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Kurasu Journal

Tag: クラスパートナーロースター

Cafe FUJINUMA(栃木):2019年5月 #クラスパートナーロースター

次にご紹介する#クラスパートナーロースターは、栃木県小山市の自家焙煎コーヒースタンド、Cafe FUJINUMA。これまで全国様々なロースターの皆様に出会い、コーヒーの道に足を踏み入れる前は、全く異なる業界で活躍していたという方々のお話を伺う機会にも恵まれた。Cafe FUJINUMAのオーナー、藤沼さんの人生も、コーヒーとの出会いによってその道筋が大きく変わったという。   コーヒーとの出会い   大学進学を機に地元の小山を離れ上京した藤沼さん。大学では映画学科で学び、元々は映画監督を志していた。映画製作の現場での仕事は充実していたが、とにかく忙しく、休みは月に1、2回程度だった。そのわずかな時間に、カフェを訪れて一息つくのが、唯一の憩いだったと藤沼さんは振り返る。   「映画の世界に入って1年半ほどが経った頃、地元で両親が小料理屋を始めるので、手伝ってもらえないかと母親から連絡がありました。小料理屋だけでは難しいから、といってカフェへ方向転換して、コーヒーを扱うようになったのがきっかけです」、そう藤沼さんは説明する。開店準備期間中、色々なお店を訪れてはハンドドリップ講座に参加するなど勉強を重ね、技術不足をカバーしながら差別化をはかるため、グレードの良い豆を入手した。それまで何度も通っていた店も、実際に自分が店を始めるとなると全く違う視点で見るようになった、と藤沼さんは人生の転換期を振り返る。   コーヒーについて知れば知るほど、その魅力にどんどんと引き込まれていった藤沼さん。立ち上げを手伝いすぐに東京に戻る予定だったが、1年が過ぎる頃にはコーヒーが面白くて仕方がなくなった。更に家庭の事情で、藤沼さんが一人で店を切り盛りせざるを得ない時期があったことも手伝い、藤沼さんは期せずしてCafe FUJINUMAの店主となる。「映画の世界に戻るかどうかは最後まで本当に迷いました。仕事をふってくれる方もいらっしゃいましたし、現場で待ってくださっている方も。でもごめんなさい、コーヒーをやりたいです、と言ってこの世界に飛び込みました」と、藤沼さんは話す。   現在では店に復帰した母の作る家庭料理を「マザーズランチ」と名付けて提供し、さらには定期的にピアノなどの生演奏を企画したり、有志で映画撮影を行ったりと、自らも楽しみながら、小山のカフェ文化を盛り上げている。   小山での歩み   オープンしてから1年ほどは、市内の焙煎所からスペシャルティコーヒーを仕入れて提供していたCafe FUJINUMA。小山市内には老舗の自家焙煎所が10店舗ほどあるが、扱っているのはやはり主に深煎りだった。そこへ頼み込んでブレンドを作ってもらったり、産地を指定したり、浅煎りを依頼したりと、求める味を手に入れるべく四苦八苦しながら、しばしば東京に出かけてはトレンドの研究を重ねた。   1日に数人しか客が入らない時期が続いても、コーヒーのグレードは下げず、かたくなに浅煎りを出し続けたと藤沼さんは話す。「最初は酸っぱい、という感想ばかりでした。でも、自分にはキャリアはなかったけれど、信念はありました。自信をもって淹れたものだから、と出し続けていたら、だんだんとお客様にも受け入れられるようになり、今では当たり前に浅煎りが好き、という方も増えました。」地域にも次第に受けれられるようになり、求める味わいが明確になるにつれ、ぴったりと来るものが仕入れられない事をもどかしく感じるようになった藤沼さんは、ついに自家焙煎を始める決意をする。   Cafe FUJINUMAの焙煎   焙煎の手ほどきを受けたのは、群馬のある焙煎所。元々は仕入れのために紹介してもらった焙煎所だが、求める味とそのこだわりを説明したところ、そこまでの熱意があるのならぜひ自分で焙煎した方がいい、と勧めてもらったのだという。そこでノウハウを学び、更にSCAJの合宿に参加するなどして焙煎技術を順調に身に着けた。   焙煎機を導入したのはオープンから2年目の事だ。選んだのはフジローヤル。手の届く価格帯と、メンテナンスなどの面で安心できる国内ブランドに決めた。東京の足立にあるフジローヤルに通い詰め、半年ほどかけて焙煎機への感覚を磨いていった。「フレーバーがうまく出なかったり、豆のポテンシャルが引き出せていなかったりする時、一回の焙煎で2キロほどが一気に無駄になってしまう、はじめはその感覚の怖さがありました。常に80点以上が付けられるような安定した焙煎ができるようになるには、プロファイルを安定させなければいけない。その確立までが難しかったです」、そう藤沼さんは当時の苦労を振り返る。   今では無駄もなくなり、自分なりに生み出したいくつかの型を豆の種類や標高に合わせてあてはめてみるというメソッドも確立した。これまでは一人で行っていた焙煎作業も、新たな人材に出会ったことで、自分の頭の中だけで完結していたものをデータに落とし込む作業が必要になっている。「いわゆる職人というやり方で情報を閉じた状態にしていては、取り残されていく時代だと思います。卸先も増やしたいし、最近になって指導にも行ける余裕が出てきたので、自分の持っている技術はどんどんシェアできるような形にしたいです」と藤沼さんは話す。   農園との関り   昨年末、初めて農園を訪れる機会があった。エルサルバドルとコスタリカなど、対極にあると言っていいほど環境の異なる国々を訪れ、それぞれの経済状況や設備の充実度などが様々であったことが強く印象に残った。 ここ数年、”From seed to cup”、「種から一杯のコーヒーまで」といったスローガンがもてはやされてはいるものの、いまだに消費者から農園主の顔が見えるレベルには達していないと藤沼さんは指摘する。「産地やコーヒ―豆の情報をデータ化して、お客さんに見せて、という作業しかできていない。そこにずっと違和感がありました。もっと芯を持って話をしたい、整えられた綺麗ごとだけではなくて、自分の目で見て感じたいという想いがあり、農園に行きました。」産地の気候、コーヒーが発酵する匂いなど、コーヒーが作られる過程を肌で感じ、本には載っていない体験ができたと話す藤沼さんは、いつかエチオピアを訪れたいのだと、目を輝かせる。   今後の展開   2017年には2号店もオープンし、いよいよ勢いを増しているCafe FUJINUMA。 「積極的に小さい定食屋やレストランにも卸に行って、栃木全体で、どこに行っても美味しいコーヒーが飲めるようにする、というのも面白いかなと思っています」と藤沼さんは今後の展望を語る。コーヒー専門店に限らず、ふらっと美味しいものを食べに行った先で、当たり前のように美味しいコーヒーが飲める、そんな日常を栃木のこれからにしたい、そう考えているのだ。   「とにかくコーヒー、コーヒーと言っていた時よりは固執しなくなりました。それでいて、探求心は高まっていると感じます。少し引いた眼で見る余裕が出てきたのかも」、と藤沼さんは自らの変化を振り返る。今の環境の中で、できるだけ多くの人にコーヒーを飲んでもらえるにはどうしたらいいか、小山だからできる事はなにかー 細部にまで丁寧にこだわり、しかし大きな枠組みとその動きもしっかりと支えていく、どこか映画作りにも通じるような藤沼さんの旅路。これからの栃木に、ますます目が離せない変化が訪れる。    

Q.O.L. COFFEE (名古屋):2019年4月 #クラスパートナーロースター

次にご紹介する#クラスパートナーロースターは、名古屋のQ.O.L. COFFEE。 大通り沿い、目の覚めるような青の外壁が印象的な店舗は、大きな窓からたっぷりと日の光が入る明るい空間だ。2階席もある店舗の広さを活かし、演劇や音楽ライブなどのイベントにもスペースを提供している。Quality of Lifeの頭文字をとって名付けられたこのカフェは、その名の通り、人々の生活の質を高めるような体験・空間を提供することをコンセプトとした、名古屋の押しも押されもせぬ人気店だ。オーナーの嶋さんに、お話を伺った。   コーヒーとの歩み   名古屋といえば、「モーニング」。名古屋で育った嶋さんも、その文化に親しみながら育った。「両親によく喫茶店に連れていってもらっていました。喫茶店という空間が好きで、ミルク入りのコーヒーを飲んでいたのを覚えています。小学生の頃ぐらいには、自分もそんな空間が作れるようになりたい、と思うようになっていました」、そう嶋さんは振り返る。   中学、高校とバスケットボールに熱中した後、高校を卒業した嶋さんの胸の中には、小学生の頃の憧れがいまだに息づいていた。飲食店を経営したい、その夢を実現させるため、調理師専門学校に進学。22歳の頃、本格的にコーヒーの勉強をすべく、名古屋でコーヒーを取り扱う会社に就職する。そこでスペシャルティーコーヒーに出会い、日本でまだサードウェーブが主流になる前から、スペシャルティーコーヒーの美味しさ、質の高さに触れる機会を得た。   その後9年ほどコーヒー業界で経験を積み、ハンドドリップ、エスプレッソや焙煎まで幅広い技術を身につけた。そのうちに、世界のコーヒーをみたい、そんな気持ちが芽生えてきたのだと嶋さんは話す。「なぜコーヒーが盛り上がっているのか、外国のコーヒーの文化はどんなものなのか、それが知りたかったんです。アメリカのコーヒーシーンはすでにピークを迎えているように感じて、今まさに盛り上がりを見せているメルボルンに興味を持ちました」、そう嶋さんは説明する。なぜ人々はコーヒーを飲むのか、人々の生活にとってコーヒーはどのような位置付けなのかー実際にローカルな視点に触れ、自分の目でみなければつかむ事のできない感覚。それを手に入れるべく、嶋さんは半年間メルボルンに滞在し、バリスタとして働いた。技術も情熱も、いつ自分よりも優れた才能が現れるかしれない、競争の激しい世界。そんな厳しさも身を以て体験し、日本ではあまり意識する事のなかった、働く事の意味や、働き方についても考える機会になったという。   「自分の目指すものがすでに出来上がり、進んでいっている場所を見る事で、今自分が歩いて行こうとしている方向が合っているかどうか、確かめたかったという思いがありました。メルボルンでの経験を通して、自分の中に合った将来へのイメージを現実とすり合わせ、徐々に形にしていけたと思います」と嶋さんは振り返る。   クオリティ・オブ・ライフを提案する空間   メルボルンから帰国し、日本でもバリスタやカフェが飽和状態になっているのを目にした嶋さん。他とは違う味を出さなければいけない、そう感じた。 「カフェには、色んな文化を発信する場という側面もあります。ここはカフェであり、ロースターであり、ギャラリーであり、例えばアーティストが世に出たり、人の目に触れる場であったりもします。もちろん、そういう特別な機会でなくても、ただ何となく訪れた人が、誰でも何かを感じられるような空間にしたいな、と思っています」と、嶋さんは話す。 絶えず人を飽きさせない場所ー様々な展示やイベントを行い、感性が動く場を作る事で、訪れる人々の生活の質を高める、それが嶋さんが作り上げる空間の目指すところだ。   名古屋のコーヒー文化   名古屋に店をオープンしてもうすぐ2年が経つ。地域では、コーヒーといえば深煎り、という文化がまだ根強いと感じる。正直、スペシャルティーコーヒー文化の盛り上がりにはまだ欠ける部分があるというのが嶋さんの意見だ。店にも、深煎りを求めて来店する人が多いという。深煎りを否定するつもりはないし、それぞれに違うコーヒーの楽しみ方で自由に楽しんでほしい。だがまずは根気よく、自分の店でどういったコーヒーを取り扱っているかを説明し、提供することを続けるうちに、少しずつポジティブな反応が返ってくるようになったのだと嶋さんは言う。「こんなにスッキリして飲みやすいコーヒーは初めて、と言ってくださる方も増えてきました。深煎りをずっと愛飲されてきたご年配の方々にも、新しい味を知って楽しみにしてくれている方が増えてきました。これからこうやってどんどん増えていくんだろうな、と思っています」と、嶋さんは微笑む。   Q.O.L. COFFEEの焙煎   Q.O.L. COFFEEで使用しているのはラッキーコーヒーマシンの焙煎機。やや仕様をカスタマイズした、4kg窯の半熱風式だ。フジローヤルやローリングスマートロースターなど、色々なマシンを使ってきた中でも、十分に自分の出したい味が出せると感じられる頼れる相棒なのだと言う。 豆本来の味を活かした焙煎で、深煎り、浅煎りとカテゴリに分けるというよりも、その豆の味わいの一番いいところを引き出せるポイントを探し出す方式だ。まずは嶋さんが焙煎し、スタッフ全員で飲んでみてはディスカッションを行い、最後の微調整はまた嶋さんが行う。   豆は常時7種類ほどのシングルオリジンを取り揃えている。それぞれ、キャラクターがはっきりと異なるものを選び、様々に違う味わいを体験する楽しみ方を提案している。 ドリンクはKINTOのドリッパーを使ったハンドドリップか、エアロプレスを選ぶことができる。これも豆による味わいの違い、また抽出方法による違いを様々な角度から紹介できる仕組みだ。   新世代の名古屋へ   「コーヒーがある場所からコミュニティを広げたい」、それが嶋さんの目指す形だ。この街だからできることを、そしてそれを通して様々な人々が関わり合えるような場所を作りたい。コーヒーを通して、また、カフェという空間を介して、人々の生活を豊かにしていきたいー名古屋で長年愛されてきた喫茶文化を、新しい形で提案する、そんな嶋さんの模索する道は、これからの名古屋にとって欠かせないものとなるだろう。  

