向き合い、自分たちの道を切り開いたのが大山崎COFFEE ROASTERSの中村夫妻だ。Kurasuはお二人のこれまでの歩みと、ユニークなビジネススタイルについてのお話を伺ってきた。     夫妻は2010年末に結婚。中村さんと妻まゆみさんはそれぞれ仕事も順調で、充実した日々を送っていた。中村さんはコンサルティングという職業柄出張も多く、平日もなかなか家に帰ることができなかった。独身時代は苦にならなかったそんな生活だが、結婚しても共に過ごす時間が思うように取れない日々に、次第に疑問を持ち始めたという。そんな時、東日本大震災が起きる。中村さんは出張中だったが、何とか無事帰宅することができた。その日を境に、以前から抱いていた「家族は一緒にいた方がいい」という思いが固まったという。ライフスタイルから見直そうと決断した二人は、まずは自分たちがどんな生き方や生活をしたいのかをじっくりと話し合った。そうして出した答えが、東京ではないどこか別の場所に住み、二人でできる仕事を始めるという道だった。 2012年―仕事を辞め、日本各地を巡りながら移住先を探す旅が始まった。マンションも引き払い、8月末には退去が決まっていたが、5月になっても6月になっても、移住先は決まらなかった。これだと思う土地に出会えないまま退去日が迫る7月、京都の宇治市出身であるまゆみさんがふと大山崎の存在を思い出す。京都で暮らしていた頃、普段は電車で通り過ぎてしまうだけだった場所。アサヒビールの美術館があり、数回降り立ったことはあるものの、あまりよく知らない土地。それでも、電車の窓から見える、景色がそこだけぽかんとなにもない大山崎の風景が、心のどこかに焼き付いていた。 週末に、二人で大山崎の町をひたすら歩いて周った。すぐに町を気に入った二人はその足で不動産屋に行き、物件を決めたという。   相談を重ね、夫妻は二人がその時一番興味があったコーヒーに関わる仕事をしようと決意する。まずはカフェを想定し物件を町内で探したが見つからない。その時に思いついたのが、自家焙煎とネット販売だけの小さなビジネスだった。東京でもワークショップに参加するなど、もともと焙煎に興味があったこともあり、焙煎機さえあればでき、人が来られない立地でもインターネットを使えばどこへでも売ることができる業態は理想的な選択だった。   2013年6月、自宅に焙煎機を置いて焙煎を開始し、ネット販売のみでスタート。数か月後には駅前のレンタルスペースで販売する機会も得た。それを機にマーケット・イベント出店という方法を知り、同年の夏にはマーケットへの出店を始める。人口1万5千人の小さな町で、すぐにその噂は人々の耳に届いた。 大山崎には物作りに携わる人が多く住んでいるため、コーヒーに限らず、様々な物に興味とこだわりを持つ人が多く、彼らは常に新しいものへのアンテナを張っている。そんな彼らがまず店を見つけ、常連となり、一緒にイベントを開催したり、映画まで作ったりしては、出会いが出会いを呼び、地元に輪が広がっていったのだという。その後行うことになるアートギャラリーでの提供や、アンティーク家具が印象的なゲストハウス、パンとサーカスでの提供をはじめとする取引は、地元の人間関係やイベントでの出会いから生まれたものがほとんどだ。 2014年11月に店舗をオープンしてからも、豆販売だけという姿勢は変えなかった。来る人に、コーヒーを楽しみながら豆を選んでもらいたい―そんな思いで、コーヒーを商品としてではなく、試飲サービスとして提供する形を選んだ。 試飲という形であれば、カフェと異なり回転率も気にせず、楽しくどんどん飲んでもらい、気に入ったら豆を買ってもらえばそれでいい、というやり方でよい。これが二人の理想にぴったりはまったという。狭い店内では、地元の人も遠くから来た人も、肩が触れ合う程の距離でコーヒーを飲みながら過ごすことになる。そこで生まれる会話や新しい発見がまた楽しいのだ。試飲しかしていなくて店は大丈夫なのか、と心配されることもあれば、カフェと間違えられることも多い。試飲を勧めても最初は遠慮する人もいる。しかし、試飲しかできないからこそのゆるやかさは、確実に店の魅力、そして個性の強みであると自負している。 大山崎COFFEE ROASTERSが生豆を選ぶときの基準は主に二つ。バラエティに富んでいる事、そして自分たちも飲んでみたいと思わせてくれる面白さがある事だ。 常連客のほとんどが地元の人々であることを考慮して、600円から1000円というある程度の価格帯の中で、種類を豊富に揃え、自信をもって面白いと言えるものを高品質で提供すると決めている。