次にご紹介する#クラスパートナーロースターは、東京・田町のPassage Coffee。
三田通り沿いにある店舗の前に立てば、視線のまっすぐ先に東京タワーが見える。大学があり、オフィス街であり、また観光地でもあるという土地柄、日常と非日常がいそがしく行き交うこの場所では、人通りが途切れることはない。
店内は明るく、木材で統一された内装と、交差するいくつもの直線で構成されていながら暖かみのある空間が印象的だ。カフェではエアロプレスをはじめとした器具や、常時5種類ほどが揃う自家焙煎コーヒー豆も購入できる。
朝一番においしいコーヒーを飲んで、一日のエネルギーにしてほしい―そんな思いを込め、平日は朝7時半、週末は9時にオープンするPassage Coffee。2014年ワールドエアロプレスチャンピオンシップ優勝という輝かしい経歴を持ち、店主として人気店を切り盛りする佐々木さんに、お話を伺った。
コーヒーとの歩み
『初日に、あ、これで飯食っていこう、と』
幼いころからカフェオレを好んで飲んでいたという佐々木さんが、本格的にコーヒーの世界に足を踏み入れたのは大学2年生の時だ。アルバイトとして採用された福岡のスターバックスで、勤務初日、「あ、これで飯食っていこう」、そう思ったという。スターバックスでは、アルバイトにも社員同様丁寧な研修が行われる。そのテイスティングでコーヒーの味わいの幅広さに感動を覚え、就職するなら絶対にコーヒー業界にしよう、と心に決めた。20歳の時だった。
卒業後ドトールに入社し、東京へと引っ越した。ドトールでは2年間店舗勤務で店長の業務をこなし、主にカフェの経営面、ビジネスマネジメントを大いに学んだ。そうして順調にキャリアを積んでいた佐々木さんだが、彼の頭の中にはすでに次のステージへの構想が浮かんでいた。
さかのぼって大学4年の頃、バリスタチャンピオンシップ観戦のため東京を訪れた佐々木さんは、ポールバセット新宿店に足を運んだ。そこで飲んだカプチーノ、スタイリッシュな空間の余韻は福岡に帰ってからも頭から離れなかったという。その記憶は、ドトールで忙しく働きながらも、また新鮮に思い出された。接客、マネジメントと、自分にとって必要なステップは踏んできた。ここへ来て、技術をしっかりと身に着けたいという気持ちがいよいよ強くなってきたのだ。
当時本格的にエスプレッソを扱っているところといえば、デルソーレ、ポールバセットを含めほんの3店ほど。その中で特にポールバセットはバリスタの登竜門のような存在であり、自分の技術を伸ばすなら絶対にここだ、そう感じたという。
その後アルバイトとしてポールバセットに採用され、更にセガフレードなど2つのカフェでのアルバイトを掛け持ちする傍ら、専門学校へも通い、1年間のバリスタ養成コースを修了した。仕事ぶりが認められ、ポールバセットで無事社員として登用された佐々木さんは6年半の間、新宿店を支える大きな存在として活躍することになる。
ポールバセットでは、バリスタとなり実際にマシンを触ることができるようになるまでに長い下積みのステップがある。バリスタになるには、コーヒーの知識、カッピングを含む味覚の試験、スチームの技術などの審査に合格する必要がある。厳しく長い下積みと言えば、少々古い体質のようにも聞こえるが、半端な気持ちで臨んではいけない仕事であるということ、そして、基礎ができていなければ美味しいエスプレッソなど作ることができないという意味で、順当であるとも思う、そう佐々木さんは話す。
無事にバリスタとなった佐々木さんは、ポールバセットの渋谷進出後、新宿店をほぼ一任され、時間は忙しくあっという間に過ぎていった。
エアロプレスチャンピオンシップへの挑戦、そして世界へ
『負けてすごく悔しかった』
初めてのエアロプレスチャンピオンシップへの挑戦はある日突然訪れた。上司が佐々木さんの名前で参加申し込みをしたというのだ。それまでほとんど触ったことがなかったエアロプレス。戸惑いながらも、大会までの2か月間特訓を重ねることにした。
初めてエアロプレスと向き合い、抽出してみた感想は「ストライクゾーンが広い道具」。手探りの一度目から、ある程度おいしいコーヒーが抽出できたのだ。しかし現実はやはりそう甘くはなく、大会では2回戦で敗退。 突然訪れた機会だったとはいえ、負けた悔しさは強く、来年必ず再出場しよう、そう心に決めた。