Craftsman Coffee Roasters (山口):2019年3月 #クラスパートナーロースター

次にご紹介する#クラスパートナーロースターは、山口県下関のCraftsman Coffee Roasters。2016年10月にオープンし、「自分たち、そして自分たちのお客様と豊かに暮らしていくにはどうしたら良いか」を考え提案していく存在として下関で絶大な支持を得ているカフェ・ロースターだ。今回のインタビューでは、下関市地方卸売市場内に焙煎によりフォーカスした店舗としてオープンした、THE LAB.に伺った。   同じく下関市内にあるカフェにはいつも暖かい笑い声が溢れ、常連客と会話を楽しみながらおいしいコーヒーを淹れているバリスタのバックグラウンドは、元消防士など多彩だ。更にオーナーの二人、高城さんは北海道育ちで、青山さんは横浜育ち。あらゆるものが一見意外な組み合わせでできているCraftsman Coffee Roastersは、しかしその複雑な魅力とそれゆえの強みを持ち、下関全体の地域産業活性化に貢献するほどの有名店だ。「彗星の如く現れた」と評されることもあるというCraftsman Coffee Roastersができるまで、そして彼らの魅力の秘密に迫った。   高城さんのストーリー   高城さんは静岡県に生まれ、北海道で少年時代を過ごした。大学は神奈川の東海大に進み、イタリアンレストランでのアルバイトを通して飲食業界に足を踏み入れることになる。母体であるグループの、地場産業プロデュースや地産地消を通して地域に貢献し、人々の暮らしを豊かにすることをコンセプトとした企業理念に非常に共感した高城さんは、大学卒業後も大学職員として勤務しながら、更に1年その企業でのアルバイトを続けることにした。そこでカフェ業務に異動になったのが、コーヒーとの出会いのきっかけだ。   その後家業の米農家を継ぐために下関へと移住した高城さん。閑散期と繁忙期の差が激しく、更に副業もしていたが、それでも食べていくのが難しいという現実に直面することになる。そこで経験を活かして飲食業を始めようと思い立ったのが、Craftsman Coffee Roastersの始まりだ。   「レストランなどの業態では、同じお客さまには多くて月に1回ほどしか会えません。そう毎日いく場所ではないですからね。でも、僕はもっとカジュアルに、自分のマンパワーがダイレクトに伝わるような場にしたかった。そこで、毎週のようにお客さまに会える場を、と思い、単価の低いカフェや珈琲屋さんをやろう、そう考えたんです」と高城さんは説明する。高城さんは早速バリスタである幼馴染の協力を得て、カフェをオープンすることになる。     青山さんのストーリー   フランス生まれ、横浜育ちの青山さんは、スポーツマネジメントを学んだ東海大学で高城さんと出会った。スポーツイベントを一緒に企画・運営するなど、高城さんとは学生時代に大いに活動を共にし、強い信頼関係を築き上げた。卒業する頃には、将来何か一緒にやりたいね、と言い合った。   その後はスポーツメーカーに就職し、東京や名古屋で営業として活躍した青山さん。ブランド価値を大切にし、直営店ビジネスを主に行う企業の一員として、店舗のマネジメントやスタッフ教育など、今の仕事に直結する素晴らしい経験を積んだ。やりがいのある職場で、自身の成長も実感していたが、漠然と、やりたいことを先延ばしにしていたら、いつかできなくなってしまうのでは、という思い、そして高城さんとの約束が頭をよぎるようになったと青山さんは振り返る。その頃熊本で地震が起こり、母校の阿蘇校舎に通う学生が亡くなったという痛ましい知らせを聞き、これ以上先延ばしにはできない、という思いが決定的になったという。   下関に移住した高城さんをよく訪ねていたという青山さんは、Craftsman Coffee Roastersのカウンター席に座っては、スタッフの接客や店の雰囲気などを時折眺め、自分なりに思ったことを高城さんに伝えたり、イベントがあれば手伝ったりなどしながら、早い時期からカフェの経営に関わっていた。「毎日のように連絡を取り、店の売上やその日の出来事、またイベントの戦略など、離れていても生活の3分の1ほどは一緒に過ごしているような形でした。イベントの戦略を立て、反省会をして・・・そういうのがすごく楽しかったです」と青山さんは振り返る。   更に名古屋営業時代に遊びに来てくれた高城さんにTRUNK COFFEEを紹介され、すっかり気に入った青山さんはその後、毎日のように通うほど、コーヒーのある暮らし、そしてコーヒーそのものに興味を持つようになっていた。コーヒーのある暮らしを提供するにはどうすればいいか?気づけば青山さんの心の中に、「やりたいこと」が芽生えていた。   ところ変わって下関では、高城さんが頭を悩ませていた。スペシャルティコーヒーに通じたバリスタに、最高の一杯を出してもらっている。しかしなぜかそれではうまくいかない。良し悪しの基準の置き方、正解・不正解がはっきりと決まっているもの、そのスタイルが、この街に今ひとつしっくり来ていないと感じていたのだ。   そこで高城さんは、大きな決断をする。話し合いを持ち、当時のバリスタに、店のコンセプトと街が求めているものにおそらくずれがあること、このままではいけないことを伝え、断腸の思いで解雇したのだ。   それに伴って店の顔ぶれも大きく変わることになるー常連客の一人が、消防士を辞めてカフェで働きたいと申し出てくれたのだ。そうして少しずつメンバーが揃いはじめ、青山さんを正式に共同経営者として迎え入れると、次第に店の運営も波に乗りはじめた。外交の高城さん、ソフトの青山さん、と、役割分担もはっきりとし、現在のCraftsman Coffee Roastersが出来上がった。「共同経営ってよく反対されるんです。でも僕たち二人は、かならず落としどころを見つけられる。喧嘩は絶対しないです」と高城さん。二人の約束がついに実現した。   Craftsman Coffee Roastersの焙煎   スペシャルティコーヒーを地域に受け入れてもらうにはどうしたらいいか。高城さんらが出した答えは、一般的なスペシャルティコーヒーの評価基準だけでなく、良し悪しの基準を、自分たちの中にしっかりと確立すること。そして、それを自分たちの言葉で言語化できるようにすることだった。   スタッフそれぞれの胸の中には、初めてスペシャルティコーヒーと出会った時の体験が今も残っている。お店に来てくれる人がこれから体験するかもしれないその瞬間。それに寄り添って、相手の立場に立ったコーヒーの説明ができれば、きっと伝わるものがある。高城さんらは、そう考える。...

