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MANLY COFFEE: 2017年2月 #クラスパートナーロースター

MANLY COFFEE:  2017年2月 #クラスパートナーロースター

Kurasuが次にご紹介するロースターは、福岡のMANLY COFFEE。精力的に店を切り盛りし、日本エアロプレスチャンピオンシップ実現の立役者でもある須永さんに、お話を伺った。

MANLY COFFEEができるまで

スターバックスで勤務していた頃、ブラックエプロンチャンピオン、つまりスターバックスジャパンのトップバリスタとして、シアトル研修を経験するなど、子育てと両立しながら業界で活躍していた須永さん。退職後コーヒー以外の道も模索するもやはり業界に戻り、2007年に銀杏煎り器で手焙煎をはじめる。手応えを感じ手回し焙煎機500g用を購入。まずは身近な人たちへの販売からスタートし、勢いがつきはじめた2008年1月に本格的にウェブショップで販売を始め、中古の焙煎機を購入し10月には実店舗を出した。
MANLYという名前は、一時期在住していたオーストラリアのマンリーから。大好きな街、最愛の夫と出会った街として、須永さんにとって特別思い入れのある名前だ。
開店当時は、美味しいコーヒーと言えばまだまだ東京か大阪でしか手に入らない時代だったが、福岡でも負けないぐらい美味しいコーヒーを飲めるようにしたいと、福岡でコーヒー文化を盛り上げるべく猛進している。

コーヒーとの歩み

当時はカリタやメリタなどメジャーなブランドの器具を使い、マスターの味を守るというやり方がまだまだ主流だった環境で、ハンドピックが一番と考え焙煎を行っていた須永さん。しかし2008年11月に参加したSCAJローストマスターズリトリートの第一回合宿でスペシャルティーコーヒーに出会う。

焙煎はまだ闇のベールで包まれていた時代の中、それぞれのグループやお店が垣根を越え、まだ新しいスペシャルティーコーヒーを扱う人々が親しげに情報交換を行うオープンな環境が実現されている場に、理想を見たように感じたという。

合宿での経験を通し、もっと自分の世界を広げたいと思うようになった須永さん。スペシャルティーコーヒーについても学び始めたこの頃から、日本一の次は世界一、と世界への挑戦が視野に入るようになる。WBCのボランティアのためロンドンへ飛んだり、マンモスコーヒーのバイトに応募したりと、積極的に海外での経験を積んでいった。2010年9月にはローストマスターズチャンピオンシップに九州チームとして参加し、見事審査員部門で優勝する。コーヒーを突き詰めるうちに当然産地や生豆への興味も強くなり、2013年にはニカラグア、コスタリカへ自ら豆の買い付けに行った。何事も実際に行動に移す須永さんのフットワークはまさに驚異的だ。

北欧に訪問した際、ノルディックバリスタカップをオスロで知る。ルールのない自由な雰囲気と、皆で楽しく学ぼうという空気に大いに心惹かれた。その後大会に焙煎部門があり、しかもエントリーは先着順であることを知り、ここで世界一を狙おうと決める。エスプレッソマシンすら持っていなかったが、えいと飛び込み、2013年にエントリー。結果は出せなかったが、そうそうたる出場者と同じ場で戦い、世界で好まれる焙煎や味を体験することができた。その時の優勝者、台北の有名カフェFika Fika Cafeのジェームズ氏のコーヒーに対する真摯な姿に感銘を受けた須永さんは、その場で修行させてください、と頼み込み、交渉の結果見事5日間だけ時間をもらう約束を取り付けた。

これら全ての挑戦、試行錯誤が全て今のMANLYのコーヒーの中に息づいているのだ。

2011年、コーヒーイベントに招待された韓国で、当時の日本ではまず実現し得ないようなゲストスピーカーのレベルや積極的に情報交換を行う人々の姿勢に衝撃を受けた。

アジアのスペシャルティーコーヒー協会の存在もそこで初めて知り、話を聞きに行けば日本は独自の文化が強いのであまり交流がないのだと言われさらにショックを受けることになる。従来のやり方を変えようとせず、こだわりを強く持ち続けている日本のコーヒー文化を後目に、他国の人々はハングリー精神や堪能な英語を活かしすさまじい勢いで進化を遂げていたのだ。

ロンドンで参加したバリスタパーティーでは、国を超えたコーヒーコミュニティーを目にし、日本との温度差・格差を切実に感じる。どうにかしなければ、このままでは日本のコーヒーは置いていかれる。何かを発信しなければいけない、日本で何かを変えなければいけない、そう思った。

その頃訪問したコーヒーコレクティブでエアロプレスを初めて体験し、日本ではまだ知られていないその味に、これだ!という確信を得る。エアロプレス大会の主催者だったティム・ウェンデルボーにすぐに連絡を取り大会エントリー希望を申し入れ、日本ではまだ売られていなかったエアロプレスも、知り合いのつてをたどりアメリカやシンガポールから手に入れた。初めは自ら大会に出場し果敢に挑戦したが、思うように結果が出せず、大会自体が中止になるなど道のりは決して平たんではなかった。