そのため、現時点ではカップオブエクセレンスなどの高価な豆を取り扱う予定はない。 豆の焼き具合は味のバランスを見て決めている。ミディアム、ハイ、シティー、フルシティーと4種類の焙煎度合を設定し、毎回新しい豆が届くと最低4回は焙煎して、二人でカッピングしては、それぞれの豆に最適な焙煎方法を決める。便宜上4種類に分けているとはいえ、豆によってはシティーの中でも浅め、深め、など、細かく調整を行っているという。    オンラインショップにも二人の姿勢がはっきりと表れている。コーヒーを美味しく飲むために必要な情報だけに抑えた豆紹介に用いる写真は、何気ない背景のように見えて、実はそれぞれの豆の味わいをイメージしたもの。土の力強さ、スパイスのひらめき、爽やかな緑―商品を実際に手に取れず、情報が限られるネットショップから始めた彼らだからこそ、視覚的な情報の重要性を理解し、見ただけで味をイメージできる助けになるようなものを作っているのだ。味わいの説明に用いる表現も自分たちなりの言葉を使うよう心掛けている。きなこや緑茶など、味を例える食べ物はできるだけ日本にある食べ物や、想像しやすい例えを使い、わかりやすさを大切にしている。 最近、焙煎機を変えた。これまではフジローヤルのディスカバリー200gを使用していたが、卸売も増えた今、イベント出店時などにも幅広く対応できるようにするべく、軽井沢のGRN 1kg釜を選んだ。焙煎後3-4日の最適な状態で豆を提供するために、通常は発注があってから焙煎を行っている。100gなどの小さいバッチにも対応でき、余った豆を棄てるなどして農家やバイヤーたちの努力を一粒でも無駄にすることのないよう、バランスを考えた末の1kgという選択だ。卸売時など、それでも小さすぎ負担が大きくなる時もある。「大変ではあるが、大切なこと」と二人は笑顔で話す。焙煎機がいくら大きくなっても、二人でピッキングしている以上、スピードは変わらないことも規模を大きくしすぎない理由だ。二人で一緒に、できる範囲でやっていく。それが彼らの原点なのだ。  大山崎COFFEE ROASTERSの特徴の一つに、「豆を決して挽いて売らない」というものがある。豆のままでしか販売しないのだ。せっかく来店し興味を持ってもらっても、ミルを持っていないために販売を断らざるを得ず、初めのうちは客を逃すことも多かったという。 決して生活が楽だったわけではない。将来に対する不安も大きかった。しかし、なぜそれほどまでに自分たちのこだわりを貫くことができたのだろうか。 すると中村さんから、「だめならしょうがないや、と思っていたからでしょうね」と、少々意外な答えが返ってきた。コーヒー業界にいたことがなかった二人は、この世界に単なるコーヒー好きとして飛び込んだのだと中村さんは言う。つまり二人は商売としての観点からではなく、ただただ一番美味しくコーヒーを飲んでもらうにはどうしたらいいだろうか、それにはやはり、新鮮な豆を自分で挽いてもらう事が重要であり、そうでなければ美味しくないだろう、というシンプルな思いひとつでコーヒーを作り始めたのだ。もし業界に数年身を置くところから始めていたら、顧客の希望に合わせて豆を挽いて売ることは当然と考えていたかもしれない。また、会社を辞め、もう後には引けない、絶対にコーヒーだけで生きていかねばと意気込んでいれば、生活のため多くの妥協も避けられなかっただろう。 大切な家族とどう生きるかを考え進んだ道で、自分たちのペースで好きなものと向き合い出会いをつなげたら、二人だけのユニークな、地元の人に愛される店が生まれた。その道のりを振り返るほどに、めぐり合わせの不思議な力、そして、心から望む生き方を自らに問うことの大切さを改めて教えられるように思う。 豆詳細: ・エルサルバドル サンタリタ ブルボン ナチュラル(シティーロースト) ・パプアニューギニア ブヌン・ウー AA(ハイロースト)  

Kurasu Kyoto 年末年始営業 / Holiday hours

Kurasu Kyoto 年末年始営業時間のお知らせ / Here’s our holiday hours   12/31: 8:00 - 12:30 1/1-1/3: 定休 / Closed 1/4-: 8:00- 18:00 (通常営業時間 / Regular hours)   よろしくお願いします。 Hope to see you all!