hazeru coffee(富山):2019年2月 #クラスパートナーロースター

次にご紹介する#クラスパートナーロースターは、富山でスペシャルティコーヒーを気軽に楽しめるお店として人気を博しているhazeru coffee。代表の窪田さんに、これまでの歩みとこれからのお話を伺った。 hazeru coffeeができるまで   石川県出身の窪田さんは、大学卒業後、銀行員として社会人生活をスタートさせた。元々コーヒーが好きだったという窪田さん。仕事帰りにカフェで過ごすのが日々の楽しみだった。コーヒー片手に勉強したり、ほっと一息ついたりーそんな時間を過ごすうちに、こういう空間が職場なら、こんな空間を作る仕事なら、もっと楽しいかもしれない。そんな気持ちが芽生えてきたという。「仕事って自分の人生の半分以上を占めるものですよね。それを考えると、ずっとこのままこの仕事をやり続けるとしたら、それは自分の人生としてどうなんだろう、じゃあ好きな仕事をして過ごしたい、そう思うようになりました」と窪田さんは振り返る。 そんな窪田さんの胸に暖かく残っていたのが、大学時代を過ごした横浜のスターバックスで、初めて飲んだカフェラテの味わいだ。「コーヒーとミルクがマッチして、ラテってこんなに美味しいんだ、そう思いました。」当時窪田さんが勤務していた金沢市を含め、北陸にはまだスターバックスが進出していなかった頃、その感動はいまだ鮮やかに思い出された。カフェに通いながら、自分の人生をどう進めるか、そう考えれば考えるほど、コーヒーを仕事にしたい、その想いはどんどん強くなる一方だったという。スターバックスジャパンに連絡を取り、ちょうど北陸に店舗をオープンすると聞かされた時には、窪田さんの心はすでに決まっていた。   2002年、社員採用試験に見事合格し、晴れてスターバックスジャパンの一員となった窪田さん。風通しの良い社風の中、順調にキャリアを積んだ窪田さんはその後15年間スターバックスで勤務し、店長職を任されるまでに成長した。大好きなコーヒーについて学びながら、更にコーヒーを通じた人々のつながりやその空間を提供できる。その喜びにすっかり魅了された窪田さんだが、コーヒーへの愛が強まれば強まるほど、ある想いが募ってきたという。   「自分のやりたい事とスターバックスの方向性は一緒でした。ただ、事業の性質上、コーヒーにフォーカスするというよりも、コーヒーを中心としたカフェというビジネスモデルになる。さらにチェーン店なので、こだわりの一杯を淹れて出す、というよりは、誰が入れてもきちんと決まったレベルで美味しいものを出す事がどうしても優先になってしまう。そんな中で、こうすればどうだろう、こうしてみればもっと美味しくなるかもな、という想いやアイデアがどんどん膨らんできたんです」と、窪田さんは心境の変化を振り返る。 さらに転勤を重ね、震災を経験し、ライフステージにも変化が生まれたことで、働き方や家族と過ごす時間など、自分の生き方や仕事の在り方についてもう一度見つめなおすきっかけを得た窪田さん。一念発起して、自分の店を持つことになる。hazeru coffeeが芽を出した瞬間だ。   hazeru coffee のコンセプト   「一口にスペシャルティコーヒーと言っても、どんどん新しい製法や品種が出てくるようになりました。そういったものも含めて、スペシャルティコーヒーを気軽に楽しめるような、高品質なもの、最先端のものを楽しめる店を作りたい。そう考えて、2016年にhazeru coffeeを立ち上げました」、そう窪田さんは話す。インスピレーションは兵庫県のTAOCA COFFEEや神奈川の27 Coffee Roastersから。クリーンなインテリア、豆売りに力を入れ、幅広い嗜好に対応できる焙煎度合いのバリエーションなど、言われてみれば共通点が見えてくる。 缶コーヒーや昔ながらのコーヒーを愛好する人の数はとても多いという富山だが、スペシャルティコーヒーとなるとオープンから2年になる今もまだまだ浸透していないと感じているという。地域にカフェや焙煎所はあるものの、気軽に立ち寄ってはバリスタやスタッフとコーヒーの事や日常会話を楽しむような空間はまだ少ないと窪田さんは説明する。「スペシャルティコーヒーって、本来ならストーリーがたくさんあるもの。そこに関するコミュニケーションをもっと取っていくことができれば、大きく広がるものがあると思うんです」と窪田さんは言う。 hazeru coffeeでは常時試飲を提供し、そのコーヒーのストーリーや味わいについて聴いてもらう。酸味のないものを、と注文を受ける事も多いが、試しにと飲んでもらった浅煎りを気に入ってもらえることもしばしばだ。   品質も値段も高いスペシャルティコーヒーの専門店を開くにあたり、最初は少し考えすぎていたことがあると窪田さんは振り返る。食に関心が高いが美味しいコーヒーにはまだ出会っていない、そんな層を想定し、精肉店、ベーカリー、和菓子屋などこだわりを持つ店が集まるエリアに出店したのもそのためだ。しかし今では少し考え方が変わり、何気なく立ち寄った色々な嗜好を持つ人々が、ここで飲んだコーヒーが美味しかった、もっと知りたい、そう思ってもらえるような店になっていきたい、と考えている。   hazeru coffeeの焙煎   窪田さんが愛用している焙煎機はフジローヤルの5㎏窯をカスタマイズしたもの。 オープンを控え、石川県でコーヒー屋を営む友人に焙煎を教えてもらい、東京にもセミナーのため足しげく通った。 提供する焙煎度合いは浅煎りから中深煎りまでの7種類。オープン当時から変わらない幅広さには、様々な嗜好に対応しながらも、普段は深煎りばかりという人にも浅煎りや中煎りで出てくるような風味の豊かさをもっと知ってもらえたら、そんな思いも込めている。 甘味をしっかり出しながらいかにフレーバーを豊かに出していくか―それが当初からのhazeru coffeeの焙煎のコンセプトだ。それに合わせてマシンを細かく調節し、さらに焙煎前と焙煎後に手作業での選別を行うことで品質を高く、一定に保っている。 前述のセミナーだけにとどまらず、時には焙煎合宿などにも参加し、常にアンテナをはり情報収集を欠かさない窪田さん。焙煎合宿では、普段と違う環境で焙煎を行う事で、メーカーによる焙煎機の個性の違いや、一つの成功体験がすべてに通用するわけではないことなどを学び、参加するたびに創造性や柔軟性が培われるのだという。 「スターバックスという大きい組織にいたころは、業界の中での横のつながりを作る機会はあまりありませんでした。今はそれができるのが単純に楽しいし、他のロースターと関わる事で自分のコーヒーとの向き合い方に非常にいい刺激をもらっています」、と窪田さんは話してくれた。   これからの道のり   オープンから2年が経ったが、スペシャルティコーヒーの良さを知ってもらえる、気軽に立ち寄れる店でありたいという気持ちは変わらない。敷居の高さを感じさせず、美味しいと思ってよく聞いてみたらスペシャルティコーヒーだった―そんな出会いを提供していきたいと考えているのだ。 「今後の道のり。地道ではありますが、日々の営業や、定期的にやっているコーヒー教室をこれからも続けていくこと、あとは外に出てイベントなどを積極的に開催し、新しい人々と出会うことでしょうか」と窪田さんは話す。 更に立ち寄りやすい店を目指し、富山の中心街に2号店を出すことも視野に入れているというhazeru coffee。これからも、日本のスペシャルティコーヒー文化を広め、より多くの人々への懸け橋となる存在として輝き続ける事だろう。

TAKAMURA Coffee Roasters (大阪):2019年1月 #クラスパートナーロースター

次にご紹介する#クラスパートナーロースターは、大阪・西区に位置する西区にあるワインとコーヒーの専門店、TAKAMURA Coffee Roasters. 大きな倉庫のような外観と、高い吹き抜けの天井、大きなガラス窓からさんさんと陽の光が差し込む店内には、思わず圧倒されてしまうほどの数のワインボトルがずらりと並んでいる。1992年の創業以来、輸入食品や雑貨なども幅広く取り扱うリカーショップだったというTAKAMURA Coffee Roastersが、ワインとコーヒーの専門店として生まれ変わったのは2013年の事。サービス内容の専門性を高め、深い知識と高い技術を持つスペシャリストがお客様のお問い合わせにしっかりと応えられる場にしたいーそんなオーナーの思いにより、大改装が行われて以来、大阪を代表する存在として業界をけん引している。   元々リカーショップということもあり、店の専門はワインだ。しかしワインに関しては生産者の顔が見え、テロワールについてもきめ細やかに説明を受けられる一方で、食後のコーヒーが今ひとつというレストランも多い事に着目したオーナーが、コーヒーもワインと同じくらいしっかりと品質の良いものを提供したい、そう考え現在の二本柱が確立したのだという。その柱の片方、コーヒー部門で焙煎を任されているのが、今回Kurasuのインタビューに応えてくださった岩崎さんだ。   岩崎さんとコーヒー  ローリングの35㎏という巨大なスマートロースターを相棒に、TAKAMURA Coffee Roastersの味を日々作り出す岩崎さんは、大会にも数多く出場し、ジャパン コーヒー ロースティング チャンピオンシップ (JCRC)準優勝、そして世界での舞台でも活躍する経験を持つが、20代後半まではコーヒーとは全く関わりのないキャリアを積んできた。 そんな岩崎さんの趣味は、ヴィンテージの洋服や家具。アメリカンカルチャーに心惹かれ、その文化を伝えるような活動に興味を持っており、休みの日には古着やヴィンテージ家具を探して店巡りをして過ごしていた。20代中盤を迎える頃には、大阪は探しつくしたと感じるようになり、月に一度夜行バスに飛び乗り東京まで足を延ばすようになったのだという。 当時の行きつけは代々木にあるカフェバー。テーブルウェアも取り扱う店で、何度も通ううちに飲食業にも興味が湧いたこともあり、そこで働くバーテンダーと知り合いになったという。ある日、近くに北欧のヴィンテージ家具を扱うショップができたと教えてもらい、早速訪ねる事にした岩崎さん。それが彼のコーヒーとの出会いだった。 教えてもらった店というのが、実はFuglen Tokyo。カフェ、バー、家具屋という三業態で営業していたFuglenには、現在のTRUNK COFFEE代表である鈴木さんを含め、後に日本のサードウェーブを代表する存在となった人々が揃ってコーヒーを淹れていた。そんなこととはつゆ知らず家具を見に訪れた岩崎さんだったが、落ち着いた店内の様子に誘われ、せっかくだから、とコーヒーを飲むことにした。実はコーヒーは苦手だった岩崎さん。しかし一口飲んでみて、その紅茶の様な味わいに驚いた。そして何より、苦手だと思っていたコーヒーを飲めた事、更に美味しいとまで感じたことに驚いた、そう岩崎さんは振り返る。 浅煎りのコーヒーの背景にはノルウェーの気候や風土があること、レモンやチョコレートといったフレーバーの表現方法など、丁寧な説明を受けたが、その時は半分ほど理解するのがやっと。しかし衝撃はいつまでも岩崎さんの心に残り、もう一度、またもう一度と月に一度の東京旅行の度に立ち寄るようになり、次第にFuglen Tokyoを訪れるのが旅の主目的となったほど。こうして岩崎さんは、どんどんとコーヒーにのめり込んでいった。 後ろ髪を引かれる思いで大阪に帰った岩崎さんは、早速地元でスペシャルティコーヒーを扱っている店を探し始め、そこで見つけたのがTAKAMURA Coffee Roastersがコーヒー部門を立ち上げたという情報だった。それ以来2、3年ほど、豆を買いに通っては、コーヒー業界で働きたいという気持ちをくすぶらせたまま過ごしていたという岩崎さん。当時大阪ではスペシャルティコーヒー業界は始まったばかりで、オープニングスタッフも飽和状態。仕事を見つけるのは困難だった。タイミングを待って過ごしていた間にも、Fuglen Tokyoには足しげく通い、イベントを手伝った関係で実際にマシンを触らせてもらいながらトレーニングを受けるなどの指導も受けることができた。 得意分野を仕事にしたという自負もあり、当時の職場には不満もなかった。しかし一度火が点いたコーヒーへの想いは消えず、紆余曲折を経て、ついに念願のTAKAMURA Coffee Roastersにバリスタとして職を得る事になる。 働きだしてからほどなく、縁あってハンドドリップチャンピオンシップに申し込みをした事がきっかけにはずみがつき、エアロプレスチャンピオンシップなど様々な大会に数多くチャレンジしたのもいい思い出だ。 「好きじゃなかったから、どうしてもそこから掘り下げよう、勉強しようという気持ちになれないですよね。得意と好きは違うんだ、コーヒーについてなら、こんなにどんどん気持ちが湧いてくるんだ、と感じました。タカムラはいつも自由にさせてくれたので、動きやすかったのもあり、なんでも挑戦できました」そう岩崎さんは振り返る。コーヒーについて知りたいという探求心、好奇心が尽きる事はなく、半年後には焙煎への興味も芽生え始め、ついにヘッドロースターとしての道を歩み始める事となる。     TAKAMURA Coffee Roastersの焙煎 ローリングのスマートロースターで焼くコーヒーの特徴は、綺麗ですっきりとした味わいだと岩崎さんは説明する。甘さというよりも明るい酸が表現でき、深煎りにしても軽くて飲みやすい焼き上がりが特徴だ。 そんなローリングに加えて、岩崎さんの相棒は実はもう一つあった。それがディスカバリーのサンプルロースターだ。焙煎に興味を持ち始めたころ、大型マシンの横でしばらく誰にも使われず、埃をかぶっていたというディスカバリーを見つけた岩崎さん。早速使用許可を得て、毎日営業が終わるとすぐに焙煎に取り掛かった。簡単な使用方法は指導してもらったものの、知識は全くのゼロ。強火で5分ほどで一気に焼き上げてみたり、自分なりに考えた実に様々なやり方をとにかく試していった。 それ以降、その熱心さが認められ、LANDMADEの上野さん、ROKUMEI COFFEEの井田さんなど様々な焙煎士に指導を受ける機会を得てぐんぐんと上達していった岩崎さんは、とうとう社内で焙煎を任されるまでに成長した。 「焙煎を始めて2年ほどになりますが、個人で焙煎所をオープンしたり、一般的な流れでステップアップを経た大多数の人々と比べると、経験年数の割には非常に多くの知識と経験を得られたと思います。それは全て、周りの方々が惜しみなく分け与え、教えてくださったからです。JCRCでの成績も、皆さんのおかげだと思っています」と岩崎さんは言う。 出会うべき人々と、出会うべき時に出会い、助けられ、ここまで引き上げてもらったー岩崎さんの心の中には、そんな深い感謝の念があるのだ。   更に、35㎏という大きな窯で、COEなど少量だけしか出さない豆を焼く技術をとことん磨いた事も当初予測していたよりもはるかに上達した原因の一つだと岩崎さんは振り返る。 「シングルオリジンに関しては30ほどの種類がありますし、COEも量が少なく失敗が許されない。そんな環境で焼き続けた事で、順応性が養われたかなとは思います。」 今では大会に出て、ラッキーやギーセンなど他社の焙煎機をいきなり触ってみても、すんなりと調節し柔軟に対応できる、そんな素地が培われた貴重な経験だ。   これからの岩崎さんとコーヒー...

