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見るもの、触れるものに、そっとまなざしを― 陶芸家Runatsuのアトリエにて

見るもの、触れるものに、そっとまなざしを― 陶芸家Runatsuのアトリエにて

ある日、ふと、手で触れるものたちへまなざしを向けたいという気持ちが湧いてきました。
カメラでシャッターを切るとか、エスプレッソマシンでコーヒーを抽出するとか。

「レシピ」というものがあります。この光に対して、何秒のシャッタースピードで切るとか、13gの豆に対して、この挽き目で、200ml注ぐとか。いわゆる定型化されたレシピとオートメーション。均一性が高まってブレを最小限に抑えようとする傾向が強い現代で、そこからこぼれた小さな変化、ディテールに気を配れるのは、バリスタ、ロースター、アーティストの仕事だと思います。

多様なバックグラウンドを持つKurasuのメンバーの中でも、モノの質感や形、使い心地といった「手で触れるもの」へ日々応答している人の一人が、バリスタであり陶芸家のRunatsuです。

今回は彼女のアトリエを訪ね、Kurasuがアーティストコラボレーションとして取り扱い、Ebisugawa店で使用・販売している「Runatsu 緑花片口」の制作の裏側を覗かせてもらいました。

(Interview, Photography & Text: Jongmin / Special Thanks to Runatsu Kobayashi)

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場所の記憶、モノから想起される追憶

休日の午前10時。南に大きく開いた窓のあるワンルームにお邪魔しました。生活と作業が重なる細長い部屋。

私がRunatsuさんと出会ったのは、編集部に入る前、ロースタリーで勤務していた頃、2022年のことです。Runatsuさんがバリスタとしてコーヒーを淹れるとき、なぜか周囲の時間の流れがゆっくりと感じられます。

一方で、陶芸家として出会い直したのは、ほんとうに最近のことかもしれません。ただ、陶芸家のRunatsuさんにお会いしたとき、コーヒーの輪の中ではなく、その少し外側で再び会えたような気がしました。それはまるで、コーヒーから暮らしを見るのではなく、暮らしからコーヒーを見つめ直すような感覚でもあります。

窓からはそよ風が吹き込みます。彼女は先日、デンマークで「陶芸とコーヒー」をテーマに旅をされたそうです。そのお土産話を聞きながら、コーヒーを淹れてもらい、取材がスタートしました。

Runatsu:今回、デンマークにいたときはね。素材のことをよく考える時間が多かったです。あっちにはロイヤルコペンハーゲンっていう有名なブランドがあって、白い磁器が特徴なのですが、作れるようになったのは、ボーンホルム島(Bornholm)で採れた「カオリン(Kaolin)」という原料ののおかげなんです。そのカオリンがすごく白くて、なんというか、すごく繊細な感じがするんですよね。だからか、デンマークの焼き物って、繊細さや柔らかさを纏っているようなイメージです。

学生のころに、「情景」や「記憶」をテーマに作品を制作していたのですが、何かと今にもつながっているテーマな気がします。素材が採れる場所に足を運んでみると、その場でしか感じられない空気がある。湿度とか、風に乗ってくる植物の香りとか。太陽が自然を照らす瞬間のあわいとか。

ボンホルム島では、ほかにもいろんな原料が採れるんですけど、その島の澄んだ空気と広がる自然から受け取るエネルギーがあって。「こういう場所から私が心惹かれる白って生まれるんだ」って感じました。白って、白色だけじゃなくて、もっと幅広い対象に実は使っている言葉だと思うんです。とても多彩で、豊かな言葉として、見えない土地の時間とか、堆積してきたものの密度が、白には宿っているんだなって。

 

 

見えているものを懸命に見る

先日、ノーベル文学賞を受賞した小説家、ハン・ガンさんのエッセイを読みました。『すべての、白いものたちの』という作品です。雪や骨、灰、米といった“白いものたち”にまつわる記憶へまなざしを向けるような内容でした。

「白ってね、真っ白って実は存在しないんですよ」とRunatsuさんが笑いながら話した、その言葉をふと思い出しました。


Runatsu:白って、少し光を通したり、返してくる記憶みたいな色だなと思うんです。空を見上げて、ふとあの日の感じを思い出すみたいなこと、同じ光を見たのに、なぜか気持ちが変わる。真っ白って、意外とないんですよ、たぶん、見ることができない。白の中は、必ず影があって、光の当たり方で違う表情になる。白い器を焼くたびに、ああ、今日の仕上がりは、こういう白になったんだなって思うんです。

