2020年第一回目の#クラスパートナーロースターとしてご紹介するのは、京都のGoodman Roaster Kyoto。台湾の阿里山で栽培されているコーヒーを主に専門で扱うロースターだ。オーナーの伊藤さんは、旅行で訪れた台湾で阿里山コーヒーの可能性を見出し、空港の片隅、「下敷き一枚」の販売スペースで、異国でゼロからの挑戦を始めた。現在では台湾で2店舗を経営し、現地のコーヒーカルチャーを動かしているGoodman Roaster。昨年11月に、日本一号店となる京都店がオープンした。言葉がわからない、初めて住む場所、台湾。そこで文字通り身一つでスタートし、台湾から日本、京都へと旅を続けてきた伊藤さんーその道のりには、いつも背中を押してくれた恩師の言葉と、家族の支えがあった。
阿里山コーヒーとの出会い
東京で生まれ、最初のキャリアはアパレル業界でスタートしたという伊藤さん。25歳の頃に、かねてから強く憧れ志望していたスターバックスに入社した。そこから5年間、主に都内の店舗でバリスタとして経験を積んだ。
「スタバでは、エンターテイナーとしての技術、そしてホスピタリティについてとてもたくさんの事を学びました」そう伊藤さんは話す。しかし、大企業特有の不自由さや閉塞感、マネジメントに徹する店長への昇進のオファーなどが、次第に伊藤さんの心をバリスタという仕事へ向き合う純粋な姿勢以上に圧迫するようになってきたという。
このまま働いていても、コーヒーの生産から消費までのほんの一部しか見ることができない。もっとコーヒーについて知りたい、色々な経験を積んで、接客技術の幅も広げたい。そう考えるようになった伊藤さんは、「日本から一番近く、真剣にコーヒーを栽培しているのは台湾」と友人から聞いたのをきっかけに、台湾のコーヒーの産地である阿里山を訪れた。「山に行った時に、そこで採れたコーヒーを浅煎りで、サイフォンで淹れてくれたんです。浅煎りを初めて飲んだのがその時で、サイフォンで。衝撃を受けました」と、伊藤さんは今も鮮やかに心に残っている瞬間を振り返る。阿里山コーヒーとの出会いだ。
恩師との出会い
さて、伊藤さんには、若い頃から尊敬し、著作は全て読んでいるという憧れの人がいた。クールジャパンなどの旗振り役を務めた、伊勢丹の伝説的なバイヤー、故・藤巻幸夫氏だ。そんな憧れの人が、偶然伊藤さんの勤務していたスターバックスに訪れた。「思わず声をかけた」と伊藤さんは言う。面白いやつだ、と気に入られて以降氏との親交は続き、それに伴って伊藤さんの旅路も大きく変化することになる。
藤巻氏との出会いから1年後、JRとの協賛企画であり<日本発信>をテーマとしたコンセプトショップ、「Rails 藤巻商店」のオープンに際し、伊藤さんに声がかかった。伊藤さんは藤巻商店の一員として店に立ち、休日には藤巻氏と日本全国を巡って焼き物、食品、着物と日本の名品をキュレートする旅に出た。
2年ほどが経ち、藤巻氏の政界進出を機に、Rails 藤巻商店は店をたたむ事になる。ちょうどその頃、以前の訪問以来連絡を取り続けていた台湾の農園からも閉業の知らせが届く。何とか続ける方法はないか。そんな思いで、当初は日本への卸売のルートを確立させようと考えた。しかし海外で事業を行うのは、大きな賭けだ。相談する人皆に反対されたアイデアだったが、藤巻氏だけは賛成してくれた。藤巻氏がいつも言っていたのが、「日の目を見ていない商品に、スポットライトを当ててやれ」。今回も、やってみろ、と背中を押してくれたのだ。
いざ台湾へ
そうして台湾行きを決断した伊藤さんだったが、何しろ言葉が分からず、資金もない。手始めに、シェアロースターを借りて阿里山コーヒーの焙煎を始めた。しかし中国語が話せない為に、現地の人々相手に商売ができない。さらに阿里山コーヒーと言うと、地元の人々の間では「あまり出回っておらず、サービスエリアで飲むようなコーヒー、とにかく高い、まずい」という不評がすでに根強く、あの日阿里山で飲んだ浅煎りの美味しさを伝えられるようになるにはあまりにも道のりが険しい。
そこで頭を絞った結果、羽田空港からの定期便が発着する松山空港で、日本人旅行客をターゲットにコーヒーを売ることを思いついた。
知人のつてで免税店のバイヤーを紹介してもらい交渉した結果、「日本行きのゲートのエリアで、1ヶ月だけ契約、売り上げの50%は免税店に」と言う約束で販売できる運びとなった。割り当ててもらえたのは、下敷き一枚ほどの小さなスペース。そこで試飲販売をしながら、焙煎した阿里山コーヒーを売り始めた。
家族も共に移住して、子供も生まれたばかり。絶対にこのチャンスをものにしなければ、と心を決めた伊藤さんの猛進が始まったのがそこからだ。とにかく声を出して少しでも多くの人に興味を持ってもらい、販売時間以外は到着ゲートに行き、警備員に止められながらもチラシを配っては、「帰国される時に空港でまたぜひ」と呼びかけた。そんな努力の甲斐あって、「面白い日本人が台湾のコーヒーを売っている」と口コミが広がり、1日15万円を売り上げるほど注目を集めるまでになったのだ。