ROKUMEI COFFEE(奈良): 2018年11月#クラスパートナーロースター

次にご紹介する#クラスパートナーロースターは、奈良県にあるROKUMEI COFFEE。奈良ではまだ小規模なスペシャルティコーヒー文化を盛り上げている店主の井田さんは、1974年以来奈良の移り変わりを見守ってきた喫茶店の2代目として生まれた。奈良で長らく主流だった深煎り・ブレンドの良さを理解した上での柔軟な解釈に基づく焙煎と幅広い品揃えで、家庭にもスペシャルティコーヒーを根付かせることを目指し活躍している。ジャパン コーヒー ロースティング チャンピオンシップ (JCRC)では2018年に優勝を果たした実力派だ。 コーヒーとの歩み 大学生時代にアルバイトとして実家の喫茶店、ロココを手伝い始めた井田さん。接客から調理まで何でもこなし、家業を支えていたものの、当時は自分が将来店を継ぐのだという意識はなかった。しかし店を手伝うにつれ、次第にコーヒーに興味が湧いてきたという。雑誌などで目にした有名店を訪れ、時には遠方のカフェ目当てに旅行の計画を立て、セミナーにも参加するなど、次第にその熱は高まっていった。 会社の経営自体には興味があったという井田さんの心の中に、自分の店を持つという夢が芽生え始めたのもこの頃だ。卒業後そのままロココに入社という形を取り、2010年に大幅なリニューアルを経て自家焙煎をする事が決まったのがきっかけで、井田さんは焙煎の世界に足を踏み入れた。 井田さんが初めての焙煎機として選んだのはフジローヤルの3KG、半熱風式。もう使っていない今も店舗に置いてある、思い入れのあるマシンだ。当時セミナーも数多く開催していた富士珈機が一番相談をしやすく、マシンの使いやすさと手ごろな価格設定も決め手の一つだった。そうして焙煎に真剣に取り組むにつれ、更に高みを目指したいという気持ちが生まれる。「ロココは駅前にあるので、人の流れに助けられる部分もあります。でもそうではなくて、郊外で、わざわざ豆を買いに来てもらうような場所で挑戦したい、そう思うようになり、焙煎所にできる物件を探し始めました」と井田さんは振り返る。ROKUMEI COFFEE誕生まであと3年、2014年の出来事だ。 「自分の求める味」 焙煎スタイルは、神戸の自家焙煎珈琲店、樽珈屋で教えてもらった焙煎のイロハや、富士珈機で受けたトレーニングを基に組み立てた。教えてもらった通りにやれば、大きく失敗することもない。しかし、その先に進む事ができなかったと話す井田さん。更には、人々の感想や意見のひとつひとつを過度に気にするようになり、その影響を受け軸がぶれてしまったという。 その頃奈良の喫茶店はほとんどが小規模で、自家焙煎や、スペシャルティコーヒーを取り扱う所はまだ少なかった。自家焙煎を始めたばかりの頃のロココのコーヒーも、当時主流だった深煎り。しかし次第に同年代のロースターなどと関わることが増え、自主的に集まり勉強会を開催するなど互いの意見を交換するにつれ、ただ今まで通りにするわけではない、「自分たちが作りたいコーヒー」の本質が固まってきたと井田さんは話す。自分が大切にしているものがはっきりしてくるにつれ、焙煎も安定してきた。 2013年、縁があり出場したJCRCで決勝に残ったのをきっかけに、当初は3、4人で行っていた勉強会にもどんどん人が増え、大会に向けての勉強もするようになった。大会に出場した事で、他の人の考え方や新たな意見を知ることができたのは大きな収穫だ。カッピングスコアや評判の良さに自信もつき、自分の判断だけでなく客観的に評価されるという貴重な体験も経て、自分のコーヒーはもっと美味しくなるのでは、そんな予感がした、と井田さんは話す。2016年には3位に入賞し、2017年の店舗オープンを経て参加した2018年には見事優勝を果たした。大会での経験や審査員としての経験を通して、自分の求める味もより明確になっていったという。 ROKUMEI COFFEEのコーヒー ROKUMEI COFFEEオープンから1年が経ち、豆の売上も増えてきた。家庭でもスペシャルティコーヒーを楽しんでもらいたい、そんな目標を掲げ、長期戦を覚悟で進んできたが、順調にスペシャルティコーヒーを好む人が増えてきていると感じている。 豆の売上が伸びるにつれ、焙煎機のキャパシティに限界を感じ、次に採用したのが現在使用しているローリングのスマートロースターだ。フレーバーの特徴が強く出せるプロバットやフジローヤルと比べると、優しい焼き上がりになるという。「ローリングの良さはクリーンさと、綺麗に味を作れる所です。操作性にも優れているし、豆売りを伸ばしていきたいと考えると、フレーバーのパンチよりも甘さや綺麗さを出せる焙煎機の方が、家庭でも飲んでもらえる豆にできるかな、自分たちが作っていきたいものが作れるんじゃないかな、と思いました」そう井田さんは説明する。 ワークショップを開催したり、深煎りに慣れ親しんでいる地元の人々のために深めに焙煎した豆も用意し、それを買ってもらいながら浅煎りの試飲を勧めたりするなど、スペシャルティコーヒーの紹介方法にも工夫を凝らしているROKUMEI COFFEE。「深煎りには深煎りの良さがありますが、すでに世の中にたくさんあるものを作るだけでは、自分たちのモチベーションにつながらない。焙煎している自分たちがおいしいと思うものをもっと広めたいんです。」そう話す井田さんは、深煎りを否定しているわけではなく、自分たちらしさや、自分たちだからできることの枠をしっかり保っておきたいと考えている。 豆の買い付けは主に商社を通しているが、去年からブラジル、コスタリカやニカラグアなどに自ら訪れ、現地で選んだものを商社を通して買うという方法を取り始めた。「こんな所で作ってるんや、というのをまず自分の目で見る事ができたのと、中米に行った時には環境の違いに衝撃を受けました。ニカラグアは今年の減産で農園の人が苦労している話なども聞かせていただいて、改めてコーヒーというのはすごく手がかかっているものなんだ、と思うにつれ、もっと日本の人にも飲んでもらいたい、無駄にしたらあかんな、と思いました」と井田さんは旅を振り返った。 「自分が飲むことによって、地球の裏側の農園の人々の役に立っている、と思って選んでもらうというか、そういう観点でもスペシャルティコーヒーを選んでもらえたら、と思っています」そう話す井田さんが丁寧に選んだコーヒー豆は、それにまつわる背景やストーリーも大きな魅力の一つだ。   ROKUMEI COFFEEのこれから 今年はCOE審査のオブザーバーとして初めてのエルサルバドル訪問も果たし、自分の目で見て選ぶ楽しさや、産地の人々との新たな出会いなど、自ら足を運ぶ事の大切さを改めて感じる機会もあった。自分の経営する農園にとどまらず、コミュニティや地域全体のコーヒーをより世界に広めたいという思いを持ち日本を訪れていた人々にも出会い、農家やコーヒー生産に関わる人々のストーリーを消費者にもっと伝えたい、そんな思いがより強まっているという。 日本でもスペシャルティコーヒーへの関心は非常に高まっている。しかし生産地や農園に関する踏み込んだ情報となると、興味を持つ人はまだ少ない。自分が大切だと感じている事が収益につながらない時、ビジネスのバランスのとり方の難しさを感じる、そう井田さんは話す。「バリスタの待遇も上げたい。今後社会が人手不足に陥っていく中で、バリスタが職業として選ばれるにはやっぱりある程度の給与も必要です。ありがたいことに、産地についての情報発信などの活動にはスタッフも皆共感してくれています。けれど収益との問題を考えるとなかなか難しいのが現状。利益のために人通りの多い場所ばかりに店を出すことも考えられますが、それだからお客様が来るというのも、スタッフのモチベーションにつながるかと言うとまた違う問題です。」   今後は奈良市内で店舗を増やしていき、それぞれの店舗を豆販売専門、コーヒースタンドなど立地に合わせて展開していこうと考えている。地域人口がどんどん減っている事を考慮すれば、通販への対応や海外展開も必至だ。多くの地方都市に共通するであろう問題は、個人の力だけでは何ともならない要素も多い。そんな中、理念を失わず力強く成長しているROKUMEI COFFEEは、ビジネスモデル・技術等今後様々な形で成熟・発展していくであろう日本のスペシャルティコーヒー界にとって欠かせないロールモデルとして、頼もしい姿を見せ続けてくれるに違いない。    