ポールバセットの看板商品はあくまでも世界一位を獲得したエスプレッソ。
しかし決意を固めた佐々木さんは、店舗ではまだメニューになかったエアロプレスをメニューに追加するよう働きかけ、自分の時間も使い細々とではあるが練習を重ねた。
「エアロプレスって、ある程度のところまでは簡単なんです。でも、完璧な一杯を追求しようとすると、味に影響する要素が多すぎる」と佐々木さんは説明する。エスプレッソと同じく気圧で抽出する手法は、よく言えば味づくりの幅が広く、様々な味が出せる。しかしその逆を言えば、あまりに幅広く様々な味を出せるため、照準を絞るのが難しく、また外してしまう可能性も大きいというのだ。
翌年の大会には、ティムウェンデルボーなどを参考に世界でスタンダードとされる味の取り方を研究し臨んだ。求める味を模索する中で新たに視野に入った世界での味の流れ、酸味を押し出すだけではなく、クリアでなければ表現できない産地個性など、それまで日本のコーヒーしか知らなかった自分の中での価値観が世界に向けて変わった瞬間、それが最大の転換期だったという。そして挑戦した二度目の大会で優勝、更に2か月後に控えていた世界大会でも、見事に優勝を果たすことになる。
前日まで調整を尽くした一杯を出し、その後も微調整を繰り返したと、佐々木さんは緊張感あふれる当日の様子を話してくれた。その時使用したのはボリビア。甘味が強く、ダークチョコレートを感じさせる豆だ。ただ淹れただけではフルーティーさはなく、その果実味を引き出し明るい酸と甘味のバランスを取ることで、ユニークさを表現し、評価につながった。
自分がおいしいと思うコーヒーが、世界で一番のコーヒーとマッチした瞬間だった。
焙煎の始まり
見事世界チャンピオンとなった佐々木さんは、ポールバセットからの信用もより厚くなり、さらに当時焙煎の責任者であり、現在Glitch Coffee代表の鈴木さんが退職するタイミングも重なって、本格的に焙煎に関わることとなる。
焙煎に関われるのは、カッピングや抽出をきちんと行えることが最低条件として、焙煎から最終的にお客様に出す一杯となるまでの流れ、コーヒーの味を作る全てのものを理解したバリスタのみだ。そこにたどり着くまでに4年がかかったという佐々木さんの喜びは大きかった。
ポールバセットの立ち上げから関わっていたという鈴木さん。ポールが決めたプロファイル、レシピが鈴木さんや各国の焙煎責任者に伝えられ、後はそれをベースに責任者の裁量で最終調整が行われる。
その鈴木さんの下、焙煎のチームに入り思い出したのが、バリスタとしてエスプレッソを特訓していた時に言われた「君はロボットにならなくてはいけない」という言葉だ。
決して機械的になれ、と言うわけではなく、毎回同じ商品を提供するためには、毎回同じ動作をしなければいけないという考え方。焙煎も同じく、決められたタイミング、量、時間をひたすら刻んでいくことが同じ味につながる、それを理解することが重要だという意味なのだ。ポールバセットの味を忠実に守り、再現し続ける日々の中、佐々木さんの心に次第に「自分の焙煎を表現したい」という思いが芽生え始める。
業界に入った頃から、自分の店を持ちたいという夢は変わらなかった。しかし、ここで精鋭たちとしのぎを削り、チームとして働くうちに、一人で一からスタートするよりも、こうしている方が成長できるのではないか、これで全てがうまくいくのではないか、そう思ったという。組織に属していなければ得られないもの、挑戦できないスケールのものも多い。しかし、やはり次第に自分の味を追求したい、自分にできることを自分の手でやってみたい、そんな気持ちが抑えきれなくなり、佐々木さんはついに独立へと駒を進めることになる。
独立
店を出すならオフィス街、それもコーヒー専門店がまだない街と決めていた。例えば新宿など、すでに地域にカフェやスペシャルティコーヒーが受け入れられており、マーケットが確立している場所に入っていくのではなく、様々な場所に広めていくことで、マーケット全体のパイを広げたかったからだ。