私の器は、できるだけ余計な装飾をしないで、白のグラデーションでつくっています。でも、その白の中にはちゃんと呼吸があって、光を受けるたびに影が生まれて、また違う白に見えるんです。白って、本当に種類が無限にあるんですよね。陶芸も紙もそうかもしれないけど。今は、自分がいちばん落ち着ける白を探している途中です。

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土と光、記憶と時間、そのあわいに立ち現れる白を、今日も両手で確かめています。そんな彼女に、影響を受けている作家はいないか聞いてみました。


 

Runatsu:イタリアの画家に、ジョルジョ・モランディという方がいるんです。アトリエにあるものたちを、いろんな視点から静物画として描いた方で。自分が白というひとつのモノに対して、光の透け方でいろんな表情を探していくように、「そっとそこにあるモノたち」を、ただ置くだけじゃなくて、何度も眺めて確かめているような、その感じが好きなんです。

 

 

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モランディがお好きなら、彼の死後のアトリエを撮影した写真家、ルイジ・ギッリもきっとお気に召すだろうと思い、おすすめしました。すると、Runatsuさんとその話でとても盛り上がりました。

ギッリは「通常の現実」と「ありのままの現実」とを分けて考えながら、独特のフレーミングと光の使い方で写真を撮るのですが、「本当にありのままの現実を見るためには、静かな揺らぎを懸命に見つめなければならない」ということなのだと思います。


自然の輝きに、手を伸ばして

そんな他愛のない、互いの「好き」を持ち寄るような話をしているうちに、Runatsuさんは土を練りはじめました。私たちがイメージするような、ろくろを回して器を形づくる工程へと進んでいきます。

土を練るのも、見ているとかなり力のいる作業だと感じます。そして、回転するろくろの上で手を固定し、微調整していく作業も、素人の目には手の力を大きく使いそうな印象を受けます。


 

Runatsu:陶芸って、「土を締める」っていう作業があるんです。器の内側をきれいにするためでもあるけど、土を締めることで密度が上がって、乾燥したときの割れを防げる。腕も大事だけど、素材をどうこうするというよりは、土を触ると感じられることが多い。

だからこそ、いつかは原料から自分で作ってみたいんです。土を掘ったり、山の木を切ったりして。もっと素材に直接的に触れたい。


実家に山があって。お隣さんとかは、そこも木を切って、薪ストーブで燃やしているんです。その灰をもらって、釉薬にしたいなと思っていて。木が燃えて灰になって、それがまた器の中に戻ってくる。そういう循環がすごくいいなと思うんです。


それって、すごく自然なことのようでいて、でも人の手が入っているんですよね。完全な自然ではないけど、ちゃんと手の痕跡が残る。

いつの間にか、もっこりとしていた土のかたまりは、自ら形を見つけ、器へと姿を変えていきました。それを乾燥させ、次に小さな窯で焼くのだそうです。Kurasu Ebisugawaで抹茶を立てるときに使っているあの片口も、きっとこんなふうにしてでき上がったのだと思いました。

少し編集後記のような話になりますが、彼女の作業が終わったあと、一緒にランチをしながらいろいろな言葉を交わしました。丁寧さとは何か、暮らしとは何か。もし互いに共鳴したことがあるとすれば、「触れるもの一つひとつが未完成な状態を知ることが大切」ということだったように思います。

未完成で不完全な状態は、決して未熟という意味ではありません。そこには本来のあり方のようなものが潜んでいるのかもしれません。焼く前の土、練る前の土、加工される以前の土の状態など、それぞれに静かな力や可能性が宿っています。完成という形を通して、それをどのように人々の暮らしに純度高く持ち寄るか——その営みこそが、彼女のものづくりなのだと思いました。

そんなプロセスに触れることで、ライターとしての私は、今日も少しだけ耐久性のある言葉で物語を紡げたのかもしれません。10年後にも読み返せるような物語。使い続けたくなるモノ。飲み続けたくなる味わい。そうした「締まった事々」とは何かを少し考えてみて、日々の暮らしのルーティンに少しずつ取り入れてみるのも、きっと楽しいことだと思います。

Runatsuの片口は、Kurasu Ebisugawaでのみ手に取ってご覧いただけます。これもまた、Kurasuの実店舗でしか味わえない魅力のひとつです。

日々のコーヒーやお茶の時間に、静かに寄り添う器。白に光が滲む器には、暮らしの中で使うほどに、息づくような記憶が宿っていくことでしょう。

 

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