GLITCH COFFEE & ROASTERS (東京):2018年10月#クラスパートナーロースター

今回の#クラスパートナーロースターは、東京・神保町のGLITCH COFFEE & ROASTERS。店主の鈴木さんは、今ではバリスタの登竜門の代表格であるPaul Bassett の初期メンバーとして経験を積んだ、確かな技術の持ち主。実際にバセット氏の指導を受け大いに活躍した後独立に至り、国内外に多くのファンを持つトップロースターの一つにまで成長した。 輝かしい経歴を持つ鈴木さんだが、その成功の鍵はどこにあったのか。お話を伺ううちに、これまでの歩みと、あらゆる環境をポジティブに変換し、チャンスを作り出していく、そんな鈴木さんの強み、そして人間的魅力が見えてきた。   コーヒーが仕事になるまで   元々は自社製品の営業・修理を行うサラリーマンだった鈴木さん。順調に仕事をこなしていたが、企業に勤めるという働き方が自分には合っていない、そう感じていた。自分のやりたい事は何だろうー陶芸、シルバージュエリー製作、バイクや車と、興味のある事は全て一度やってみようと決め、とにかく挑戦してみる事に。外回りが終われば比較的自由に時間が使えた環境を活かし、気になる雑貨店があれば通っては仕入れについて質問し、バイクや車の修理販売を行う店で無償で働いてみたこともあるという。   そうして4年ほどが経ったが、これだ、というものに出会えなかった鈴木さん。そんなある日、訪ねてきた友人に、自作のマグにコーヒーを入れて出してみた。 「するとみんながおいしい、と言ってくれたんです。その時にすごく満足感がありました。その時に、何かを渡してありがとう、おいしい、また作って、と言われる仕事って実はあんまりないんじゃないかな、と気が付いたんです」   コーヒーの周りには、そんな幸せな関係がある。それからバリスタという職業や、抽出方法や器具にもたくさんの種類がある事を学んだ鈴木さんは、生来の凝り性も手伝って、すぐにコーヒーの世界にのめり込んでいった。カフェ経営を具体的に考えれば考えるほど、自分のこだわりやライフスタイルを自由に表現できるカフェという業態の可能性にどんどん惹かれていった鈴木さん。コーヒーの世界に没頭すべく、退職を決意した。     コーヒーの世界に飛び込んでから独立まで   飲食業の経験が全くなかった鈴木さんは、まずは現場での経験を積むことに。当時メディア露出も多かったバリスタが在籍するカフェ・レストラン、バールデルソーレの扉をたたいた。鈴木さんはそこで1年間バリスタとキッチンスタッフを兼任し、基礎を叩き込まれた。「見習いの生活は厳しく、1日で辞める人もたくさんいた位です。でも、一流のシェフがいて、トップクラスのバリスタがいて。学ぶ事がすごくたくさんあって、それがあるから今があると思っています」と鈴木さんは当時を振り返る。しかし激務についに体が悲鳴を上げ、医師から長期自宅療養を命じられる事態に。働き続ける事が不可能となり、栃木の実家でしばらく療養生活を送った。   体調も落ち着いたころ、次のステップではもっとコーヒーについて学びたい、鈴木さんはそう考えていた。以前の店でエスプレッソやラテについては詳しくなったが、焙煎や産地による味の違い、ブレンドの意義など、コーヒーそのものについての知識はまだ足りないと感じていたからだ。そこで鈴木さんは次の勤め先として豆販売大手のキャメル珈琲を選び、入社してからはとにかく貪欲に知識を吸収した。業務以上のものを追い求める鈴木さんを、周囲も次第におもしろがってくれるようになり、特別に焙煎工場に連れて行ってくれたり、カッピングをして厳しく味覚をテストしてくれるなど、様々な形でサポートを与えてくれた。   順調に経験と知識を磨いていた鈴木さんの元に、ある日バリスタ世界チャンピオンのポール・バセットが日本で店舗を立ち上げるという情報が舞い込んできた。バセット氏が直接プロデュースすると聞き、自らのスキルをよりブラッシュアップすべく、鈴木さんは再び転職を決めた。 銀座店では40人ほどを採用するなど、かなりの規模でスタートしたPaul Bassett。その中で鈴木さんは瞬く間にトップバリスタ、チーフロースター、店長としてチームを支える立場に。独立した今でも、クオリティチェックや新事業立ち上げのミーティングに参加するなど、ブランドに欠かせない存在として活躍している。   13年間ほどの在籍期間中には、ラテアートや抽出方法など日本のコーヒーカルチャーの変遷を第一線で感じ、更にレネゲード、東京産機工業、フジローヤル、プロバットと様々な焙煎機を経験し焙煎の腕を磨いた。こうして長らく活躍してきた鈴木さんだが、店で求められるもの以上に自分で実現したい焙煎への思いが高じ、独立を決意する。     GLITCH COFFEE&ROASTERSのコーヒー   店を構える場所として選んだのは、神保町。皇居にほど近く、歴史ある街の空気が気に入った。3代目、4代目として伝統を背負う若い店主達や、地元に根付いた喫茶店など、流行りに左右されないエリアに自分も腰を据え、挑戦したいと感じたという。   オープン当初はエスプレッソを前面に押し出さないスタイルが業界内で話題となり、他店のバリスタなども数多く訪れた。 「産地の良さとか、自分が今まで体験したものの中でも、こんなコーヒーがあるんだ、という感動やハンドドリップの良さを表現したかったんです。例えば最初からブラジルとコロンビアのブレンドのラテを飲むと、ブラジルはどんな味がするのか、それにミルクを合わせるとどうなるのか、と順を追って理解することができませんよね。それが分かる事でより楽しんでいただけるような出し方を心がけています。」   GLITCH COFFEE&ROASTERSのコーヒーは基本的に浅煎り。前職で自主的に試行錯誤した経験から、自分が求める味わいはオープン当初からすでにある程度固まっていた。しかし振り返ってみれば、ただ浅煎りと言っても、自分の中でこれがいい、という浅煎りはまだ確立していなかったと鈴木さんは話す。技術が洗練されるにつれ、生豆の質が与える影響の大きさも改めて感じ、今では買い付けに同行するなど、自らが納得できる商品づくりを追求している。   使用している焙煎機は新型のプロバット。ビンテージよりもずっと細かい調整が可能で、一年を通した環境の変化にきめ細かく対応できるのが魅力だという。様々な焙煎機に触れた豊富な経験をもとに、自分の味を最も良く表現できる焙煎機として愛用している。   鈴木さんのこれから   店内を見渡せば、観光客など、日本以外のバックグラウンドを持つゲストが半分ほどを占める日もあるGLITCH COFFEE&ROASTERS。旅行の行き先の一つとして訪れてくれる人もいるという。日本のロースターのプレゼンスの高まりを嬉しく思うと同時に、将来への焦りを感じることもある、と鈴木さんは話す。    「日本のコーヒーが美味しいね、という流れができてきていると思います。でも、もっと外へ出て発信していかないと、次第にしぼんでいってしまうかも。TRUNK...

HOOP (大阪):2018年9月 #クラスパートナーロースター

次にご紹介する#クラスパートナーロースターは大阪に位置するHOOP。彼らは日本ではまだ珍しいシェアロースター、HOMEを運営しており、昨年からKurasuも彼らのシェアロースターに参加している(Kurasuブログ記事「KURASU JOINS "HOME". HOOPが手がける新しいスタイルのシェアロースター」参照)。 オーストラリアやアメリカ東海岸ではより一般的に認知されているシェアロースター。HOOPも、そんなコミュニティでスキルをシェアし、共に、そして効率的に成長するという文化に影響を受けオープンしたロースターの一つだが、彼ら自身も焙煎を行っている点でよりユニークな存在だ。訪れるたびに暖かい笑顔で迎えてくれるHOOPの皆さま。今回はそんなHOOPのロースター、山田さんに改めてお話を伺った。 コーヒーとの出会い 山田さんがコーヒーの世界に飛び込んだのは大学1年生の時。スターバックスでのアルバイトを始めたのがきっかけだ。「甘いコーヒーしか飲めなかったんです、シロップの入ったラテとか。でもコーヒーについて勉強するにつれてすごく好きになりました」と山田さんは当時を振り返る。決定的な体験は社内での勉強会。異なる種類のコーヒー豆の違いを知ろうという目的で開催されたその勉強会で、スマトラとグアテマラを飲み比べた山田さんは、その味の違いに非常に驚き、同時に強く興味を惹かれたという。生産地による味わいの違いを初めて意識した瞬間だ。 この経験は卒業後も山田さんの心に残り、同じく生産地によって味わいが豊かに異なるワインへの興味につながった。現在のTAKAMURA Wine & Coffee Roastersに就職した山田さんはワイン部門で1年半ほど勤務。しかしコーヒーへの思いは強く、社会人として再びスターバックスへ戻る事となる。バリスタとして腕を磨き4年ほど経った頃、TAKAMURAでの先輩社員から、コーヒー部門の立ち上げに伴い責任者を探していると声が掛かった。ちょうどサードウェーブがトレンドとなり始めた頃、ワインの買い付けなどでカリフォルニアなどによく訪れていたTAKAMURAの代表が現地のコーヒーカルチャーに影響を受け、日本でも立ち上げたいと考えたのがきっかけだ。 山田さんがアメリカを訪れた時にもその文化の違いには驚いたという。「とにかくコーヒーを飲んでいる人が多い。日常に溶け込んでいるんですね。スタンプタウンなど、1杯4ドル以上するのが当たり前のカフェに人々が行列を作っている、まずそれに驚きました。テロワールを反映した、こだわりがこめられた浅煎りのコーヒーを、日常的に飲む人がこんなにもたくさんいるんだ、と衝撃を受けました」と山田さんは振り返る。 オファーを受けTAKAMURAに戻ってからは、一人で一から焙煎を学び、コーヒー関連のマシン類を選定し、エスプレッソの練習をし…全部まっさらな所から一人で部門を育てていった山田さん。「今考えるとすごい状況ですね」と笑う。大阪では他に使っている人のいなかったローリングスマートロースターを使いこなし、スタッフの採用も行うなどTAKAMURAのコーヒー部門立ち上げに大いに貢献した。その後山田さんは小川さん、後藤さんと出会い、HOOPが誕生することになる。   HOOPが裾野を広げる日本の焙煎 前回の記事でもご紹介した通り、HOOPは「Co Imagine ともに想像しよう」をテーマに、異なる文化やバックグラウンドを持つ人々が出会う場を提供し、そこで生まれる物語を通して様々な分野における人々の意識や感性を育むことを目的にしている企業だ。2017年7月のオープンから、1年が経った。オープン当初に予想していたよりも、ずっと個人のユーザーが多いと山田さんは話す。「プロバットを気軽に使えるという機会はなかなかないので、すごく喜んでもらえています。お仕事としてやっていなくても、コーヒーに詳しい人、コーヒーが大好きだという人がこんなにたくさんいるんだという事が分かりました」 自らカフェやロースターを経営していなくとも、気軽に訪れ本格的な焙煎機を使えるのが魅力のHOOP。この記事を読んでくださっている方々の中にも、ぜひ試してみたいと思っている方も多いのではないだろうか。実際に訪れた場合の流れについて伺ってみた。 「まずはコーヒーの違いを知ってもらうために、必ずカッピングしてから始めていただきます」と山田さんは説明する。味わいの捉え方については、カッピングシートを用いて味の要素を分解しながら教えてくれる。次に焙煎機の使い方と簡単な焙煎理論を指導してもらうと、いよいよ実践ーこれが初回の流れだという。もちろん1回だけでは完璧に使いこなせるようにはなかなかならないものだが、本格的な焙煎を自分の手で一通り体験できる。 浅煎りから深煎りまで、人により必要なアドバイスは大きく異なり、時には山田さんが焙煎したことのない種類の生豆を持ち込む人もいる。「すごく緊張しますね。プロファイルをたくさん考えたり。それもとてもいい勉強になります」と山田さんは話す。一方的に指導するだけでなく、互いから学び合うHOOPのコンセプトがよく表れているエピソードだ。 「バリスタが自分の抽出するコーヒーを焙煎しに来るという事がまだほとんどなく、そういった需要も今後増えていくといいなと思っています」と山田さん。HOOPの目的の一つに、コーヒーの生産・加工プロセスに関わる人々の物語、文化を共有し、その物語を持ったコーヒーを淹れる人を増やすことで物語を広げていく、というものがある。自分の好きな物を形にし、その物語を伝える手段を提供してくれるHOOP。ここをスタート地点として、日本の焙煎の裾野は今後も大きく広がっていくだろう。   HOOPのコーヒーとは HOOPが生豆を選ぶ時の基準は、まずは自分たちが美味しいと思ったもの。さらに環境問題なり経済状況なり、それぞれが社会課題に対して何かしらの解決に寄与しているものを選ぶ。例えば現在扱っているコロンビアはフェアトレード認証されているもの、エチオピアはオーガニックのものなど。自分たちが買い付け焙煎する事で少しでも社会や地球が良くなるようなサイクルを作ろうとしているのだ。 「焙煎で意識している部分は二つあって、一つは生産地個性を最大限に生かすこと、二つ目は飲み物として美味しいコーヒーをつくることです。甘くて口当たりがよく、気がついたらカップが空になっている、毎日飲みたくなるコーヒーを目指しています。」山田さんがそう表現するHOOPの焙煎は、誰もを暖かく迎えるような、まさにHOOPらしい味わいだ。 産地ごとの特徴はしばしば他の食べ物や飲み物の味わいで表現される。彼らはそれを人々の性格とつなげ、優しさや華やかさなどといった特徴に合わせてオーダーメイドでその人を表現する味わいのブレンドを提供するサービスも行っている。イメージだけでブレンドを作るのではなく、コーヒーが持つバラエティあふれる香りや味わいに具体的にリンクさせ、そして産地ごとに大きく異なる特徴がある事の面白さをよりパーソナルに学べる楽しいサービスだ。   HOOPのこれから 「自分たちが何かを仕掛けたり発信したりするよりは、何かと何かをかけ合わせるような、媒体のような存在になりたい」と山田さんは話す。HOOPでは定期的にイベントを主催し、生産地に関する説明会やカッピングを行い、ゲストスピーカーを招く事もある。自分たちが強い個性をもったブランドとして成長したいというよりは、様々な形で橋渡しをし、あちこちで化学反応を引き起こすような存在になりたいのだという。「プラットフォームを作るという意識でやっています。主体は自分たちだけでなく、他の人たちも、皆で一緒に、という感覚です」今後はHOOPが注目している生産地であるキューバとの関わりをより強くしていくとともに、最終的には自分たちでコーヒーの生産にも関わっていく予定だ。 新しいコミュニティを日本で立ち上げたいー数年前、夢に溢れた彼らの心に強く印象を残した東海岸での光景。皆が集い、情熱を分かち合い互いに切磋琢磨する場。人と人がつながり、新しい可能性が生まれる場所。大阪のコーヒーシーンの課題でもある情報交換やスペシャルティコーヒー文化全体として大きなコミュニティを作る感覚を、HOOPはそのオープンな姿勢で楽しみながらクリアしていく。

