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4/4 SEASONS COFFEE:2017年4月 #クラスパートナーロースター

 

 

東京・新宿の4/4 SEASONS COFFEE (オールシーズンズコーヒー)が次回のKurasuのコーヒーサブスクリプション 。ロースターの齋藤さんに、焙煎との歩み、お店ができるまでのお話を伺った。  

大学1年の頃、地元熊谷駅のスターバックスに初めて立ち寄り、その場でアルバイトに応募。テイクアウトカップのリッドの用途すら知らなかったところから、コーヒーの世界に飛び込んだ。当時スターバックスではmarzoccoのマシンを使い手動で抽出を行っていたが、徐々に全自動へシフトしていく時期に差し掛かっており、齋藤さんはそこでバリスタの存在意義や魅力が薄れていっていると感じたという。この頃から、まだはっきりと意識はしないものの、サービスを含めた自分の考える理想のコーヒーというものが形づくられていたのかもしれない。

その後大学在学中に、木工家具製造が盛んなミネソタへの半年間の留学を経験し、日本でも国産で質の良い木工家具を取り扱う仕事につきたいと考え、カリモクに就職。自分が良いと思える商品にふれられる日々は充実していたが、配属先の新潟では知り合いもおらず、休日は孤独から逃げるようにカフェで時間を過ごすようになる。カフェでは様々な人たちが、それぞれの時間をそれぞれの目的でコーヒーと共に過ごしていた。そんな日常のプラスアルファとなれるようなコーヒーに、改めて心惹かれるのを感じたという。

そんな時、雑誌BRUTUSのコーヒー特集で、Fuglen TokyoやOnibus Coffeeなどの存在を知る。新しい流れの先陣を切る彼らに強いあこがれを感じた齋藤さんは、早速有給を取り東京へ向かった。

いくつもカフェを巡り、ポールバセットの渋谷店に立ち寄った齋藤さん。そこでルンゴ(アメリカーノ)を飲み衝撃を受ける。

味はもちろんのこと、テーブルでオーダーを取るフルサービス、バリスタの技術やスタッフの活気は圧倒的で、自分がやりたかったのはこれだ、とはっきりと感じた。チーフバリスタの鈴木さんに声をかけ、話をするうちに、ここで働きたい、面接してほしい、と、思わず言ってしまったという。

すっかり意気投合した鈴木さんからは、今の仕事に踏ん切りがつくまで待っているから、という言葉をかけてもらい、翌日新潟へ戻ったその日に退職願を提出。1年に満たない勤務期間ではあったが、自分に期待されていた、停滞していた職場への若いアイデアや刺激剤としての役割は果たせたという思いはあり、後悔はなかった。

しかし実際にポールバセットに就職すると、配属先は当時人員が足りていなかった併設のチョコレート店。だがそこでくさる齋藤さんではない。一日も早く認めてもらおうと必死で働き、すぐに売り場では欠かせない存在になった。さらに開店前30分ほど早く出勤しては毎日必ずカッピングをし、閉店後は食らいつくように先輩バリスタらの仕事を観察した。

その後物販などにも関わるようになった齋藤さんは、自分でコーヒーが淹れられない分、豆の内容や説明を誰よりも熱心に行っていた。するとそんな姿を見ていた鈴木さんが、齋藤さんには焙煎を教える、と宣言する。異例の大抜擢だった。

この上ないチャンスに即座に「やります」と答えた齋藤さんだったが、徐々にその重圧を体感する事になる。

エスプレッソバーを謳う有名店で、看板商品であるコーヒーの品質が常に安定している事は必須。様々な焙煎方法を自由に探究するなどという事は決してなく、焙煎は店の味を守るための非常に神経を使う作業だったのだ。

ヘッドロースターの鈴木さんが行う焙煎と全く同じレート表をたどり、同じリズム、ルーティンでひたすらに大量の焙煎を繰り返す。少しでも遅れや乱れが生じればすべてが狂ってしまうという彼らの焙煎は、「まさにアスリートのようだった」と齋藤さんは振り返る。