当然契約は毎月のように更新され、半年ほど販売を続けていると、台湾の雑貨店からも声がかかるようになった。Fujin Treeや誠品書店など、知名度のある雑貨店に取り上げられるようになると、テレビの取材やビジネス雑誌への掲載などの依頼も立て続けに入り、認知度が一気に上がったという。2013年には最初の実店舗をオープンし、その後台湾に4店舗、香港に1店舗を構える大人気ロースターへと成長することになった。
転換期
ビジネスの規模はどんどんと大きくなり、一時期は従業員の数が20人を超えるほどの大所帯となったGoodman Roaster。しかしそこで、次第に難しさも感じ始めたと伊藤さんは振り返る。自分以外のスタッフ全員人が台湾人で、育った環境や文化の違い、そして専門性の高い会話における言語の壁、さらには経営に対する意識の違いなどが徐々に浮き彫りになって来たのだ。台湾という異国の地で、日本人が経営するという困難と苦労、そしてそれに時間やエネルギーを割かなければいけないために、思うように若手を育てられないストレスと焦り。伊藤さんは断腸の思いで台湾の2店舗のみを残し、「選択と集中」の決断をした。
規模を小さく丁寧に再出発したところ、売り上げも伸び、その経験を機に伊藤さんの中で変化が起こった。「ビジネスを大きくする事に、全く興味がなくなりました。自分はそれよりも、自分自身の成長に集中したいんだ、そう気がつきました」と伊藤さんは話す。「今はバランスを整える事に重きを置いています。例えば、お金を理由にして食べたいものを食べない、などという決断はしたくない、だからと言って売り上げのためにもっとビジネスを伸ばしたくはない。でも生活のため収益は必要。そんなところのバランスを、落とし所を見つける作業です」
そうこうしているうちに、台湾にやって来て7年が経った。元々は5年で日本に帰るという目標を立てていたという伊藤さんには、もう一つ、いつも心に留めていた目標があった。それは藤巻氏との約束、「ものになったら日本に帰って来てアウトプットをする」こと。ゼロからのスタートで、ここまでたどり着いた。ならば、日本に帰る時が来たのではないか。そう感じる瞬間を、伊藤さんは迎えた。
日本での拠点に京都を選んだのは、旅行で訪れた際に直感で気に入ったから。街の雰囲気、職人気質の人間が多い場所に、心惹かれるものがあり、Goodman RoasterはGoodman Roaster Kyotoとして、新たに日本の地にオープンすることとなった。
Goodman Roaster の焙煎
「資格や大会に全く興味はなく、”美味しい”というところに興味がある」と話す伊藤さんは、他のロースターとは異なるアプローチをしている。ロースターというと、焙煎技術を極めている職人、のような姿勢で焙煎を行う人が多く、素材の良し悪しが十分に重視されていないと伊藤さんは考える。むしろ、どんな素材であっても美味しく焙煎するのが腕の見せ所、というような部分すらあるのではと感じているという。
「僕は素材がとにかくまず重要だと考えています。今では焙煎の技術はコンピューターである程度管理できてしまう。だからその技術よりも、まず生豆の良し悪し、クオリティを嗅ぎ分けられる嗅覚と味覚を鍛える事が重要なんです。食べ物でも、素材が良いものに味付けはほとんど必要ないですよね。深煎りって、例えて言えば醤油を思いっきりかけるような事だと思っています。うちでは浅煎りに限定しているわけではないのですが、素材が良いものを選び、その良さを活かそうと思えば自然と浅煎りになるんです。特にフィルター用のコーヒーは絶対にいいものを仕入れている、という自負がある」、そう伊藤さんは言う。
Goodman Roasterで使用している焙煎機はディードリッヒ。台北では12kg、京都では5kgで焙煎を行なっている。「今のスペシャルティを焼くのに直火はあり得ない」と話す伊藤さんが特に心酔しているのが、エスプレッソブレンドを焙煎するときに発揮されるディードリッヒの本領だ。赤外線の力で、ボディ、クレマ共に素晴らしいものが焼けるのだと伊藤さんは目を輝かせる。
日本に帰ってきて感じること、これからのビジョン
「これはコペンハーゲンに行ったときに強く感じたんですが、普段の生活における心の豊かさと、コーヒーを飲む時間を楽しめる事とは繋がっていると思っています。豊かだからコーヒーが飲めるのか、コーヒーで心が豊かになるのか・・・、それはまだ答えの出ない問いですが、日本に帰って来て、『コーヒー飲んでる場合じゃないでしょ』、『コーヒー飲んでる時間はない』と言われてびっくりした事があって。ただコーヒーを飲む、その時間を楽しむと言う豊かさが失われているのではないか、そう思いました」と伊藤さん。
京都店ではまず1年間、一人で現場に立ち、お客様に接していくと決めている。少しでも多くの人に、リラックスしてコーヒーを味わう時間を持ってもらえるよう、生粋のエンターテイナーとして、京都に新しい風を吹かせよう、そう考えているという。
現場に全部の答えがある、と藤巻氏は言った。台湾で得たものを日本へ、そして日本での新しい体験をまた台湾へ。お客様を楽しませないと意味がない、をモットーに、ユニークなルーツを持つロースターとして、日本でもいよいよその名を轟かせていく事だろう。
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