SUIREN+ Coffee Roaster(広島):2018年8月#クラスパートナーロースター

次にご紹介する#クラスパートナーロースターは、広島のSUIREN+ Coffee Roaster。店主の安藤さんにお話を伺った。 コーヒーとの出会い 安藤さんは、SUIREN+ Coffee Roaster が店を構える広島県生まれ。高校卒業後は大阪の調理師専門学校で料理全般、洋菓子製造を学び、その後もJAや飲食店など、食に関わる業界で経験を積んだ。 いつかは自分でも店を経営したい、そんな夢を抱きながら過ごしていたある時、カフェ経営をしてみないかという声が掛かる。大きなチャンスをつかんだ安藤さんは、オープンまでの2年間、飲食店経営に必要なスキルを身に着けるべく、ある喫茶店で修業を始めた。その喫茶店が偶然自家焙煎を行う店だったことが、安藤さんがコーヒーと出会うきっかけとなる。 しかし、安藤さんがコーヒーの焙煎に興味を持ったのはしばらく後の事だ。カフェのオーナーになるという大きなプレッシャーの中、接客技術や喫茶メニューの調理、考案、経理など様々な実務をすべて学ぼうと意気込んでいた安藤さん。限られた時間の中で身に着けなければならないことはあまりにも多く、まずはそれをこなしたいと感じたのは当然だろう。 「自分しかやる人がいないなら、できるようになるしかない」 しかしある日、事情により店での焙煎を一手に任されることとなり、突然コーヒーと向き合わざるを得ない状況に飛び込むことになったという安藤さん。 当時は特にコーヒーが好きだという訳でもなく、状況の理不尽さに不満もあったが、とにかく自分がやらねばコーヒーが出せない。否が応でも焙煎を始めるほかなかった。 「自分で焼いてみて、失敗だというのは分かっていても、原因も対策も分からない。自分が飲んで美味しいものが分からないという苛立ちがありました」と安藤さんは当時の苦労を振り返る。失敗したものでも店に出さなければいけない事に対する罪悪感、それでよしとされてしまう環境への疑問、そして何より自分の手で作っているものを思うように仕上げられない事へのフラストレーション。責任感とプライドをもって食に関わってきた安藤さんにとって、それは何よりも辛い事だった。 しかしそこで妥協し諦める安藤さんではない。自分しかやる人がいないなら、できるようになるしかない。ちゃんとしたものを出さなければ、その一心で試行錯誤を繰り返し、焙煎の技術を着々と磨いていった。「興味を持たざるを得なかったんです」と安藤さんは話す。しかし安藤さんの食への思い、そして「自分にできる事は自分で」という信念が逆境の中で道を開いた事は明らかだろう。   「すいれん」から「SUIREN+」へ その後焙煎技術にも自信がつき、無事オープンしたカフェ「すいれん」にも焙煎機を導入。自家焙煎のコーヒーを提供した。その後「すいれんのマスター」として愛され4年半、訪れる人々から「コーヒーが美味しいね」という言葉も頻繁に受けるようになった。 「コーヒーも、自分で作って美味しいと思ってもらえることがあるんだ、そう気づいてからは、焙煎は自分でやりたいという思いがより強くなりました」と安藤さんは振り返る。経営体制が変わり店を畳んだ後も、安藤さんのコーヒーを愛する人々の要望に応え、自宅に焙煎機を置き個人での豆販売を始める事になる。 広島県内はもちろん、なんと岡山まで車に乗って自ら配達を行っていた安藤さんだが、その努力が未来を切り開くことになる。配達先で声をかけられ呼ばれて行ったイベントで、思いがけない再会があったのだ。イベントスペースの隣にある建物のオーナーが、なんと安藤さんが幼い頃に近くに住んでいた夫妻で、安藤さんの事を覚えていたのだ。安藤さんがコーヒー豆を売っていて、店舗を探している事を耳にした夫妻は、これからここにパン屋さんやコーヒー屋さんを出したいと思っている、良かったら出店しないか、と声をかけてくれた。SUIREN+Coffee Roasterの誕生だ。 「まだないものに挑戦できる、このエリアだからこそのチャンス」 SUIREN+を訪れる人の多くが、地元の人々だ。エリアに受け入れてもらう過程でまず壁になったのが、価格設定だった。Qグレーダーを取得しスペシャルティコーヒーに特化する前の安藤さんのコーヒーは500円程度だったが、SUIREN+オープン後、提示したのは700円から800円。なぜそんなに高いのか、何が違うのか、寄せられる質問に、安藤さんは正直に向き合った。スペシャルティコーヒーの中でもグレードの高いものを使うようにした事、それを含めこの値段でなければ運営ができないという事―地域で新しいことを始めるにあたって、ごまかしや妥協は選びたくなかった。 「人でも物でも、悪いところを見つけるのは簡単。でも、いいところを見つけるのは難しいですよね。自分がいいと思うものを分かってもらえるように工夫しています」 深煎りが定着している上に、何かを選ぶ時に冒険する人が少ないエリアだと感じると、安藤さんは話す。しかしそれも、選ぶのが楽しくなるような豊富なラインナップやサンプルの提供、会話を通して次第に変化してきた。一度買ってもらえれば、「高くても美味しいね」、「この間のコーヒー美味しかったよ」と、ポジティブな感想が次々に寄せられるようになったのだ。 店頭に並ぶのは8-15種類。スタッフによるしっかりとした説明に加え、商品の隣には味わいを想像しやすいような説明ラベルを置いている。地域のパイオニアとして、試練も多いが、それも大きなチャンスとして捉えている。 焙煎への思い 安藤さんが愛用する焙煎機はギーセン。使いやすさに加え、当時はまだ日本でギーセンを使っているロースターがほとんどいなかった、そのユニークなチャンスに心惹かれ、採用した。 それまで使用していたフジローヤルから移行すると、やり方をあまり変えずとも納得のいくコーヒーが焼けるようになってきた。「焙煎機の特性を知り、焙煎の知識と技術を身に着けスキルアップすることで、もっと美味しいコーヒーが焼ける、そう考えると俄然楽しくなってきたんです」そう語る安藤さん。毎回生豆を自らサンプルし選定、美味しいと思うものを自分で確認してから焙煎に取り掛かる。 その後、様々な競技会に出場するにつれ、コーヒーというものを総合的に理解するためには、やはり焙煎という工程をより深く理解し、他人にも伝えられるようにならなければという思いも湧いてきた。ロースターチャンピオンシップは、自分の実力がどの程度の位置にあるのか知る機会でもあり、多くの人と出会い、彼ら彼女らから焙煎方法はもちろん様々な事を学んだ貴重な体験だ。 決勝戦に残る程の実力を身に着けてからも、学ぶ事はまだまだ多いと安藤さんは言う。大会は大会の勝ち方があり、それが実際に店頭で個人と向き合ったときの「美味しいコーヒー」とはまた違うという事も理解した。JCRC(ジャパンコーヒーロースティングチャンピオンシップ)ファイナリストとしての肩書を背負う今は、お客様に対しての自分の言葉にも説得力が出たと同時に、責任も出てきたと感じている。   産地との関わり 年に6-7回は産地に足を運ぶという安藤さん。様々な国を訪れ、Qグレーダーの資格を持つ安藤さんにある時ラオスから声がかかる。ダイレクトトレードに興味を持っていた安藤さんはすぐに渡航を決めた。到着して初めて見せられた生豆は、不良も多く混ざる、一見質の低いもの。ダメで元々と、いい豆をピックしフライパンで焼いてみると意外に味が良く、一気に興味を惹かれたという。まだパーチメントが付いたティピカもあり、剥いてみれば衝撃を受けるほど美味しいものも。「もうエチオピアといっていいほどのレベルで、これができるならまさに原石だと感じました。頑張ってシステムを整えて質を上げていけば、トップスペシャルティも夢ではない」当時の興奮をそう振り返る安藤さん。その足でラオスのコーヒー協会に向かい、展示会などにも足を運んだ。 何もでき上っていない、先がどうなるかわからない現状。自分で携わっていきたい、と思わせてくれる空気感に、安藤さんはすっかり魅了された。 現在では、ラオスでQグレーダーを育てる事を目標に、積極的に働きかけている。 ほとんどの人がエチオピアやケニア、ゲイシャ種などに注目する中、ラオスに関わることは挑戦し甲斐のある大きなチャンスだと感じている。 「動けば必ず何かいい事がおきる、そう思うタイプです」 各地のイベントに頻繁に参加し、台湾やラオスなど国外でも活躍の場を広げるSUIREN+ Coffee Roaster。そのフットワークの軽さの秘訣は何なのか、訪ねてみるとこんな答えが返ってきた。 「店はずっとこの場所でやっていきたい、でも自分はもっともっと色んな場所で経験を積んで、成長していかなければならない。自分の仕事は、変わらず地味にやっているよりも、楽しそうにやっているほうがお客さんもここへ来たくなると思うんです。動けば動くほど、声もかかるようになるし次につながる。動く意味はゼロじゃない。動けば必ず何かいい事が起きる、そう思うタイプです」 60歳、70歳になっても変わらず自分の店でコーヒーを淹れているマスター、そんな姿に憧れる気持ちもある。店頭に立つ時間が減ると、訪れてくださる人々に申し訳ないと思う気持ちは強い。しかし今は動く時期であると感じている。いいものはどんどん変わっていき、しかしその核にあるものは形を変えても残る。地域のお客様にこれからも「おいしいコーヒー」をお届けできるよう、日々精進あるのみ。そんな信念のもと、必要とされる場所へ、呼ばれる方へ、安藤さんはこれからもどんどん足を運ぶ。