Hoshikawa Cafe: 2016年12月 #クラスパートナーロースター

Kurasuが2017年最初にご紹介するロースターは、埼玉のホシカワカフェ。 日本一の猛暑日を記録し一躍話題になった熊谷市だが、普段はゆるやかなペースで時の流れる、落ち着いた場所だ。カフェの名前の由来ともなった星川沿いには彫刻が木漏れ日を受け、せせらぎの音の気持ち良い遊歩道がある。 そんな光あふれる散歩道にあるホシカワカフェで、店主の鈴木さんにお話を伺った。 店内は明るい色合いの内装と大きな窓が爽やかで、カウンター席とテーブル席から選ぶことが出来る。テーブル席には靴を脱いで上がるため、店全体のアットホームな雰囲気も相まって、まるで友人の家に遊びに来たような優しい気持ちにさせてくれる。平日でも盛況で、その人気ぶりがうかがえる。明るく清潔感があり、小さい子供でも安心して連れて来られる環境も、地元の幅広い年齢層の人々に愛される理由の一つだろう。 元々は音楽家として活動していた鈴木さん。学生時代から、大学に通いながらDJとして活躍するなど、多忙な日々を送っていた。しかし思うように道が開けず、世界を広げ、可能性を探るべくオーストラリアのアデレードに留学を決意。いつもたくさんの人々に囲まれて暮らしていた日本とは打って変わって、慣れない地で孤独を感じる事も多かった。そんな時に、「いつも誰かがいる場所」として暖かく鈴木さんを迎えてくれたのが、地元のカフェだったという。街にカフェがひしめきいつも人で賑わっているメルボルンに移住してからは、アデレードで出会ったカフェやコーヒーの魅力をもっと知りたいという気持ちに動かされ、特に心惹かれたスペシャルティコーヒーを扱うカフェを巡りはじめる。 以前から起業したいという思いを抱いていた鈴木さんの中に、カフェという道が生まれたのもこの頃だ。オーストラリアで築いた人間関係を基に、中国北京、韓国などでの起業も考えていたが、そんな時地元埼玉にグロリア・ジーンズコーヒーが関東初出店するとの話が飛び込んでくる。メルボルンでよく通ってはフレーバーコーヒーを楽しんでいたグロリア・ジーンズの開店は、コーヒー業界に飛び込むまたとない機会に感じられた。店への思い入れやコーヒーを仕事にしたいという想いが伝わり、見事店長として採用され、キャリアをスタートすることとなった。 その後1年半ほど、業界で経験を積み、見識を深めた後に退職し、独立した鈴木さん。店を出すのはやはり縁のある地元埼玉で、幼い頃によく訪れていた星川沿いに決めた。   無事開店したものの、店が軌道に乗るまでには3年ほどかかったという。当初は焙煎済みの豆を仕入れ、まずはスペシャルティコーヒーという新しいものを地元の人々に紹介するため、地域のお祭りやイベントなどに積極的に参加し、次第に知名度を上げていった。業界での人脈も徐々に広がりを見せはじめた頃、ノルウェー土産でティム・ウェンデルボーなどの豆に衝撃を受ける。それまで積み上げてきた関係から方向性を変え、一から全てやり直すほどの決意でノルウェーのコーヒーを主に扱いはじめることにした。 自家焙煎に踏み切ったのは約2年前のことだ。それまでは豆を仕入れる際に、収穫日、焙煎方法、焙煎日など豆の情報をデータでは受け取っていた。しかしそれらはあくまで紙の上の数字であり、実際それらが変わることでどう味が変わるのかを、自分で確かめてみたくなったという。それからは手で焙煎するなどして自ら研究を始めたが、趣味の範囲を超え、実際にオリジナルの焙煎を行ってみたいと考えるようになる。