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TRUNK COFFEE (名古屋): 2018年1月 #クラスパートナーロースター

次にご紹介する#kurasucoffee提携ロースターは、名古屋のTRUNK COFFEE 。Kurasuが始まった頃からお付き合いいただき、私達が長く尊敬するロースターだ。オーナーの鈴木さんに、改めてお話を伺った。

サラリーマン時代、そして旅への予感

旅行代理店であるHISで社会人生活をスタートさせた鈴木さん。現在共に経営を担い、ロースターとして活躍する田中さんは実は職場の後輩にあたる。もちろん当時は将来ともにコーヒーに携わるパートナーとなるとは予想だにしていなかった。

3年間勤めた後、鈴木さんは退職、かねてからの夢だったヨーロッパに移住を決める。英語圏の国として候補に挙がったのがイギリス、アイルランド、そしてマルタ。「知らないから面白そうだな」という理由でマルタを選んだ思い切りの良さには、バックパッカーをしていた学生時代に培ったフットワークの軽さから来るものだろう。

勝ち取りに行ったもの

マルタで暮らす間、週末はLCCを使い色々な国を訪れた。道中訪れたカフェは様々だったが、多くのカフェに共通していたのが、独特の時間の流れ方を持ちながら、人々のライフスタイルの中にきちんと居場所のある空間だ。日本のそれまでの喫茶店の在り方とあまりに違うその姿、そして社会の中での価値の高さにあこがれを感じたとともに、そういった空間に身を置いて生活したいという気持ちが芽生えはじめた。

コーヒーやカフェ経営については全くの素人だった鈴木さん。カフェ文化を学びたい、そう思い、選んだ次の目的地は世界チャンピオンを一番多く輩出しているデンマーク。

そうして住み始めたコペンハーゲンで、鈴木さんは当初の目的であったカフェよりも、コーヒーそのものの魅力にどんどん引き込まれていくことになる。

 しかしまず一番に苦労したのがやはり働き口だ。日本人がデンマークで働いている前例がとにもかくにもない。3か月頑張って仕事が見つからなければあきらめよう、そう決意し、鈴木さんはコペンハーゲン中のカフェを回った。「コーヒーが好き」というだけで、実務経験もなく、英語は話せてもデンマーク語は話せない。スキルも経験もない外国人に、チャンスを与えてくれる場所はなかった。季節は冬。春はまだ遠く、暗さと寒さを耐え忍びながら迎えた3か月目、5日間だけ無給で教えてあげてもいい、という店が見つかった。ごく近所の人しか訪れない、店の名前もないような場所。しかし鈴木さんにとってはまさに希望の糸口。5日間がむしゃらに食いついて、6日目。ここで鈴木さんの底力が顔を出す。なんと鈴木さんは、素知らぬ顔で出勤したというのだ。不思議と店の人々も何も言わない。それから3か月間、鈴木さんはつかんだチャンスを決して逃すまいと毎日店に出た。その間はもちろん無給だ。

空き時間にはコーヒーコレクティブやエステートコーヒーなど、幾多もの有名店に通い詰め、スタッフを質問攻めにし、貪欲に知識を吸収しては、店に戻って場数をこなし腕を磨いた。そうしていくうちに、気づけばしっかりと技術が身につき、店に欠かせない人材になっていた鈴木さん。ついに店員として正式に雇われる身となった。

帰国から独立まで

1年半のデンマーク生活では、さらに貴重な出会いもあった。友人のつてで、当時すでにFuglen Coffee Roastersでバリスタとして勤務していた小島さんを紹介してもらったのだ。1週間ほど、デンマークにカフェ巡りにやってくるという小島さんに寝場所を提供する代わりに、トレーニングをしてもらうという約束を取り付けた。それに合わせてグラインダーとエスプレッソマシンとを自宅に用意するという力の入れようだったという。

その後、フグレントウキョウのオープンが決まる。北欧でバリスタ経験を持つ日本人が小島さんと鈴木さんだけだったため、オープニングスタッフとして働かないかと声がかかったのだ。

東京に拠点を移し、フグレントウキョウの開店準備に着手した鈴木さん。壁を塗るところから手がけたという思い入れのある店舗では、ヘッドバリスタに加え個人的な趣味でもあったヴィンテージ家具のセレクション・管理も担当し、店長の小島さん、バー営業担当者との3人だけで営業をスタート。その後2年間フグレントウキョウを支え、独立に至る。

市場調査を経て決めたのは、地元・名古屋。名古屋には独特のカフェ文化が存在する。実は岐阜県に続き、喫茶店での消費活動が日本で二番目に盛んなのが愛知県なのだという。既存の、それも大規模なマーケットを動かすのは容易ではない。しかし、そこに挑戦のし甲斐を感じた。「オンリーワンならナンバーワン」が当時のモットーだった、そう鈴木さんは語る。