ONIBUS COFFEE (東京):2018年7月 #クラスパートナーロースター

次回の#クラスパートナーロースターは、東京のONIBUS COFFEE。奥沢や中目黒、その他数店舗を展開し、都内はもちろん、京都のカフェなどにも幅広くコーヒー豆を提供している、東京を代表する人気ロースターの一つだ。Kurasuでは過去にサブスクリプションをはじめ様々な機会で交流をさせていただいている。代表の坂尾さんに、改めてお話を伺った。   コーヒーとの出会い 「大工の父が働く現場では10時と3時に休憩があって、みんな毎回缶コーヒー。でも、それぞれにこだわりがあるんです。誰はどこの、とか、必ず決まっていて。それを面白いなと思ったのが、一番初めのコーヒーの記憶です。」 大工の父を持つ坂尾さんにとって、現場での風景は身近なものだった。休憩時間の度に、大人たちが各々贔屓する缶コーヒーを選び美味しそうに飲む様子-「コーヒー」という一つの飲み物の中にも、人によって好みがある事を知り、コーヒーへの興味が生まれたきっかけだ。卒業後就職したゼネコンでも、やはり皆が缶コーヒーを飲んでいたと話す坂尾さん。その光景は、彼の目にはもはやひとつのコーヒー文化として映ったのではないだろうか。 その後も休みの日にはカフェ巡りをするなど、コーヒーへの興味を募らせていた坂尾さん。仕事を辞め、バックパックを背負い日本を飛び出した時にも、出迎えてくれたのはコーヒーだった。シドニーではMeccaを訪れ、砂糖を入れなくても美味しいコーヒー、プロのバリスタがクリーミーなラテを作る様子、そしてそのフレンドリーさが強く印象に残った。 次に訪れた東南アジアでも様々な人に出会い、色々な風景を目にするうちに、気が付いた事がある。どこへ行こうかと迷えばカフェに行けば、そこに集う人々が必ずおすすめの場所を教えてくれたり、自分の経験をシェアしてくれるのだ。暖かい地元の人々、様々な顔ぶれの旅行者たち。にぎやかなバックグラウンドは活発に、健やかにコミュニティを作っていた。バックパッカーをしながら、この先どうしようか、自分は何がしたいのか―そんな将来への不安がよぎる心に、カフェという集いの場はまぶしくうつった。 ONIBUS COFFEEができるまで 坂尾さんにとって、自営業という働き方は身近だった。自分も父と同じく自分の力でやって行きたいという気持ちが強かったことに加え、バックパッカーを経て、その思いはより強まったのだという。人が集まってくる場所、どうせなら美味しいコーヒーが出て、コミュニティーが育つような場所を作りたい。そう思ったのがONIBUS COFFEE誕生のきっかけだ。 その当時コーヒーの修行と言えば必ず名前が挙がったのがポールバセット。バリスタやロースターのいわば登竜門のような存在だ。そこで修業を始めた坂尾さんが目まぐるしいスピードでプロとしての知識と技術を身に着け、2年半ほど経った頃に、東日本大震災が起こった。すぐにボランティアに向かおうとしたが、企業に所属する身はなかなか自由にはならなかった。その時感じたもどかしさ、そして後に参加したボランティアを通して人生について改めて考えるきっかけを得たことが、坂尾さんを独立に駆り立てた最後の一押しだったと言える。   自由が丘のにぎやかさから15分ほど離れ、閑静な住宅地を抜けると、風景がぱっと開け、素朴な線路と小ぢんまりとした奥沢の駅がある。その線路と駅をのぞむ奥沢店が、ONIBUS COFFEEのスタート地点だ。板張りの壁やグリーンが暖かい雰囲気の店内。道の向かいの線路沿いには薄い水色のペンキを塗ったベンチがある。訪れる人々は各々好きなところに腰かけ、ゆっくりとした時間と会話をコーヒーと共に楽しむのだ。 今回インタビューのために伺ったのは、あまりにも有名な2つ目の店舗、中目黒店だ。こちらも駅から歩いて数分だが、少し奥まったところ、小さな公園の隣に建っている。日本家屋を改装した店舗には、奥沢店とはまた少し違った素朴さや暖かさが感じられる。コーヒースタンドといったようないでたちだが、緑に囲まれたシーティングエリアや2階のスペースなども充実している。バリスタ達が和気あいあいと働く姿や焙煎機を間近に見ながら、まるで友人の家の庭で過ごしているような気持ちになれる場所だ。 中目黒店がオープンした当初は、周りにはカフェは2店舗ほどしかなく、やや静かな印象だったエリアだが、ONIBUS COFFEEを追うように今ではどんどんと新しい店がさまざまなジャンルでビジネスを展開し、賑わいを見せている。自分の力で、目が届く範囲で、納得のいくコーヒーを出す。そしてそこに人々が集い、コミュニティとなる―坂尾さんの描いた夢は、現実となった。 ONIBUS COFFEEの焙煎 自分の店を持つなら自家焙煎を出す、そう思い、限られた予算の中で初めに購入したのが、フジローヤル。ポールバセットで磨いた腕を活かし、早速焙煎を始めた。影響を受けたのはStumptown、Intelligentsia CoffeeやTim Wendelboe、そしてMarket Lane、MeccaにSingle O―彼らの表現する鮮やかで透明感のある味わいと華やかなアロマは日本の焙煎にはない魅力があった。試行錯誤を重ね、焙煎機もディードリッヒに変えて、ようやく自分がイメージしている味に大きく近づけたと坂尾さんは話す。 毎日行うカッピングでは、味がしっかり出るものだけを厳しく選んで店頭に出す。「最近では、厳しく見すぎて美味しいなと思うものがない時もあります。妥協をしないで突き詰めていく、これをしなければ、すぐに雑味となって現れます」と話す坂尾さんは、同業者のカッピングにも頻繁に顔を出し、目まぐるしく進化する業界の感覚を時にはGoogle翻訳も駆使して自らをアップデートしている。品質のスタンダードを常に高く保つ秘訣だ。     コーヒー豆の選び方 ONIBUS COFFEEで提供しているのは、エスプレッソブレンドとシングルオリジン。現在は3-5種類、良い豆を多く仕入れて年間を通して提供することで、安定した販売形態を保っている。 農園との関わりを重視するのも世界では常識となりつつある―坂尾さんも5年前から農園に足を運んでいる。ダイレクトトレードが目的と言うよりも、誰がどういった環境で作っているのか、その事実を自分の目で見て、帰ってきて伝えるという作業を大事にしているのだという。 農園ではカッピングを行い、実際の購入自体はインポーターを通して行う。それぞれに持ち場があり、自分たちの役割は営業と豆の選定、というスタンスだ。   これからのONIBUS COFFEE 「これからですか?どうしていきましょうね」と、笑う坂尾さん。たった一人で始めたコーヒー屋さんは、今では15人のスタッフと複数の店舗を経営しながら卸売りなどを通して全国に多くのファンを持つロースターに成長した。 定期的に行う社内勉強会で、毎回共有する企業理念があるという。人と人をつなげること、農園、生産者と消費者の関係を向上させること、そして、バリスタの地位向上だ。バリスタを一時的な職業ではなく、10年、15年と、彼らがライフステージの変化を迎えても安心して続けられるような職業にしたい、そう考えているのだ。そのためには常に仕事を生み出していくこと、それと同時に信頼されるサービス・商品のクオリティを保つ事とのバランスをとる事の2つを意識する必要がある。 大きなマーケットに受け入れられるビジネスとしての成功と、クオリティを突き詰める事の成功とでは定義が違うのだと坂尾さんは言う―「マスに売ろうとすると美味しさを突き詰めない方がいい時もあるのかもしれませんが、それはできない。こだわって、美味しいのを作っていこうかなと思っています。」これからも、もっと色々な場所で、変わらず美味しいONIBUS COFFEEに出会うのが楽しみだ。

Mount Coffee (広島):2018年6月 #クラスパートナーロースター

次に紹介する#クラスパートナーロースターは、広島のマウントコーヒー。「のんびりとした風景、穏やかな午後、そんな言葉が似合う街」と店主の山本さんが表現する、庚午北に位置する豆販売専門店だ。 オープンから丸4年を迎えるマウントコーヒーを切り盛りする山本さんは、コーヒー業界で18年の経験を持つ。高校卒業後留学したバンクーバーで初めてスターバックスに出会い、気軽にコーヒーをテイクアウトする文化や店舗数、規模などに衝撃を受ける。実際に日本でもスターバックスでの勤務を経験し、その後も自家焙煎を行うカフェなどを経て広島の人気店、green coffeeにて知識と技術を磨いた。 コーヒー屋、という仕事に心底ほれ込んだ山本さんは、次第に自分の店を持ってやって行きたいと考えるようになり、独立を決め現在に至る。 オープン後は、地元の環境にもスムーズに受け入れられ、「この辺にコーヒー屋さんなかったんだよ」と喜ぶ声もたくさん。平日でも訪れる人の絶えない、活気のある店に成長した。 「八百屋も魚屋も、鮮度のいいものを仕入れて売る、コーヒー豆もそれで十分だという感覚もあります」 店を構える場所として選んだのは、自宅からほど近い、商店街の一角だ。クリーニング店や花屋など、地元の人々の生活を支えるエリアにあることに意味がある、山本さんはそう考える。 「街に出るんじゃなく近くで、豆が切れたらすぐ買える、豆屋はそういうのがいい」と山本さんは話す。野菜を買って、魚を買って、そんな日常の買い物の自然な流れでコーヒー豆も買いに来てほしい。地元に根付いた商売で、美味しいと思って飲んでもらえる毎日のコーヒーを売ればそれで成り立つ、それがマウントコーヒーの立ち位置だ。 その姿勢は、焙煎にもはっきりと表れている。「八百屋も魚屋も、鮮度のいいものを仕入れて売る、コーヒー豆もそれで十分だという感覚もあります」と語る山本さんは、コーヒーの味わいを決めるのはあくまでも豆であり、焙煎機をはじめとした道具でどうにか操作しようとするものではないと考えている。使用している焙煎機は、フジローヤル、半熱風の5㎏。昔から使い続けている、体に馴染んだ焙煎機だ。焙煎を始めた当初は、煙突の付け方一つなどでも味が変わる事に悩まされもしたが、試行錯誤を重ね、自らの手と生豆の自然なバランスを崩さない焙煎にたどり着いたという。「豆がすごく大切で、それを取り出すのが仕事。下手なことをしない限り大丈夫です」と話す山本さんが生み出すコーヒーは、力づくでも、当てずっぽうでもない、熟練の技術と素材を見極める目に支えられ、独特の味わいを持つ。 店頭に並ぶ豆は通常9-10種類。ブレンドが6種類と、シングルオリジンだ。山本さんが初めに取り掛かったのがブレンドを作ること。番号で焙煎度合いを示すシステムを採用し、一目で分かるようにしている。さらにブレンドに使用しているシングルオリジンを個別に販売することで、好みの味を見つけやすいようにしている。豆を買いに来た人々には試飲も提供し、できる限り直接会話をしながら希望に合う豆を提案する。 メニューにはほとんど情報を載せない代わりに、話しかけてもらいやすく、話しかけやすい雰囲気づくりを心掛けているという山本さん。腰を据え、小規模で行うローカルビジネスだからこそ実現できる環境だ。 「日本の深煎りは独特。スペシャルティコーヒーなど様々な文化が取り入れられて進化してきたもの。それを世界に向けて紹介できれば」 今後は焙煎量を増やしていくと共に、アジアの豆をもっと使っていきたい、と山本さんは話す。というのも、スペシャルティコーヒーの豆が売られるときの現在のプロセスにたびたび疑問を抱くことがあったからだ。遠く離れたアフリカや中南米の豆が主流である現在、豆自体の味わいについては曖昧なままに、農園の小さな写真と、標高、近くに湖があるなどの周囲の環境といった断片的な情報だけで判断しなければいけない時。反対に、極端に味にフォーカスし、数値のみが機械的に示されているため、農作物としての実感が得られない時。そんな経験をするたびに、客観的に判断できるデータもありながら、本当に分かるストーリー、農家がやって来たことが分かるコーヒーがあれば、という思いが募っていった。そしてそれを実現するためには、距離が近く、同じアジア人として通じるもののある場所で生み出されたものを扱う方がいいのではないか、と考えるようになったのだ。   今回の定期購買用に提供するのはインドネシア産のコーヒー。同じ豆を、浅煎り・深煎りと2種類の異なる焙煎度合いで紹介する。浅煎りはトマトのような独特の味わいを持ち、インドネシアのキャラクターをよく表現した仕上がり。深煎りは、苦みやコクを一度美味しいと思えると途端に広がっていく深煎りの世界の案内役となれれば、という願いを込めた上での選択だ。 日本にはまず深煎りが浸透し、その上にスペシャルティコーヒーの文化が取り入れられたことで、深煎りもその影響を受け、進化を遂げている。日本から、世界へ向けて発信する今回の機会では、アジアの豆で、今の日本のコーヒー、そしてそのポテンシャルを胸を張って表現したい、そんな想いを抱いている。 地に足のついた、という言葉がぴったりとあてはまるマウントコーヒー。地元の人々の生活を支え、地元の人々に生活を支えられるという満ち足りたサイクルは、日々心地よくそのリズムを保ち、庚午北という地で息づいている。一方で、台湾のコーヒーフェスティバルや東京でのイベントなど、外部の催事にも積極的に参加し、限定のブレンドを出してみたり、新しく出会う人々や物事との関わりに刺激を受けたりと、自ら成長する機会も逃さない。「今はこう考えてます、というのがあっても、また新しい経験をすれば変わっていくんだろうなぁと思います」と穏やかに話す山本さんからは、オーガニックに生きるという事の本当の意味を見せていただいたように思う。