当時豆を仕入れるなど交流の深かったFuglenの小島氏らに相談し、まずは焙煎機を選ぶことから開始。様々な豆を比べた中で、プロバットが生む味わいに心惹かれることを再認識し、購入を決意。オランダからの輸入は1年かかったが、ついに1959年ヴィンテージのプロバットを手に入れることができた。現在は生豆はノルウェーに買い付けに行き、引き続きFuglenからも仕入れている。焙煎機のくせ、豆の個性などで幾通りにも可能性が広がっていく焙煎に夢中になるうちに、排気と釜の余熱で焙煎を調節するという、従来の「ハイロースト」「シティロースト」などの枠にとらわれない独自の焙煎方法が生まれた。この方法では、豆の外側をなるべく焼かず、内側まで均一に火を通すことができる。一見色は淡いが、歯で簡単に齧ってしまえる程中まで火が通っている焙煎に驚く人も多いという。 自らの焙煎も安定し、外から豆を仕入れる機会は減ったものの、今でもWEEKENDERS COFFEEの絶妙な焙煎、Fuglenの品質の高さ、更には彼らのラベルの美しさなど、まだまだ多方から新しい刺激を受ける日々だという。 開店から8年近く経ち、東京での知名度も上がり卸売もはじめた。飲食店に限らず、接客にコーヒーを提供するアパレルでも取り扱われている。 店頭での特別なこだわりは、毎度飲む人にコーヒー豆を選んでもらうことだ。一つずつ豆を嗅いでもらい、丁寧な説明をし、一対一の接客を行う。「毎回バリスタチャンピオンシップのつもりです」と鈴木さんは接客に臨む姿勢を語る。店に来て、何か新しい楽しみを見つけて帰って欲しい。もっとコーヒーのことを知ってもらいたい。豆の仕入れなど、グローバルに視野を広げると同時に、こういった草の根のような、ローカルでの活動が重要だと考える。 音楽を愛する気持ちは今も変わらず、定期的にアーティストを迎えては演奏イベントを開催している。コーヒー同様、心に響く音楽を選び抜き、カフェを訪れる人々と質の高い時間を共有しているのだ。紆余曲折を経て築き上げてきた、かけがえのない作品のようなカフェ。もっと良くしたい、新しいことにも挑戦したい、と、熊谷で輝く太陽のように、鈴木さんの心も燃えている。   豆詳細: 生豆: エチオピア、ノルディックアプローチ ・Samii Lot1 Celelectu 品種: エアルーム 精製方法: フルウォッシュド 収穫年: 2015/16 テイスティングノート: ブラックベリー、ストーンフルーツ、フローラル、ラズベリー しっかりとしたボディー、赤、紫の果実を思わせるやや重厚な味わい。複雑な果実の風味と奥深い香り ・Burutukaana Lot2 Guji 品種: エアルーム 精製方法: ナチュラル 収穫年: 2015/16 テイスティングノート: スイート、トロピカルフルーツ、 カンタロープ、 フルーツ トロピカルフルーツの華やかで、はっきりとしていながらまろやかな味わい。個性的でバランスのとれた甘さ (参照: CropsterHUB)        

ENJOY COFFEE TIME KYOTO@元・立誠小学校

11月23日、元・立誠小学校で行われた ENJOY COFFEE TIME。 京都の8つのロースター・カフェ、3つのフードブース、そしてカリタと東急ハンズ、誠光社の特別なブースなどコーヒーにまつわる様々な方々と共に約1000人の来場者を向かえりれることができ、大成功のイベントとなりました。 Kurasuは初のイベント出店。いろいろな方々に支えられながら無事皆様にコーヒーを届けられたことをうれしく思います。今後のイベント出店の可能性を見出すことができた一日となりました。