田中さんとのチームワーク

「自分は攻めしか知らないんです。でも田中君は散らかしたものをしっかり片付けてくれる、僕とは正反対の存在。そういう意味で信頼できるんです」と鈴木さんは言う。

店を持つにあたり、一つ決めていたのが、コーヒー業界の人とは組みたくない、ということだったという鈴木さん。その理由が、北欧と日本をそれぞれ観察して気が付いた日本のロースターのビジネスに対する態度の特異さだ。コーヒーはあくまでもビジネス、そのサービスのクオリティを高く保つのは当然、しかしそれはお金になってこそという北欧でのあり方に比べ、日本ではクオリティをまず重視するあまり、予算を度外視したり、お金は後からついてくるという考えで経営をしているところが多いと感じた。

そこで、職人気質な業界の風潮に左右されず、違う動きができるパートナーとして頭に浮かんだのが田中さんだったのだ。

その後オープンまでの半年間、二人で1か月ほどデンマークに滞在し、価値観の共有や目指す味わいのすり合わせを行った。デンマークでは世界チャンピオンが在籍するような有名店でも、聞けば非常にオープンに技術について話をしてくれる。実際に作業を経験させてもらうなど、非常に有意義な滞在となった。

その後友人が経営する店の釜を借りて1週間、ひたすら焼き続けてはプロファイルを固めた。フレーバーのイメージは北欧のスタイルがベースであり、そこから日本の水質に合わせて微調整を繰り返した。

少し離れていても人が来る、それをバロメーターとするべく、中心街からはあえて少し離れた場所に店を構えた。店舗では、最低でも週に三回ほど、多い時は毎日焙煎を行い、抽出されたコーヒーの姿にしかなじみがない人々に積極的に焙煎の現場を公開している。焙煎量は季節によって異なるが、夏季にはおよそ400-600㎏ほどを焙煎する。

開店当初はスペシャルティコーヒーを知っているという人がまだ少なく、とにかく酸っぱいのが嫌だ、という人も多かったという。農園や生産国の情報にもあまり興味を示さなかった人が多かった当時に比べ、自分の好きなものをちゃんと持っている人が増えた、日本市場は変わったと鈴木さんは語る。

現在は週二回のフリーカッピングや、東京の友人バリスタと互いにゲストバリスタとしてイベントを行うなど、とにかく人々に継続的にコーヒーに触れてもらう機会を絶やさないようにしている。

今年2店舗をオープンし、3店舗目は商業施設に入る予定だ。同じフロアにスターバックスとファミリーマートが並び、従来のチェーン店の中に選択肢としてスペシャルティコーヒーが挙がってきたことに、一歩進んだという手ごたえを感じたという。

先日韓国で開催されたWBCで地元名古屋よりも多くの人々に声をかけられたことに却って不甲斐なさを感じたという鈴木さんだが、車社会の名古屋において重要な地位を占める大型商業施設での健闘に期待が膨らむ。

TRUNK COFFEEが提案する新しい形

産業の垣根を越えてあっと驚くようなコラボレーションを行っている事でも知られるTRUNK COFFEE。地元サッカーチームの名古屋グランパスと協力し、スタジアムでグッズを販売したり、最近では地域名産である仏壇の青年会に声をかけ、なんと仏壇づくりの技術でエスプレッソマシンカバーを制作してみないかと提案したという。

さらに岐阜県の名産である美濃焼とのコラボレーションで生まれたORIGAMIシリーズは、カラフルな色合いとモダンなデザインが伝統工芸品の敷居の高さを感じさせないマグやドリッパーが印象的だ。この商品のヒットをきっかけに、生産工場にUCCのラッキーコーヒーマシーンやFBCインターナショナルといった有名企業から発注が入るようになったという。鈴木さんの枠にとらわれない発想が地域産業の発展を助けた一例だ。

誰とでも絡めるのが地方の魅力と話す鈴木さんは、高島屋、JRA、ボルボなどといった様々な産業の企業との提携に加え、日本で初めてブリュワーとロースターが協力して作り上げたコーヒービールを志賀高原ビールから発売。「TRUNKのロゴが日本中の酒屋に並ぶなんて、すごいことです」と目を輝かせる。

「せっかく名古屋にあるんだから、地域と絡んで動いていきたい。コーヒー業界の垣根を取り払って、一緒に立ってみて感じてみないと判断できないことがあるんです。ここにTRUNKがあったから変わったね、という何かをやっていきたい」と鈴木さんは言う。

世界中を巡った思い出や、珍しいお土産がぎゅっと詰まった旅行鞄を広げるように、そして、次に何が出てくるかワクワクさせてくれる手品鞄のように。TRUNK COFFEEはいつも、変わり続ける世界を私たちに見せてくれる。