大山崎 COFFEE ROASTERS:2018年5月#クラスパートナーロースター

次回の#クラスパートナーロースターは、大山崎 COFFEE ROASTERS。Kurasuでのワークショップの共同主催や、ENJOY COFFEE TIMEなど様々なイベントでご一緒することも多く、Kurasuオープン当初から親しくお付き合いさせていただいている。コーヒーはもちろん、ロースターを切り盛りする中村ご夫妻の暖かい人柄にはファンも多い。 昨年のロースターインタビューでは、中村ご夫妻が大山崎に移住したきっかけなど、大山崎 COFFEE ROASTERSのはじまりのお話を取材した。(インタビュー・ショートムービーはこちらから) インタビューから1年が経った今年1月、大山崎町内での移転を経てまた新しい姿となった大山崎 COFFEE ROASTERS。現在の様子や、環境・生活スタイルの変化がもたらしたものについて伺った。   新店舗で迎えた新しい年、新しいチャプター 新店舗は、深みのある赤いタイル壁と大きな扉が印象的な建物。インパクトのあるタイル壁はオリジナルのものを活かしており、モダンな雰囲気に改装されているが懐かしさや暖かみも感じられる。フロアに置かれた存在感のある岩や、個性的な素材感の壁など、内装もとびきり魅力的だ。 以前の店舗よりも広く、路面店となった新店舗。2階は居住スペースとして使用している。様子はどうですか?と尋ねると、「思い描いていた以上に素晴らしい!最高だね、と毎日かみしめています」と夫の佳太さんは笑顔でそう答えた。 そもそも、焙煎所と自宅を同じ場所に設けるのが初めからの二人の理想の形だった。最初の店舗では事情によりそれがかなわず、荷物の置き場所が分散したり、生活リズムが不規則になったりと不都合なこともままあったという。根気よくアンテナを張りつづけ、ようやく出会った今回の物件。時間をかけてリノベーションを行い、晴れて夢の住居兼焙煎所が完成した。 移動や時間の制約などのストレスがなくなったことで、常に落ち着いて暮らしながら、仕事にも生活にもしっかりと向き合えるようになった、と語る佳太さん。「きちんとリラックスできるので、集中する時にもぱっと切り替えられるようになりました。今後焙煎を調整したり、焙煎機を大きくするなどの変化はあるだろうとは思いますが、生活のスタイルとしてはこれが完成形だなと感じています」、夫妻はそう話しながら、幸せそうに微笑んだ。   前店舗からバトンがつながった、「皆にとって過ごしやすい場所」 皆が一つの食卓を囲むようなつくりだった前店舗に比べると、かなり広くなった印象が強い新店舗。試飲などで腰掛けるスペースも、壁際のハイスツールや屋外のベンチなど、好みの場所が選べるようになっている。 「小ぢんまり感がなくなりました。お客さん全員が話すのが当たり前だった以前と比べてちょっとさみしい気もします」、そう話すのは妻のまゆみさん。しかし、広くなったことで文字通り「居場所が広がった」とも感じているという。以前は数人が訪れれば店はすぐにいっぱいになり、気を遣ったお客さんが試飲もそこそこに帰ってしまうことも。しかしその狭さが出会いと会話を生んでいた。 比べて新店舗では、人と人との距離に余裕が生まれることで、ゆっくりと時間をかけて選びたい人、ただぼーっとしていたい人などが思うように過ごしていられる空間になった、とまゆみさんは説明する。さらに、新規オープンではなく移転という選択をした結果、前店舗での常連客が顔を出してくれ、初対面の人と話し始めるなど、以前の雰囲気も程よく移って来てくれたのだという。 路面店になったことで、近所の人が「何屋さん?」と訪ねてくることも。2階で外から見えづらかった以前の店舗では考えられない、嬉しい変化だ。 新店舗も変わらず、試飲、豆販売のみ。このスタイルだからこその強み 移転の知らせをきっかけに訪れる人も多く、さらに雑誌『カーサ ブルータス』に掲載されたことでコーヒー関係者の来店が劇的に増えた。よく聞かれるのが、あくまでも試飲だけを提供する理由だ。「たまたまで、狙ったわけではない」と話す佳太さんだが、振り返るうちに自分たちのスタイルだからこその強みに気が付いたという。 「コーヒーを売っていると、豆販売でも、カフェでも、お客さんから感想を聞けるのは多くて2種類、2-3杯分。それも、全員がフィードバックをくれるわけではありません。でもうちでは1人が平均して3-4種類を目の前で試飲してくださるので、それだけの種類感想をもらえる。さらにリピート率が7-8割なので、その人の1年を通しての味の好みや、変化を知ることができる。これを日々蓄積できているというのは、すごい事なんじゃないかな、ってある日気が付いたんです。これはこのスタイルだからこそできる事。ラッキーだと思っています」 自分たちの納得のいくスタイルを追い求めるうちに、連鎖反応のようにして良い結果が生まれる。大山崎 COFFEE ROASTERS、そして中村夫妻の強みの根底にはやはりこの姿勢があるように感じられる。 じっくりと腰を据え、全身で向き合う焙煎 中村夫妻が使用しているのは、他ではあまり見かけない、軽井沢のGRNというロースター。焙煎量は1日平均10㎏、週に3日。木曜・土曜のみの営業で、豆販売と試飲用の在庫との調整が必要なため、一度に焙煎する量にはばらつきがある。 毎日オープンしていれば決まった量を決まったように焙煎すればよいのだが、そうは行かないのが難しいところ。なるべく豆を余らせないように、しかし急な注文にも対応できるように、100g単位で量を調節しながら焙煎を行う。一爆ぜ以降は、量の大小で必要な火の量が大きく変わる。少なければバーナーの熱で焼けるが、多ければ豆同士が熱で焼き合う現象が起きるため火を抑えめにするなど、繊細な調整が必要だ。どんな量でも、美味しく焼けるように。日々訓練の積み重ねだ。 初めて焙煎する豆は、まず一旦スタンダードな焼き方で深目まで焼き、途中で都度取り出しながら各段階でカッピングを行い、焙煎度合いの幅を決める。豆によっては、浅め、深め両方を 販売することもある。火加減の調節、排気ダンパーの開け閉め等に関しては、常にその時の豆の状態や焙煎環境に応じて細かくチェックする。窯の中の熱のこもり具合などを開け閉めしながら指で確かめ、体で感じたものを反映させていく。焙煎が済んだら、試飲を行い、再度調整することもあるという。 大山崎 COFFEE ROASTERSの焙煎の特徴は、その焙煎時間の長さだ。10分ほどで焼き上げるのが平均的だが、ここでは浅煎りでも17、8分は焼く。二爆ぜ以降も焼く場合にはなんと25分ほどをかけることもあるという。熱風式ロースターのため、弱火でじっくりと焼くことができるのだ。1日10㎏とすると、焙煎を行う日は5-6時間付きっ切りになる計算だ。 移転に伴い、煙突が長くなり、使用するガスがプロパンから都市ガスに変化した。排気の影響は特に感じられず、都市ガスになったことで火のコントロールがしやすくなり、火の質が変わった結果として味わいがよりマイルドになったという。 使用している生豆は全部で10種類。店を始めたころは頻繁に豆を入れ替える計画だったが、豆に固定ファンがつくようになり、作業量や効率を考えても頻繁な入れ替えは現実的でなかった。また、価格帯を600円から1000円におさめる事を優先していたため、Cup of Excellenceなどの豆を使用することもなかった―しかし先月から、新しい試みが始まっている。 夫妻が「実験、または遊び」と称するその試みは、5㎏だけ生豆を仕入れては、毎週1㎏ずつ異なる焙煎方法で焼いたものをその週にだけ販売するというもの。少量で気軽に様々な焙煎スタイルの経験を積むことができ、常連客にも目新しいと喜んでもらえているのだという。 決まった豆を焼き続けていると次第にやり方が固定され、そこからはみ出すことに次第に恐怖心すら覚えるようになることがある。それを打ち砕き、常に柔軟であるための新たな奥の手だ。 新しいライフスタイルがくれた余裕、より明確になったビジョン 「最近思うことが多いんです。余裕ができたから、コーヒーについて改めて色々と考えています」と話す佳太さん。自らの焙煎についても、考えを巡らせる事が増えた。オープン当初から、「自分の思う味」や「豆の個性」を押し出していく事はしたくないと考えていた佳太さんの焙煎するコーヒーは、例えるならその豆の持つあらゆる要素がぎゅっと詰まった花束だ。その中から、抽出する人が好きな要素を引き出すように淹れてくれればいい。ゆらぎのある抽出をしても、その度にどれかが顔を出すような、どう淹れても様々に美味しい豆―淹れる人によって表情を変えるコーヒーを作るのが、生産・焙煎・抽出、とあるプロセスのうち焙煎を専門職とする自分たちにできる最高の事だと考えているのだ。 何かを際立たせる焙煎を行えば、抽出の正解が決まってしまう。それはある意味豆の持つポテンシャルを制限してしまうような、もったいない行為にもなり得るのでは、と佳太さんは考える。同じ豆でも、淹れる人や場所によって味が変わるのはむしろ嬉しいという。どう淹れてもまずくならない、「どうやったっていいよ」、と預けることのできる焙煎をするのが佳太さんにとってのロースターの理想の姿だ。 生豆の買い付けにも、抽出にもそれぞれ経験を積んだプロがいる。だからその分野については彼らを信じて任せ、自分は焙煎に注力する。「人生の時間は限られてますから、全部やろうとしたらどれも中途半端になる。焼いてるだけなら気が楽だし、後は任せます」と話す佳太さん。大切なものと向き合うために、必要でないものは思い切って手放してみる―ここにも彼らの哲学が光る。理想のライフスタイルを手に入れた二人の笑顔は以前にも増してすっきりとして、新たなチャプターを純粋に楽しんでいる、そんな輝きに満ちていた。