さらに、先着順で大会にエントリーできていたそれまでとは異なり、2012年からは各国の国内大会のチャンピオンしか出場できないことになる。日本で周りを見渡しても、須永さん以外にエアロプレスの大会をしようという人は誰もいない。しかしここで諦めてはいけない、日本で大会をしなければだめだ、そう強く思い、苦労の末日本で初めてのエアロプレスチャンピオンシップを福岡で開催する。

それ以来Fuglen TokyoやNOZY COFFEEなど多くのお店に協力してもらい、大会はJapan Aeropress Championshipとして毎年開催され、2014年には世界チャンピオンを輩出するまでに成長した。挑戦を始めたころに夢見ていた優勝杯を自ら手にすることはなかったが、気付けばもっと大きなものを世に送り出していたのだ。

愛する娘との出会い、そして転換期

2014年の春の日、その日最後のコーヒーのパッキングが終わった瞬間に産気づき、そこから病院へ。陣痛の間にも、産休で初めて自分の手を離れるエアロプレスの大会のことが頭をよぎる。大会で大切にしてほしい理念をメールで伝えるなど、できる限りのことをした。

誕生した娘は、ダウン症とそれに伴う心臓の症状をもっていた。分かった時の動揺は大きかったが、「病気のことは私たちに任せて、愛情をたっぷり注いであげて」と心強い言葉をかけてくれた医師達や家族、周りの友人たちに支えられ、娘とともにゆっくり進み始める事ができた。

待ってはくれない店の現実を支えてくれる人たちもいた。店を閉めている間に、店のスペースを倉庫として借りてくれたお隣のグラノーラ屋さん。「いつでもいいのでコーヒーを送ってください」と言ってくれた常連客。予想外の事も多かった娘の手術、そして入院生活が続く中、週末だけ夫に代わってもらい、久しぶりに焙煎機の前に立った。

我が子が直面している闘いを想い辛い気持ちになる日々、体力的にも厳しい状況だったが、店に着き鍵を開けた瞬間、不思議と気持ちが前向きに切り替わるのを感じたという。焙煎しながら、次第と精神も統一されるのを感じ、「できることをやろう」という力が湧いてきたのだ。いかに自分がMANLYのコーヒーを楽しみにしてくれる人、そして目の前のコーヒーに支えられていたのかに改めて気づき、涙があふれてきた。


その後しばらくは平日に受けた注文分を土日に焙煎、パックして出すという生活が続いた。
初めの1-2年は、3人の母となった日常とコーヒーへの想いのバランスを取るのにとても苦労したという。それまで試行錯誤しながらも続けてきた情報発信も一旦やめ、自分と、そして目の前の仕事と向き合う事に集中した。
さらに時間の制約ができたことで、それまで幅広く取り扱っていた中煎りや深煎りをやめ、自分が本当に作りたいコーヒーだけに集中することを決断。浅煎りで甘さと質感のいいコーヒーを目指し、試行錯誤をはじめた。

娘との闘病生活が始まり、コーヒーや店をもう諦めるしかないのかと考えたこともあったが、今では家も店も楽しく回るように頑張ろう、と前向きな気持ちで日々取り組むことができている。

コーヒーとの向き合い方、今までとこれから

全速力で走り続けてきた10年間、コーヒーに夢中になり、これだ!と思ったものに挑戦し続けてきた。自ら道を切り開いたJapan Aeropress Championshipも、信頼のおける人々に支えられ成長を続けている。しかしここへ来て、コーヒーへの想い、向き合い方がゆるやかに変化しているのを感じると須永さんは話してくれた。

エアロプレスや焙煎で世界一になりたい、その気持ちは変わらない。しかし、自らの店を持ち、愛する家族と過ごし、MANLYのコーヒーを楽しみにしてくれているたくさんの人に支えられている日々の中で、目指す頂点の意味合いが少し変わってきたのだ。それまでは興味と情熱に突き動かされ、もっといいコーヒーを自分の手で焙煎したい、と考えてきたが、お客様の大切さを心から感じ、美味しいものを楽しんでもらいたい、そのために焙煎しようと考えるようになった。

今の目標は、「○○チャンピオンの須永さんがいる店」としてよりも、「MANLY COFFEE」として、チームとして高みを目指すことだという。大会ありきではなく、お客様のためにコーヒーを洗練させ、しっかりと提供していきたい。「おいしい」という言葉を楽しみに、見ただけでワクワクするようなパッケージや、今までのカテゴリーから解放されたような、自由なコーヒーを作りたい。旅先で、「MANLYの」コーヒーが飲みたい、と人々がわざわざ訪れるような店にしたいのだ。人生の旅路の中で自然と訪れたこの転換は、大いに心を解放してくれたという。

地域、世界の人々に愛される魅力的なコーヒーを淹れることをモットーに、毎日の営業を大切にしたいと須永さんは言う。

「マンリー」と言えば口角が上がる。マンリーのビーチで見た船のように、向かい風も追い風も、笑顔で乗りこなして進んでいく。

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