その条件をぴたりと叶えてくれたのが、田町だ。店を開けると、すぐに周辺のオフィスからたくさんの人が訪れ、「こういうのずっと待ってたんです」と言われたという。週末に美味しいコーヒーを求めて遠出するようなコーヒー好きの人たちにとって、大手チェーン店は数あるものの、求める味を平日にも手に入れることが難しかった。そこへPassage Coffeeがオープンし、日常の忙しい時間の合間にも、気軽に質の高いコーヒーが飲めるようになったのだ。
それを聞いた佐々木さんは、東京にもしっかりスペシャルティ―コーヒーが浸透している、と嬉しく感じたという。
自分の焙煎
「自分の焙煎を表現するとしたら?」という質問に、佐々木さんはこう答えた。
「豆の個性をしっかり出すような焼き方をしています。質感がちゃんとシルキーであることと、しっかりとした甘みの形成を重視しています。そうすれば、個性を出した時にもただ酸っぱくなるのではなく、酸がきれいに和らいでいくんです。」
近頃気を付けていることは、”underdevelopment”、生焼けにならないようにということ。生っぽさも、焼きすぎの苦みも、どちらも産地個性の表現の邪魔になってしまうからだ。
使用している焙煎機はディードリッヒの2.5kg釜。4/4 SEASONS COFFEEの焙煎機を借りて週1、2回焙煎を行っている。ポールバセットで使用していたプロバット以外を使用したことがなかったため、経験のためにも違う窯に挑戦した。
プロバットは窯が厚く、ある程度の操作で後は釜が焼いてくれるようなところがあるが、ディードリッヒは一味も二味も違った。初めは「しまった」と思ったほどだという。 考えること、調整する部分が多く複雑なマシンだが、それだけに色々な味が作れる魅力があるという。
ゆくゆくは自分のマシンも手に入れたい。佐々木さんの「基地」構想は膨らむばかりだ。
将来に向けて
3年前に韓国、2年前にオーストラリア、去年はルワンダと、さまざまな国に訪れては、さまざまな形のコーヒーカルチャーを観察してきた。その中でも特にオーストラリアでは、皆の日常生活に深く浸透しているコーヒーの姿に非常に背中を押されたという佐々木さん。あれほどまでにカフェがあちこちにある町で、それでもすべてのカフェに行列ができている。コーヒー一本で勝負できる環境、コーヒーだけで食べていける環境に、強いあこがれを感じた。
日本には今コーヒーだけでやっていける店はまだ少なく、食事を出すなどして売り上げを賄っているところも多い。アルバイトのスタッフも、いくつもの仕事を掛け持ちしている人を多く見てきた。コーヒーに集中して向き合える環境が整っていないこと、バリスタが十分に活躍できる場が少ないこと、その状況がもどかしい、変えていきたいと佐々木さんは話す。
味を作り上げるのに不可欠な焙煎所を作ることが目下の計画だ。ゆくゆくは、またコーヒー屋がない場所に更に店を出したいとも考えている。
「狭いところで生きていきたくないと思っています」と、佐々木さんは言う。世界に常にアンテナをはっていること、自分の頭の中での味のイメージづくりに終始するのではなく、まずはその作業のためにいろんな情報や刺激を取り入れることが重要だと考えているのだ。ただ自分と向き合っているだけでは生まれてこない、一見関係のない経験が全く予想もつかない形でつながって、おいしいコーヒーとなりカップを満たす。
Passageとは
通り道、という名前の店名には、スペシャルティコーヒーをもっと身近なものに、例えば仕事の行きかえりに、通り道にあるもの、そんな日常的な存在にしたいという想いから。そして、店にやってくる人も、それまでに様々な場所から異なる道のりを経て出会う存在であり、コーヒー豆も同じく、産地から海を渡り、一杯のコーヒーになるまでに様々な道を通ってきている。色々な人々とコーヒーとが集まり、出会う場所にしたい。そんな想いが込められているのだという。
Passage Coffeeで人々の道が交わり、その行く先が少しでもより良いものになるように、そして、美味しいコーヒーがもっと広がっていくように。
「ポールバセットではここよりもうんと広くて、始終走り回っていたので大変でした。今は狭いところだけど、なんでも一から考えるのでまた違う意味で疲れますね」と笑いながら話す佐々木さん。通り道であり、人々をつなぐハブであり、その道のりは予想できない方向へ、しかしまっすぐ未来へと向かっている。
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