私生活や体力、精神力の限界を顧みず、責任感にかられただただ必死で焙煎を続けるうちに、名誉ある役割、やりがいがあるはずの仕事はいつしかただの「作業」になってしまっていた。そうして我に返った時、コーヒーまでをも嫌いになってしまいそうな自分に気がついた齋藤さんは、仕事を離れざるを得なかったという。

 

 その後縁あって働き始めた蔵前のゲストハウスNuiでは、前職とは打って変わってゆったりとした時間が流れる場所でコーヒーを提供する事になる。

それまでは完璧な味を追求することに懸命になっていたが、人々が集う空間やスタッフの雰囲気など、コーヒーを飲むという行為に関わる全ての要素がコーヒーの「味」を作り出しているのだと感じるようになった。

 

恵まれた環境に居場所を見つけ、多くを学ぶ職場だったが、齋藤さんに新たな転機が訪れる。カフェ開店への出資者が現れたのだ。それもほかでもないポールバセット時代からお世話になっている鈴木さんの推薦だという。Nuiでコーヒー部門を一手に任されようとしていた時期でもあり、何よりこの完璧にも思える環境を離れることにためらいがあった。しかしやってみたい、より成長したいという気持ちが勝り、独立を決意した。

紆余曲折を経て新宿御苑の近くに物件を決める事ができ、インテリアは白を基調にオーストラリアのカフェなどを参考にした、人々が自然と場を共有する作りにしつらえた。

Glitch CoffeeやAND COFFEE ROASTERS、そして地元熊谷のホシカワカフェなどのコーヒーを提供し営業を始め、翌年にはシェアロースターで焙煎を開始した。

浅煎りが好きだった齋藤さんは、飲みごたえよりクリーンでジューシー、ユニークで産地の個性が伝わるような焙煎を目指し、粗削りながら自分なりの味を求めて探求をはじめた。

シェアロースターの利点であるハイレベルな焙煎機や同業者との情報共有を活かしながら腕を磨いていった齋藤さんだが、焙煎量が増え、周りにも自家焙煎を行うカフェが増えるにつれ、生豆の選択権が限られ、豆の輸送も不便なシェアロースターよりも、実際に自分で焙煎機を持ち、店で焙煎したいと考えるようになった。あまり広くない店のサイズやクオリティーコントロールなどを考慮し、焙煎機はディードリッヒの2.5kgに決定。

実際に店で焙煎を始めてからは、全ての作業を一から現場で行う事で、緑の生豆が目の前の人が飲む一杯になるまでの過程がまた新鮮に感じられ、焙煎によってコーヒーに命が吹き込まれるような、そんな感覚を得るようになったという。

50kgを焙煎していたポールバセット時代に比べればペースはゆるやかだが、その分焙煎と向き合い、楽しむ心の余裕が生まれた。店頭で焙煎するので、その様子を眺める客との会話がはじまるのも嬉しい変化だという。普段あまり目に触れる事のない焙煎の現場に興味を持ってもらえ、そこからコミュニケーションが生まれる時は本当に嬉しいのだと齋藤さんは話す。

ここでは、自分の作るコーヒーが誰かの日常生活のプラスアルファになるような、自然に寄り添う存在でありたいと齋藤さんは言う。

昔から近所に住んでいる人々もよく通ってくれ、このカフェができて街が明るくなったと声をかけてもらったこともある。忙しい街新宿で、朝15分でも早起きをして、朝ごはんとコーヒーを楽しんでもらいたいという気持ちから、今後はモーニングにも更に力を入れていく予定だ。Instagramなどでも、焼き菓子や試作品のパンの様子などがアップされている。焼きたてのパンをコーヒーと共に味わえるようになる日も近いだろう。

農園とのつながりも確立したいとも考えている。「コスタリカに行きたいんです」と話してくれた齋藤さん。これからの旅路でも、走り続ける齋藤さんに最高のパスを投げてくれる人々に出会い、着実にステップアップしていく様子が今から目に浮かぶようだ。